2-02

 今年度の入局者数十人みんなが入りきる広いフロアもしくは該当者数人だけ個別に特殊行政部の事務室で、じつに研修っぽい研修をわたしが新社会人として受けているあいだ、奇形の天使殺人事件はちっとも進展していなかったし、なんならやたらニュースで目立ったせいで一般人たちから変な問い合わせやクレームの電話が絶えなくて、情報がぐっちゃぐちゃに入り乱れてわけ分かんなくなっていき、機構職員たちは迷惑そうにしていた。


 アリバイの整理や遺留品の鑑識などで事件を解決できた時代とは違い、今の事件捜査といえばもっぱら魔法痕跡の解析に時間が費やされる。魔法陣は一人一人指紋が違うように「陣紋じんもん」と呼ばれる癖があって、魔法だけ調べればだいたいは犯人がはっきりこの人って分かっちゃうし、そもそも目先の物的証拠は魔法でどうにでもできてしまうから調べる意味がそんなに無かった。


 例えば、本に出てくる名探偵とかのあの手に汗握る推理のワクワク感は皆無で、殺人事件が事務作業でもしてるみたいな淡白さで次から次に処理されてくイメージ。わたしはこの二週間で正直だいぶがっかりしていた。


 本が唯一の友だちだった。


 時代遅れのつまんない人間って言われてしまったらそこまでだけど、魔法技術によっていくらでも派手な遊びかたができるこの時代に、わたしは独りぼっちで学校の図書館にアクセスして古典推理小説を端から端まで読み漁るような人間だった。


 だから、魔法管理機構から内定が出て「ジェトゥエさんは聴音士の資格があるので、給付部の百科全書課か、開発部の魔法研究課、魔法装置開発課、魔法影響解析課、または……手当が一番多い代わりに戦闘職員の補佐役として危険を伴う、特殊行政部の執行課……」と内定式後の面談で言われたとき、執行課ってあれじゃん、警察のうえの立場で変わった魔法犯罪を担当する課じゃん、うわぁ! そりゃあ即決するに決まっていた。


 で、今はがっかりしていた。いいけどね。お金がもらえるならそれがいっとう大切なことだ。


 わたしが高卒ですぐ働きにでたのは安全とか楽しさとかやりがいとかどうでもいいからとにかくなにがなんでもお金がほしかったためだった。ママに楽させてあげられるたったひとつのやりかた。わたしの成績は先生たちに言わせれば「教員人生でこんなに頭がいい生徒は初めて」ということでしきりに進学を勧められ、とはいえうちには学費なんか無いのだ。


 ママはおおいに反対した。反対も反対、大大大反対で、珍しく我儘を言うわたしに泣きながら訴えてきたけども、まあ、だって執行課が聴音士を募集してる理由があれだもん、先月殺人犯との戦いで死んじゃったせいで、でもさ。


 ――わたしの死体が大金になるんならそれでもいい。


 ママは病気がちだった。貧乏なのに寝る暇惜しんで働いて、からだが壊れすぎて動かないときは這ってでも髪や魔力や臓器を売りにいって、それでわたしを育てなきゃなんなかった。今度はわたしがママに恩返しをする番だ。


 四月のお昼休みは秒針がのどかにのんびり動いている。誰かがつけっぱなしにしたテレビからこの前公開されたばかりの新作映画のCMが流れる。ラクロワ先生がふあ、と隣で控えめなあくびをした。彼は引っぱりだこのお医者さんで、自分の席で休憩しようとすると結局仕事させられてしまうので、ぜんぜん違う部署の此処まで昼寝しに逃げて来てる。


 ソフィアさんがやっと仕事を中断して食堂に焼き魚定食を注文した。〈瞬間移動〉でランチが届けられるまでお子さんに電話をし始める。どっちのお子さんかな……ああ、これは妹ちゃんのほうだ。「昨日ちゃんと荷物確認してって言ったでしょ、絵の具忘れたって泣いてもしかたないのよ、ママ今職場なの」と困った口調で話している。


 わたしはそんな二人を尻目に高校生活の延長みたいなマナー研修で敬語についてクッション言葉がどうのこうのと学んだあと十二時ぴったりから十三時ぴったりまで単調でなにものにも侵略されないお昼休みが与えられ、安いもやしのお弁当をもそもそ、もそもそ、食べてる。


 あーあ。


 あー、あ……。


 早く殉職者になれないことが情けなくてもそもそともやしを口に突っこみながらなんとなく眺める先で国営チャンネルが新作映画の特集を始めていた。流行りものに疎いわたしでも知ってる話題の若手監督。これまでの作品は国内のあちこちが舞台になっていて、ファンたちのなかで聖地巡礼旅行がブームなんだそうだ。その地名一覧を見て、わたしはあれっと気づいた。


 もしかして、奇形の天使の……。


 乱暴に事務室のドアが開けられて、片手をポケットに入れたレト先輩がいつものひどいしかめっ面で歩いてきた。着崩した戦闘服も指に挟んだ煙草も悪ぶっているけど、凛と伸ばされた背筋と洗練された歩きかたに育ちのよさがただよっている。


 やっぱり嫌いだ。


「おい。どけ」


 疲れきってすうすう寝息をたてていたラクロワ先生の椅子をドガンと蹴る。


 やっぱり嫌いだ。


「……わ!? これはこれは、我が親愛なるお馬鹿患者さんじゃありませんか。お元気ですか?」


「失せろ」


「あのですねぇ、俺はこれでも一応友人の心配をしているんですがね? 今いったん診せてくださいよ、夜まで放置するよりマシでしょうが? それに煙草は減らしなさいと昨夜言いましたよね、もしかして記憶力がダチョウ並みなのですか? あはは、あなたがダチョウくらい可愛げがあればまだ救いようもあったのですが、神様とはなんと残酷なことでしょう? 何度でも言いますから耳をかっぽじってよくお聞きください、煙草には気管支炎などの健康被害が――」


 仕事モードに切り替わったラクロワ先生を無視して彼は所定の喫煙所に向かいつつ、くわえようとしていた煙草をいったん離して咳こみだした。結構激しい咳だけど無理やり呼吸ごと止めようとしている。無造作にポケットから吸入器を取りだして吸いこんだ。そして直後、煙草をくわえた。


 やっぱり、嫌いだった。

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