Part.2 超芸術トマソン:美の観点からは有用な無用の長物

2-01

「ご飯ちゃんと食べてる? 夜は眠れてるの? 会社に意地悪な人はいない?」


「もうっ、会社じゃあなくて機構だってば。魔法、管理、機構! 公務員だからね?」


「そう? それはいいけれど仕事うまく溶けこめてるの? パワハラとかされたらいつでも帰ってきなさいね」


 お米と苺を送ったよと一方的にまくし立てて電話は切れた。


 四月ももう中旬だった。日中はアウターが要らないくらいあったかくなって、真新しい制服のジャケットはちょっぴり暑い。でも服なんてあんま持ってないし、私服(っていうかオフィスカジュアル?)で出勤する先輩たちもいるけどわたしはそうしない。


 お昼休み中の事務室に戻ると隣の席のソフィアさんが空中ディスプレイにモーション入力で補正した思考入力を高速でやりながらちらっとわたしを見る。


「保護者のかた?」


 喋りつつすごい勢いで書類が作られてく。


「マ……母です。苺を送ってくれたっていう連絡でした」


「お母様はムメちゃんが心配なのねぇ。とっても優秀さんだから忘れがちだけど、まだ十六歳だものね」


 苺だなんて高いもの、買わなくていいのに……。


 わたしはなんとも言えない気持ちで顔面だけ笑って取り繕い、食事を再開した。


 隣の席のソフィアさんは休み時間なのに普通にめちゃくちゃ仕事をしていた。なにやらわたしには分からない書類を作っては送って作っては送ってる。反対側の隣はレト先輩だけどこの二週間くらいほとんど席にいなかった。いつも現場に出てばっかで時々戻ってきても定位置の窓で煙草を吸ってる。


 見おろした視線の先に簡素なお弁当があった。白米ともやしの野菜炒めと梅干し。もやしってすごく安い。お米と梅干しはママが送ってくれたやつだ。


 今月入局した職場で覚えることは山のようにあったけど、わたしは暗記するのが得意だったし、コミュニケーションも計算すればだいたいなんとかなるしで、概ね仕事はうまくいっていた。パワハラしてくる人も入局初日の発砲事件がそれにあたるなら一件だけ、セクハラや残業なども無くてみんな優しい。むしろわたしのことを頭がいいとか素直だとか褒めてくれて、みんな嫌な顔せずいろいろ教えてくれた。


 と、事務室のドアが開き、長身の白衣が無糖珈琲持参でするりと入室してくるなり「ソフィアさんんんんジェトゥエさんんんん聞いてくださいよおおお」深いため息とともにこっちに突進してきてレト先輩の椅子へ脱力するみたいに腰をおろした。


 白衣の背中側の結構下のほうに血がべたっ、ついてるのを見つけてわたしはぎょっとしたけれど、ラクロワ先生は意に介さず珈琲をぐびぐび飲む。ぐびぐび。ぐびぐび。今時珍しい物理的な眼鏡の横顔をわたしはあぜんと眺める。


「ひどいんですよ!? 四月一日づけでうちの部署に異動してきたはずの上司――上司? 上司なんですかね彼は? ああもうとにかく遅刻癖をこじらせすぎてただいま絶賛行方不明中でして、二週間無断欠勤ですよ? 脳みその代わりに鳥の糞が詰まっているとしか考えられません! それにどこぞのお馬鹿患者さんは現場でいのち知らずな行動をし続けて毎晩のように血まみれで俺の部屋に『暇か?』と訪ねていらっしゃいますし――」


 レト先輩の机を軽めにガンッと蹴る。


「『暇か?』じゃないんですよ、たとえ暇でなくとも俺は医師です、やりますとも、ええやらせていただきますとも。そのうえ人の部屋で煙草を吸いやがるんですよあの人。慌てて〈分煙〉をかけてさしあげました。健康のために減らしなさいと言ったら、ええ、そりゃ俺は医師ですからね、言いますよ? そうしましたら彼はなんと答えたとおもいますか。『健康的に吸う煙草に意義はあるのか?』」


 よく喋る人だった。ラクロワ先生は机にだるっと頬杖をつき、ソフィアさんに懇願した。


「あの馬鹿を現場にばかり行かせずに済む方法はございませんか? 先月相棒を失ってからというもの、一人で突っ走って危ない目に遭うことが多くなっています。現場を減らすのが難しければ彼のマグカップがどれなのか教えてください。ボツリヌス菌を塗りたくっておくことにしましょう」


「そうねえ……」


 ソフィアさんが相変わらずの高速入力を続行しつつ思案顔で答えた。


「あの子はSランク登録の戦闘職員でしょ? 世界中で十人ちょっとしかいないエリート中のエリートだから、機構内であちこちの課から呼ばれちゃうのよ。うまいこと考えてみるわね」


 ラクロワ先生のマシンガントークをどっか遠くに感じながらふと、レト先輩のことをおもい起こした。


 四月一日火曜日の、午後。入局式と懇親会(という名の立食パーティー)を終えて中央局特殊行政部執行課の事務室に初めて足を踏み入れたとき、窓辺へ寄りかかってゆったり紙巻き煙草を吸う先輩が見えて、わたしは衝撃を受けたのだ。


 めちゃくちゃなイケメンだった。〈変化へんげ〉で見ためを偽ることが原則禁じられた「尊顔貴族」に、こんなかっこいい人がいるのかとびっくりした。


 鋭く燃え盛るような赤い目とほどよく無造作なアップバングの髪、整った顔立ちは中性的で、線が細いからだに黒っぽい無骨な義手を両方剥きだしでぶらさげて、敵意に満ちた――でもどこかアンニュイな視線をまっすぐに外へ向け、そうして非常に高価なはずの煙草をすぱすぱ消費していた。仕草のぜんぶになんとなく気品を感じさせる不思議な雰囲気があった。


 攻撃的な言葉をわたしやそのほか周囲に撒き散らしていても、銃口をためらいなく向けてきても、育ちのよさ的なものは消しきれてなかった。珈琲を飲む丁寧な手つきや、カップの縁に液垂れの汚れが絶対に無いこと、外出から戻ったり食事前だったりのタイミングできちんと手を洗って、毎日洗い替えしてるハンカチで拭くこと、机はよく整理整頓され、わたしと一緒に移動するときはさりげなくドアを開けてくれて、車道側は彼が歩くこと。挙げればキリがない。


 育ちがよさそうな先輩をわたしはひとめで嫌いになった。

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