間奏 ミーム:かけがえのない馬鹿への友情表現方法

間奏 1-1

 きっかけは覚えていない。


「貴方の品性の無い言葉を聞くたびに、いったいどのような遺伝子を受け継ぐとこうなるのか考えさせられますね」


「……あぁ!? てめえが性病にまみれたアバズレの股から這いずり出たからって俺の母親を侮辱する権利はねえよ。第一、言語獲得とその選択・使用は生得的能力じゃねえ、習得的能力だ。てめえの脳味噌もママそっくりのオガクズか?」


 どうしようもないほどに僕たちは正反対だった。暇さえあれば言い争いになったし、毎度きっかけなんか忘れるほど長々とやりあって、くだらない方向にヒートアップした。


「…………あのさぁ、ノアトくん、ヴィーノくん、あたしゃ超絶難解レポート書くのに忙しいんだよ。クォルフォア教官が講義の最後にいきなりクソみたいな課題出しやがったからさぁ。まじで、横でギャーギャー喧嘩すんのやめろ? てゆうかこれ十歳たちの喧嘩かよ、世も末だねぇ」


 ノアトと僕が同時に言った。


「姉御、お騒がせして申し訳ございませんが、母を侮辱されたままにはしておけません。ご理解のほどお願いします」


「ブスは死ね。てめえの息で空気が汚染されるわ。存在そのものが環境破壊促進だしドタマぶち抜いて死ね」


 姉御がこれみよがしに溜め息をついた。


 機構内で僕たちとともに行動することが多い戦闘職員の姉御は、おおきくあいたVネックから学園一年生の十八歳とは到底おもえない豊満な谷間をのぞかせて、談話室のソファーにゆったり腰掛けていた。真っ赤なルージュが塗られた厚めの唇と物事の本質を見透かすようなハシバミ色の瞳、褐色の妖艶な肌、つややかに腰へ流れるストレートヘア。控えめに言っても「ブス」からは程遠かった。


「んで、てめえ。なにが『母を侮辱された』だよ? 単なる事実だろうが。てめえのママみたいに性的欲求に忠実な人間以下のドブネズミを『アバズレ』以外のなんと呼ぶんだ? あぁ?」


「僕は貴方のご両親の遺伝子を疑問視しただけであり、人格を批判したわけではありませんよ。言っていいことと悪いことの判別もつかないとは、貴方こそ脳になにが詰まっているのでしょうね?」


「おいおいおいー、ガキどもー、いい加減にしろー」


「遺伝子どうのこうのって要は両親ならびに先祖への批判だろうがよ。死ね」


「貴方と同じ土俵に立ちたくはありませんが、言うのでしたら貴方のお母様だって自殺を――」


「あぁ!?」


 僕たちはたくさん喧嘩をしたけど、暴力沙汰にはならなかった。片方は呆れるほど運動音痴で、片方は身体障害者で、おまけに二人とも魔法を使えない事情があった。


 やがてグレイが毎度のごとく遅刻して談話室にやってきた。機構で僕たちの監視と教育等々を担当する大人で、「有史ただ一人の不死者」だとか「世界最強のSSランク国際戦闘資格唯一の登録者」とか、そのほかにも「国立学園の教員」「一級国際追跡技士」「シュプール師」「聴音士」「機構記憶技術者」はたまた「影の最高権力者」まで、数多くの二つ名を持つ男だ。


 貸し切り状態の談話室で十歳児たちの不毛な悪口の応酬を一目見るなりグレイは無言でもと来た道を引き返そうとした。


「仕事サボんなよー、クォルフォア教官ー」


 姉御がピシャリと釘を刺した。


 真珠先生の長期監禁事件から救出され、機構で治療を受けながら捜査のために事件について覚えている限りのことを情報提供して過ごすこと、数週間。


 魔法が使えればほんの何時間かで正確な記憶を〈供述書〉でまとめて提出できるけど、僕の場合は昔ながらの手法――つまり会話で提供するしかなく、記憶も混濁していて、供述は二転三転し、ついでに僕を迎えにくるべきお母さんは音信不通だったので、結果的にずるずると入院していた。


 ノアトは同時期に機構に来てすでに医師として新人研修を受けていた。僕はただの被害者であるということ、保護者がいなくてひとりぼっちであること、雇ってもらえる秀でた能力を持っていないことなどを引け目に感じ、同い年のノアトへだけは喧嘩腰になることが多かった。


 姉御は在学中に機構からスカウトされるほど優秀な戦闘力を持っており、仕事と学業を両立させつつ、何処かの王宮に潜入するための準備をしていた。グレイはこのとき体調を崩していて、いや、このときというかいつもものすごく虚弱体質ではあったけども、特にこのときはひどくて、現場にはあまり出ずに異端の未成年三人を監督していた。


 四人でつるみながら、なんともいえない風変わりな人間関係を僕は心地よくおもっていた。救われていると言っても過言じゃないかもしれなかった。いつまで続くか分からない、今日明日にでも突然終わりを告げられてしまう可能性だってある、時間。


 そうしたら僕は、いったい何処に帰ればいいんだろう。


「……紅玉」


 グレイは僕の熟れた林檎のようなレディッシュの髪から勝手にあだ名をつけて呼んでいた。この人は誰のことも決して氏名では呼ばない。


 姉御がいる長いソファーにやってきてしっしっと姉御を端に詰めさせ、緩慢に座る。脚を組んで無表情の美貌を僕に向けた。


「本日も貴方の母親は見つからなかった。体調はどうだ」


「お忙しいところ探していただきありがとうございます。こころあたりがある恋人たちの家はすべて調べていただいたので、僕の把握しきれていない恋人がいるのでしょう。お手数おかけして大変申し訳ございません」


 ほがらかに答えてグレイに頭を下げた。隣でノアトが眼鏡の奥からエメラルドグリーンの鋭い目をさらに鋭利にひからせて吐き捨てた。


「売女」


「……ヤブ医者見習い。貴方は言葉遣いを改めろ。幾度言えばその気になる?」


「百万回言ってもなんねぇよ、虚弱体質の死にぞこないグレイ。死ね」


 平均的な十歳より背が高いノアトは、僕を見下ろしてせせら笑った。


「だってこいつ、俺がなに言ってもにこにこして気持ちわりいんだもん」

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