2-06
訊くまでもなく意図はすぐに説明された。
「J聴音士。稼げるだけ時間を稼いで全力で魔法を読んでくれ」
二重人格か、と疑いたくなるぶっきらぼうな物言いで指示をくだす先輩が、いつもとは打って変わってわたしにあわせて歩調をゆるめ、喫煙所に向かうのを、わたしは納得しながらてててと追いかけた。
「なるほどです、レト先輩変なものでも食べて性格が変わったわけじゃなかったんですね」
「無駄口はいいから魔法を読め」
魔法を「読む」と表現するところが、シュプール師――魔法陣の文字列を視覚的にとらえる資格者らしい感覚だった。聴音士のわたしにとって魔法は間違いなく「聴く」ものだもん。同じものが違うとらえかたになることは人間の面白さの一点だよね。ラムネのラム酒と根監督にとって魔法ってどんなものなんだろう。監督は何気ない日常シーンに意味不明なモチーフを入れこむことで有名だけど、いろんなパターンの化学反応を見たいのかな、とかわたしはおもった。
喫煙所は撮影現場から離れたところに〈分煙〉で囲って設けられていた。創作系魔法は繊細なため、撮影内容に直接関係しない食事や休憩、着替え、化粧室、喫煙などはだいたい中心部から離す、とレト先輩が不機嫌に教えてくれた。わたしたちは映画の邪魔をしないよう騒がしい魔法と魔法のあいだを縫って歩を進めた。
自分の十六年の人生でお目にかかる機会が無かった特殊な魔法が全方位から鳴り響いて、聴き分けようとしていたらくらくらっとした。だって、ほんものの映画撮影だよ? 無風状態を作る範囲魔法、影法師を引き伸ばす魔法、雑音を消して台詞をよく拾う魔法、自然な手ブレを加える魔法、ココアの香りを際立たせる魔法……。魔法で景色が余所行きの服に着飾られてゆく。世界を七日間で作った神様の真似事を畏れ多くも人間が犯してしまっている、みたいな。人の手で現実が編集されていく。
『魔法陣百科全書』の映画関連項目をひいてみた。でも、調べてみる前から『全書』にあるような型どおりの陣じゃないのは分かりきっていた。ラムネ監督は映画関連の魔法創作免許を持つことでも知られている。わたしは先輩の指示に従って「聴く」ことに集中した。
整った顔立ちの俳優があたたかいココアを女の子に差しだすシーンが写しだされていた。撮影内容がおおきく表示されているのでわたしにも見えたのだ。かなしい場面っぽくて、いやわたしがストーリーなんて知るわけないんだけど、かすかにセピア調のものがなしい印象を受ける撮りかただった。俳優の顔がアップに映って、さすがにみとれる。
でも。
そうっと隣の燃えるような赤い髪を盗み見た。
墓無し、かもしれない執行人。使いこんだ傷だらけの拳銃を握る金属の右手。声を荒げることはなくもの静かにしかし激しい殺意に満ちた人。視界のすべてを撃ち殺したがっているかのような鋭い眼光。
あやうい強さ。
氷の彫刻じみた美しさだ。
……こう言っちゃなんだけど、わたしは自分自身について、人から可愛いねと評価されやすい顔面なのは自覚していた。でもさ、彼はそういう万人受けする整いかたとは何層かズレている。あっちでココアを持ってかなしげに喋っている俳優がどんだけイケメンでも、この感じは出せないだろう。
唯一無二でいられることが羨ましかった。
「にしても先輩、急ににっこにこするからびっくりしたじゃないですか」
沈黙に耐えかねてわたしは適当に話しかけた。「無駄口はいいから」とか言われたばかりだけど無駄口ばんざい。撮影現場から追いだされる前にできるだけ怪しまれないで情報を得たいのに、機構職員二人して黙りこんでるほうがなんか調べてますよ感がでちゃって怪しいじゃん。
目まぐるしく発動する魔法を聴き分けようとしていた。考えごともしていた。騒がしかった。ココアのイケメン俳優顔面ドアップに気を取られてもいた。
「ね、先輩聞いてます? さっきほんとうにびっくりしましたよ、できないんじゃなくてやらないだけなんですね――」
だから口を滑らせた。
――しまった、とおもった。油断していた。言うつもりのなかった言葉が口をついてでた。自分でおもっていたよりずっとわたしは動揺しているらしい。動揺どころじゃ、ない。猛烈な怒りが突発的に爆発しそうになる。なんだこれ。ああ、やばい。
あはは、やばいね。
愛想よく振る舞うことも社会人として最低限の義務だとわたしは絶対的に信じているし、それをやらない人間は怠慢だ。
――わたしは。
「円滑な人間関係にはパフォーマンスが推奨される場面もある」
どうでもよさそうにレト先輩が答えた。
「円滑な人間関係? レト・V先輩なのに?」
――わたしは、吐き気がするほどレト先輩を嫌悪している。
怒りよしずまれ。
笑顔でいなくちゃならない。
深く息を吸う。
しず、ま、れ。
――――先輩が振り向いて、わずかに、ほんとう見過ごしそうなくらいに少しだけ笑った。
「……いい度胸だな?」
わたしたちは喫煙所に到着した。
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