2-05

 打ち止めになりかけていた奇形の天使事件に新しい糸口らしきものが見つかり、その場で捜査は再開となって、わたしの昼休み明けの予定は単調なマナー研修からラムネ監督の任意捜査に変更された。魔法社会では殺人がダントツで重罪だ。研修はあとからやり直せるからということらしかった。


 殺人を一度でもやれば「墓無はかなし」と呼ばれてほかのどんな罪とも区別され、できるだけすみやかに処刑されてお葬式もお墓も作られない。


 なんでかっていうと、そりゃ人を殺しちゃ駄目でしょっていう倫理もあるけど、物理的に殺人者の体質が殺人を犯した瞬間に変わる事実があるからだった。生きているうちは見分けがつかない。でも殺人者は死んだあとに遺体が霧のように消えてしまう。


 原理はいまだちんぷんかんだ。昔、だいたい七百年くらい前に人々が魔法を使い始めて以来そうなったらしく、魔法の副作用なんじゃないかって説が有力ではある。遺体が残らないので最初のうちは「殺人者にも人権を」とかなんとかからっぽの棺をお葬式で燃やしたり埋めたりした時代もあったみたいだけど、次第に殺人者のお葬式は行われなくなり、お墓も禁止される風潮に変わっていった。


 体質の変化はなんぴとたりとも逃れられない決定事項だった。殺した理由に可哀想な事情とかがあっても関係無くて、生前頑張って罪を隠したって最期には徹底的にバレる。神様の裁きって感じがする。


 わたしにしたら昔の人たちが殺人罪の秘密を墓まで持っていけたことのほうが信じられないけど、魔法期以前の古い推理小説はそのあたりでトリックに深みが出るし、「殺人者の遺体が消えないIF設定」の現代物小説が定期的に流行ったりして、読書家としてはここんとこ語りたいことやまほどあって、あー、このままだと脱線しちゃうな。


 とにかくだ、人を殺せば理由に関わらず墓無しの体質になるから、たとえ機構職員であっても正当防衛をためらって、捜査の途中などに犯罪者たちの手でぽっくり殺されちゃうのが問題も問題、大問題なのだった。


 ややこしいことに、墓無しは神様から「人じゃないもの」と認識されてるっぽくて、殺していいことになっている。つまり、殺人者犯罪者の死刑執行については無罪とされ、体質の変化が起きない。法律上も合法だ。つっても、怪しい人がいきなりめちゃめちゃ刃物振りまわしながら突進してきているとき、まさにその真っ最中に「こいつはどっちだろう?」なんて悠長に悩む暇があるでしょーか。あはは。


 よって機構には殺し専門の「執行人」という立場の職員がいて、部署としては執行課がある。執行課の全員じゃなく一部の戦闘職員だけだけど。相手が墓無しであろうとなかろうと躊躇せず殺れる専門家。汚れ仕事全般を担う殺人集団。必要悪ってやつ。殺し、殺され、数日とか数ヶ月とかで消えてしまって、また新顔が増えて、入れ替わり立ち替わり殺し殺される。


 レト先輩はそれだ。


 彼のことをわたしはほとんどなにも知らない。レト先輩自身がすでに墓無しなのか、それとも今まで執行課で殺した人たちがみんな墓無しで、先輩の無罪は維持されているのか、判らない。現場に進んで行きたがる心境も想像がつかない。


 わたしの隣で不機嫌そうに眉をひそめつつすっと背筋を伸ばして歩を運ぶ先輩が、人でごった返した撮影現場を横断しつつ、付近でこけそうになっていたスタッフがいたのをさりげなく引っぱってあげたり、落っこちてきた荷物を拾って持ち主に手渡したり、わりと意外な一面を見せていて、そして、そうしながらも拳銃をいつでも撃てるよう体勢に注意を払っている先輩が、いったいどんな人生を歩んできたのか解らない。


 さっきラムネ監督が「きみたちと話していても新しい感情を得られそうになくてつまらないな。ぼくは仕事に戻るよ。あとはほかの人に訊いてくれる?」と強引に撮影のほうに行ってしまったのを見送り、「……令状取るしかねぇな?」犯罪課の班長が苛々とぼやき、不意にその場を離れたレト先輩にわたしは慌ててついていく。あくまでわたしは執行官のサポート役であって死刑の実行は業務外なんだけど、機構職員はバディ行動が原則になっていて、いざというときのためにレト先輩と一緒にいなきゃいけなかった。


 撮影現場を勝手に歩くこと数分、先輩が急に立ちどまった。近くでお弁当を数十個ずつ〈瞬間移動〉であちこちに配布していた撮影スタッフの一人に、声を掛けた。


 わたしは自分の耳を疑った。


「お忙しいところ申し訳ございません。魔法管理機構のレトと申します。もしご迷惑でなければ、喫煙所をお借りすることは可能でしょうか?」


 は?


「機構さん! そうですね、喫煙所――大丈夫たとおもいますよ。〈分煙〉などの余計な魔法は撮影魔法の邪魔になるから、ここでは吸わないでください。あっちの白いテント見えます?」


「ええ、あちらですね。独断で〈分煙〉をせずおうかがいして正解でした。ご親切にありがとうございます」


 え? は?


 なに、えっ、ええええっ、なんなのそのさわやかなお礼は!?


 レト先輩は謎の好青年ぶりを発揮して信じられないくらい感じよくスタッフさんに会釈している。


 ……気でも狂った?

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