2-07
「彼、いいね」
健康被害がほとんど無い「カートリッジ煙草」を手にした人々の端のほうに昔ながらの肺ガンリスクが高い紙巻きを咥えて入っていった先輩を見送り、周囲の魔法に耳を澄ませながら、イケメン俳優が右手にココアを、左手に何故だが謎の埴輪を持って、女の子になんか力説しているシーンを遠くぼうっと眺めていたら、不意に背後から言われた。
「彼、とてもいい」
繰り返して、ラムネ監督がわたしの隣に立つ。あっちの風量を制御する魔法の影響でこっち側に不自然な強まりかたをした風が吹いて、わたしたちの会話の合間をひゅうっと吹き抜けていった。
飛びかけたベレー帽を監督が押さえる。
女優が埴輪を叩き落とす。
焼きものの割れる鈍い音が〈増幅〉される。
「……彼って、ええと、あのぅ、先輩のことですか……?」
わたしはおもわず質問した。
「うん、まあ、そうだよ。でも、追いだされる前に慌てて撮影魔法を見ておこうとしている機構さんが、ぼくを前に開口一番その問いでいいのかい?」
「へ? あっ――、えーと、えっとですねっ、は……犯人にこころあたりはありますか!?」
「ないなぁ」
「……えあ!? じゃあ、その、恨まれたり濡れ衣を着せられたりするこころあたりは――」
「機構さんはぼくを疑ってるんじゃないの?」
一瞬、返事に窮した。
わたしが『恨まれたり濡れ衣を着せられたり』とラムネ監督を積極的には容疑者扱いしていないことを言及されたのだ。
こういうことを犯罪課班長に断りもせず勝手に口にすることはためらわれた。
「あくまで個人的には……、疑って、ないです」
「どうして」
「……監督の創作魔法は洗練されています。犯行に使われた装飾過多で稚拙な魔法レベルにわざと落とすことは技術的にかえって不可能でしょう。プライドも許さないだろうと感じます。ここまで徹底した創作魔法を使う監督なら……」
「ふぅん」
入口しかない階段のセットが作られ、俳優たちがそっちに誘導されて移動し始めた。
「ま、好きに調べたらいいよ。ぼくは機構さんを追いだしたりしないからね。アルフォードさんとは懇意にさせてもらってるんだ」
「アルフォードさん?」
「あれ、知らないかな。アルフォード・Zさん。機構執行課の猟奇犯罪班、班長のはずなんだけど」
――直属の上司じゃん!?
自分の無能ぶりに自己嫌悪して真っ赤になったわたしは、変な汗をかきつつ本日不在の(というか毎日不在の)顔も知らない班長のことをおもいだした。ソフィアさんが「班長はいつもいないんだよねぇ」って前にぼやいていたんだった。四十八歳の男性であること以外なんも覚えてなかった。だって会ったことないから。なんでそんな人が有名な監督と親しいんだろ……?
このまま黙っているのがきまり悪くておおきめの声でとりあえずおもいついた質問を投げかけた。
「あのっ、ラムネ監督は、どうして映画を作るんですか!?」
「合法だから」
あっさりと返されて次になにを言ったらいいのか分からずぽかんとなった。監督がそんなわたしの顔をベレー帽の下から鋭く見下ろしている。
撮り終わったココアの香りが、まだ此処にまでただよってくる。
甘ったるい。
チョコレート。
「合法だからだよ、機構さん。今のところぼくは映画を撮ってはならないと裁判所に命じられていない。だから撮る。きみのような人には解らないだろうね」
「わたしのような、ひと」
「うん。機構に就職できるくらい成績がずば抜けていて、いい値段しそうな金のネックレスをして、容姿だって悪くない人。尊顔貴族なのに珍しいよね。ぼくの映画にチョイ役で出たかったら出してあげてもいいよ」
言葉に詰まった。
「きみはどうやら魔法を見るのが得意なんだね。さっき犯行の魔法がどうこう説明していたから、ぼくを逮捕したくてうずうずしていたあの機構のおじさんよりそのへん優秀だ。ってことは、見れば分かるんでしょ? ぼくの魔法のことも」
「えっと……」
「いいよ、言ってみて」
わたしは完全にラムネ監督のペースにのまれていた。困り果てて口ごもりながら答える。
「ラムネ監督は……発達障害ですね……?」
「うん、正解」
鷹揚に監督が首肯する。
「ぼくの創作撮影魔法が世間に知られて、みんなあまり気づいてないみたいだけど、ぼくは創作魔法を使いたくて使ってるんじゃあないわけ。『全書』を全コピーして書かれたとおりの魔法を発動すること、そんなごくあたりまえのことができない発達障害だ」
ますますきまりが悪くなった。わたしはうつむいた。
「ぼくの撮影系創作免許は、よりよい映画を作るための素晴らしい免許なんかじゃなくて、『全書』を使えないからやむを得ず取得した免許でしかないんだよ。ねえ考えてみて、恵まれた人生の持ち主さん」
くらくら、する。
「幼稚園児でも『全書』魔法を毎日何十個も使うような現代において、魔法がなければ生活がままならない現代において、誰もが当然『全書』を使用する現代において、無免許の創作魔法が死と隣り合わせで、法で禁じられている現代において」
整った顔をした俳優たちがほがらかに談笑するシーンが撮影され、スタッフの一人が監督を呼びに走ってきている。俳優たちは先ほどまでの談笑が作りものであることを強調するみたいに、スタッフへ怒鳴り散らしている。
「『全書』を全コピーする能力が欠如した不良品の子どもが、創作免許の取得可能年齢まで、どんなふうに過ごしたとおもう? 親が誕生日を祝ったとおもう? クラスメートが遊びに誘ったとおもう? 学校でオールAの通知表を与えられたとおもう? いい企業から内定が出たとおもう?」
監督がスタッフに軽く手を振りつつ、わたしにやわらかく微笑みかけた。
「ほらね。きみのような人には解らない。正直、犯人のことが多少理解できるよ。ぼくには映画という合法的手段が在った。でも犯人には無かったんだね。さっきあの青年をとてもいいと言ったのも同じ理由だ。彼は、
自分の胸元に垂れ下がったペンダントトップを握りしめた。ちょっといい値段の純金製だ。わたしの手のなかでゆっくりとあたたまっていく。
「犯人がどんな人物なのか気になるな。捕まったらアルフォードさんに訊いてみるよ。……んじゃ、楽しい時間をありがとう。いくらでも調べていいからね」
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