2-08

       ◆


 いくら調べても進展は無かった。わたしたちはすごすごと事務室に落胆を持って帰ることとなり、みんなそれぞれ今日得た情報を――要するになにも得ていないという事実を書類に入力して、わたしも教えてもらったファイルをクリックして教わったとおりに自分の聴音士としての見解を空中ディスプレイに思考入力していき(キーボード入力が苦手なのでいつも思考入力だ)、あっちで垂れ流しになっている国営放送番組をなんとはなしに眺めたりしながら、「それっぽい人物や魔法の音・残り香は見受けられませんでした」の一文に集約される内容をちまちま長々こまごまとそれらしいかたちに仕上げていると、気づいたときには二十時をまわっていた。


 閑散とした事務室で、アナログの掛け時計がチ、チ、チ、とやたら高い音で鳴った。一一〇階の窓はすっかり夜に染まっている。


 ――ではここで、若くして紅龍国クロウコク立紅龍学園の魔法創作学教授を勤め、魔法管理機構のシュプール師としてのご経歴もお持ちの小説家、ノクテリイ嬢に今作のヒットについてコメントをいただこうとおもいます。


 ――ありがとうございます。この文章はわたくしが崖っぷちにいたときに支えてくださった友人たちと教官へのアンサーとして書きました。この場をお借りしてお礼申しあげます。


 事務室にはもうわたしとレト先輩しか残っていなかった。ソフィアさんは定時早々に中学一年生と小学四年生の兄妹が家で大喧嘩しているらしいからと事務室中に謝りながらクッキーを配って慌ただしく退勤し、集まってああでもないこうでもないと議論を繰り広げていた犯罪課と鑑識課はそのあたりで我に返って自分たちの事務室に戻っていった。


 わたしも帰っていいと言われていたけど帰ると言いださないままなんとなくずるずるとこんな時刻になっていた。報告書の完成なんか今日じゃなくてもよかった。そんなことはどうでもよかった。


 ――たとえばクラスメートのなかで一番絵が上手な子、ピアノが弾ける子、かけっこが速い子、勉強ができる子などが、昔はクラスで一番ということで「自分は特別な人間である」とか「クラスにとって有用な一員である」とかいった自己肯定感を育てたものですが、今はそれが叶いません。この危機は何百年も前――第一次魔法期よりもずっと昔ですが、インターネット普及時代に言及されてたんですけど。


 わたしは空中ディスプレイに映しだされる報告書の言葉じりを意味も無くこねくりまわす。自宅に帰る気力もわかないほどに疲れていて、酸素で溺れかけるみたいな、存在するだけのことで気力を使い果たし続けている感じ。五〇〇キロメートルの大気の質量がずしん、両肩にのしかかってくる。帰るのもご飯を食べるのもシャワーをして眠るのもなにもかもが億劫で、夜色に塗りつぶされた窓の、反射して映る左右反転の事務室を、ちからなく見やった。


 ――検索ボタンひとつで簡単に世界トップクラスの絵やピアノや陸上競技記録や……なんでも身近に見ることができるようになりました。もちろん教育環境の面からは「見本や習得法を誰でも手軽に入手できる恵まれた時代になった」とも言えるんですけど、逆に「めちゃくちゃ頑張るかすごい才能を持っているかしないと自分の存在に意味は無い」という極端な諦念が慢性的に在った時代でもあります。


 思考入力は音がしない。静まり返る事務室で、わたしは自分がこんなふうに疲れるようになったのっていつからなんだろ、とのろのろ考え始めた。正体不明のこの疲労感は機構の内定を承諾したあたりから時折出てくるようになって、意識しておもい返せば何ヶ月も違和感があるのだけど、普段は自覚することが難しい。


 今日、そんなに疲れることあったかな。気疲れ? 初めての捜査同行だった。刺激的だったし面白かった。そうだよ、興味深いことばっかだった……。


 ――インターネットをとおして世界トップクラスのものに触れられるようになっただけではありませんでした。その後時代が進むにつれて全世界へ発信される情報は飽和状態になり、今自分とともに生きてる人だけじゃなく、亡くなってしまった過去の人たちの息遣いをも感じられる生々しい記録が、歴史が、履歴が、現代人のライバルとなりました。絵を描いても、ピアノを弾いても、「自分なんてどうせ」という諦念はますます深まっていくことになったんです。


 レト先輩は壁にもたれかかって煙草を吸ったり、喘息発作を起こして引きつった呼吸音で咳をのみこんだり、冷めたブラック珈琲をなにげに優雅な姿勢で飲んだりしつつ、書類を打ちこんでいる。たぶんあれも完成なんか今日じゃなくてもいいやつじゃないかなとわたしは勝手に予想する。


 ――諦念がピークに達した頃に突如魔法が発明されました。努力をせず特別な才能を持たずともプロ顔負けのものを気軽に発表できるようになった。魔法で作ったものがどれくらいの割合で本人の能力となるのかについては昔からたまに議論になってますね。魔法に指示を出して生成した線画を、魔法でパースの修正をほどこして、魔法が予測変換で出してきた色を用い、魔法で筆圧を調整しながら、魔法が推奨する順番で塗っていき、魔法が提案する素材を重ねて、はいできあがり。現代とは、子どもたちが幼稚園でそういう絵を描く時代ですので。


 レト先輩が吸入器をポケットに入れて指の付け根に挟んだ煙草をゆっくりと味わうように吸った。指先じゃなくて付け根のほうに持っているから、煙草を口元に持っていくたび手で顔を半分覆うかたちになって、なんとなくミステリアスだ。不意に、刺すような真紅の瞳がわたしをとらえた。わたしはどきっとした。


 いや、ぎょっとしたのかも。


「……、」


 先輩はなにかを言いかけた。


 で、一文字も発さずに口を閉ざした。


 彼の悪い癖である。


「……今なにか言いかけませんでした?」


「……」


「気になるので言ってほしいです」


 ――古い本を読むと、現代人は過去の人々に比べてコンビニのお弁当みたいな印象があります。万人向けで、あたりさわりがなくて、整っていて、みんな綺麗にパック詰めされて並んでる。完成度は明らかに高いのに、驚くほど無個性。そして残酷なことに、わたくしたちは人間だから、そういうことをかなしくも自分で認識してしまうんです。せざるを得ない、んです。


「なにを言いかけたんですか、先輩?」


「………………面倒だ」


 たっぷりと間を置いて彼は答えた。


「めんどくさがって台詞を全文省略しちゃったら伝わりませんよ」


「……伝えようとすることに、意味はあるのか」


「えっ」


 わたしは呆れた。


「伝わらなくてもいいやっておもっちゃうとかいう愚行を犯さずに済むので、伝えようとすることには意味があります。言いかけた言葉をどうぞ。聞きます」


「……」


 テレビが延々と現代社会の精神的危機を説明している。平々凡々なわたしにはいっさい関係が無い世界でのおはなし。能天気にのんきにのほほんと生きてきた一般人のわたしは、馬鹿の一つ覚えの笑顔を顔面に貼りつけて先輩に首を傾げてみせる。


 左右反転の不気味な笑顔に自分でどきっとする。


 ううん、ぎょっとしたのだ。


「分かった。なら言う。――大丈夫か?」


「は……い?」


「大丈夫か、と問おうとした。言えと言ったのはそちらだろ」


 レト先輩が不機嫌な顔でレディッシュの髪を乱暴にがしがし搔き乱している。


「あの監督に攻撃を受けて落ちこんでいるように見えた。以上。もう面倒くさい」


 攻撃?


 ……ってなにが?


 と、突然バーンとドアが派手に開き、上機嫌な声が朗々と響き渡った。


「これは――、これはこれは我が親愛なる友、ヴィーノ!」


 ヴィーノ、のところがすんごい芝居がかっていてまるでオペラ歌手だ。ラクロワ先生は今どき珍しい物理的眼鏡をくいと押しあげ、両腕をおおきく広げて事務室に登場すると、おもいきり叫んだ。


「なんとまあ今夜は無傷で帰ってきたと聞きましたよ――奇跡ですか!? 俺はもしかしてフィクションと現実の境界が判らなくなってしまったのですかね!? ヴィーノが無傷で帰ってくるなんて頭がおかしくなりそうです! 笑っていいですか? ええもちろん馬鹿にして笑おうとしていますよ――」


 笑おうとしているというかすでに大爆笑だった。


「あれ? お二人さん、ひょっとしてお取りこみ中でした? 愛の告白とか?」


 こんなのと恋愛だなんて死んでもお断りですとわたしは先生に言ってしまいそうになり、ギリギリのところで踏みとどまった。


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 いつもありがとうございます。


 私が崖っぷちにいたときに繰り返し私を救ってくれた『砂時計』、その作者である芦原先生が自殺によって亡くなりました。ショックで今ちょっともうわけが分からないです。


 ご冥福をお祈りいたします。

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