間奏 1-4

 そのままグレイを探しに行くと談話室で姉御にからまれていた。


 ソファーのまわりに姉御が空けたらしい缶ビールが三本転がり、精緻なレースのストールがかなぐり捨ててある。背もたれにはストライプ柄のテーラードジャケットが無造作に放ってあった。僕はゴミを集め、ストールを拾いあげて丁重にたたみ、ジャケットは皺にならぬようふんわりと二つ折りにしてソファーへ置いた。


 カンッ、高らかにピンヒールが鳴る。


 スリットの深いタイトなロングワンピースから褐色のふとももを見せつけるようにして鋭く上段蹴りを繰りだす姉御を、グレイが顔色ひとつ変えずにやり過ごす。その陰から豪速の大剣がグレイめがけてうなり、木材でできた細い杖一本で受け流され、「あーん!? プリーズ! 棒立ちプリーズ!」とかなんとか続けざまに暴れさせる大剣の、あまりにハチャメチャな軌道。機動的でおそろしく正確。軽々しく重い斬撃。殺気。


 不死者は殺しても死なない。


「おい。一度くらい私を殺してみるのではなかったか? 遠慮は要らん。楽しみにしている私を退屈させるな」


「こんの、性格破綻者ぁぁあ……!」


 姉御は若くして魔法管理機構にスカウトされるほどのずば抜けた戦闘力を持つけど、グレイに言わせれば「……まあ、年齢にしてはやるほうだと言っていいだろう。年齢にしてはだが」ということらしかった。機構観測年齢五百歳以上にこう言われてはひとたまりもない。


 戦闘訓練をするにしては狭すぎる病棟の談話室で、姉御が床にねじ伏せられるまで五分もかからなかった。〈防音〉を解除しながら髪を乱した妖艶な美女は甘くささやいた。


「ねーえ、クォルフォア教官? 人のこと大胆に押し倒しちゃってさ。……誘ってんの?」


 はだけたワンピースから長い脚をグレイの背にまわす。


「ふむ。あいにくだが、歳の離れすぎた女性には興味がわかんな」


「クソジジイ」


「十歳児の前で教育上よろしくない言葉を使わないでいただきたいものだ」


「んあ!? おっ、ヴィーノくんじゃねーか! やっほー! 今日も可愛いな!」


 姉御が床から飛び起きてものすごい勢いで僕に抱きついた。後ろからグレイはゆるめていたネクタイを締め直しつつ悠然と歩いてくる。


 素人目にも二人の洗練された攻防がどれほどレベルが高いかが判る。これだけ能力を有していれば人生はどんなに輝かしいものになるんだろうな、そうおもったら涙がこぼれそうになった。


 彼らに――全人類に許された生きるためのあらゆる権利が、自分にだけは許されていない。だから僕はゴミを拾ってストールとジャケットをたたみ、感じよく微笑して敬語で挨拶をするのだ。


 深々とお辞儀をしている途中で姉御に頭をどつかれた。


「ヴィーノくん、おめーなんかあったろ。さては喧嘩だな? アザだらけでへらへらすんなよな、馬鹿たれ」


 ぐりぐりぐり。


「なんでもないことでございます。ご多忙中のところご心配をおかけし、まことに申し訳ございません。僕の不徳のいたすところです。どうかお気遣いなさらぬようお願――」


「ふはははは、やだね! 断固お断り! 心配してしてしまくってヴィーノくんのせいで寝こんでやらあ!」


 ぐりぐりぐり。


 すっぽりと姉御の両腕に包まれ、体温が徐々に全身へ伝わってくる。解凍してくれるような人だと、いつも感じている。あたたかさを受け取ってはいけないとおもう。権利が無いのだ。ついぽろっと問いがついて出た。


「……姉御は、どのような理由で生きていらっしゃいますか」


「あん? 生きてる理由? そんなん楽しいからに決まってんだろがい。むしろほかに理由なんかあるかい? あたしはしたいことだけしたいようにするって決めてんのさ。誰にも文句言わせないね」


 は――?


「………………自由、ですね」


「そりゃあそうよ。笑える昔話だけど、あたしに『自由に生きるな』つったやつがいた。あたしは生涯をかけてあいつに反抗してやるんだ。百歳のババアになるまで一生反抗期さ。どんな理由で産もうが関係ないね。へその緒切った時点であたしの人生はあたしのもんだ」


 髪がぐっちゃぐちゃになるくらい乱暴に頭を撫でられる。


「ヴィーノくんがポカやったってあたしゃおめーが大好きさ。ケツ持ってやるよ。なんでもやってみい。おらおら!」


 ぐりぐりぐり。


 遠すぎて、途方もなくて、影の色に濃さを与える真夏の直射日光みたいで、かえってこの世にひかりなんか無いんだとまざまざ突きつけられたようで、先生を失った人生はもうからっぽなんだとおもいしらされて、僕は息をするのもやっとだった。


「ほう。生きる理由か」


 稀有なことにグレイが会話に入ってくる。白銀の長髪のあいだから不気味な美貌を淡々と僕に向けて鼻で笑った。青年は鷹揚にソファーで脚を組む。


「ミームというものがある。非遺伝的な方法で人の脳から脳へ複製される情報全般のことだ。たとえば戦闘技術、医療知識、芸術、宗教、ファッション、物語、マナー、政治など、文化・社会に関する情報だな」


 前触れなく始まった講義に僕も姉御もぽかんとしていたけどグレイはまったく意に介さず無感情な声で喋り続ける。


「ミームからすれば、貴方がたも私も人間は全員がミームを複製し伝達し進化させるための一つの駒に過ぎない。ところで、人間の脳は古代からほとんど進化がないらしい。食料をまともに確保できず、激しい生存競争のなかで生殖に明け暮れ、殺しあって生き残るしかなかった時代の脳だ」


 小難しい話をしながら小難しそうな言語学かなにかの紙版本しはんぼんを開いた。紙のページに静かに視線を落とす。


「よって我々は時代に即さない本能を持つ。TVは数百年間毎日殺人や食べものの話題を繰り返し、一夫一婦制の現代に不倫が横行し、政治家たちは不必要な戦争を押っ始める。時代遅れの非合理的な脳はあやまつときも多々ある」


「……クォルフォア教官、これなんの話さ?」


「歴史は繰り返すという。人間は過ちを犯す。ましてや種の存続のため個性を与えられた我々は多種多様な過ちでもって試行錯誤する。では、犯罪を犯した者や天動説を信じたまま亡くなった時代の人々など、現代のマジョリティと比較して『間違えた理論を持つ』人間が、生きる意味も無いほどに劣った生命だったか、いのちとしての価値を問われれば私は否と答える」


「はぁ……?」


「あやまつことがあろうと本人たちにとって人生は有意義であったと感じてよいはずだ。批判したい者にはさせておけばいい。この世に絶対的正しさというものは存在しない。正誤も主義主張もその大小もおのおのの立場から見た解釈のひとつにすぎず、解釈は無数に在り、どれも正しいがどれも正しくはないまま、時代の変遷に流されていくだけだ」


「……なあ、ヴィーノくん。クォルフォア教官って飛躍がやばすぎてなに言ってんだか分かんなくない? こんな感じで国立学園の講義してんのもだいぶやばくない?」


「ミームが貴方がたや私やその他大勢の人間の脳という非合理的な飛び石を幾星霜地道に歩んだこの星、この宇宙が、最終的に何処へ向かうのか、意味や価値や正誤等々をめまぐるしく更新し、数百数千年後の人間がこの世をどのように定義づけるのか、そこにいたるまでの過程と結果と予測に、私は少しばかり関心がある」


「……」


「……」


「なんの話か、とは? 生きる理由についてだが」


「……幾星霜?」


「ああ。ミームの進化、つまりある程度のおおきさで推移を観察するならば、最低でも数百年単位で考えるべきだ」


 規模が違った。


 呆気にとられた姉御が「あんたそんな顔で文化とかに関心あったんかい……」と気の抜けたような感想を述べた。


「いや、関心を持とうとすることができる、というところがより正しい」


「あん?」


「人間はなんにでも意味を見いだそうとする生きものだ。科学と魔法が発展した現代においても陰謀論やら星占いやら都市伝説やらがなくならないのはそのためであろう。生殖して生き残って広がることを生物・遺伝子の目的として見たとき、人間は感情やらなんやらで脳機能の無駄遣いをしているわけだが、それらにいっさい意味を見いだせずがらんどうの状態でいることのほうがまあいろいろと危険だ。この本でも」


 今時めったに見かけることがない紙の本を指し示す。


「文章の最小単位をどこととらえるか、形態素で区切るのか音素で区切るのかによって、いちいち意味づけを変えて長々と言語学を論じているありさまだ。人間はそういうものだ。脳機能の無駄遣い部分に重点を置き、生きる意味を求め、生涯かけてさまざまなことを論じ、楽しむ。私は自分がどの対象に関心をいだくことが可能か考えた。今後何百年暇つぶしせねばならないか分からんからな。――紅玉」


「はい、グレイ」


「うまく生きる方法とは、理論だ。生き延びるために自分にとって都合のいい理論を考えだせ。なにも無いよりは偽薬でもあったほうがましだ。適宜更新すればいい。プラセボ効果というが、にせものであっても一時的な鎮痛効果は得られる」

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