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 現場を見るという目的が達成されたので解散と言いかけたところで「レト先輩、喉が渇きました、今すぐ飲みものを買わないとわたし干からびて死んじゃいます、あ、自販機発見んん」と先を越され公園に点々と設置されているそれに立ち寄った。


 俺は手前のベンチに腰掛けて待つ。自動販売機はボタンを押す指先から客の魔力に反応して口座やカードを識別し自動決済する。当然自動販売機のみならずコンビニ、スーパー、飲食店、薬局、ホームセンター、アパレルショップ――買いものという買いものがだいたい同じシステムであるため魔法を使えない俺は人とものを買いに行かない。待つ。


 新人がうんうん唸って首を傾げている。ボタンの前で手をいったりきたりさせてやっと二五〇ミリリットルのあたたかいブラック珈琲一つを持って隣にちょこんと座ってきた。


「連れてきてくれたお礼です、どうぞ」


 あれだけ喉の乾きを訴えていたにもかかわらず自身の飲みものは買わなかったらしい。


「要らない。ガキがくだらない金を使うな」


「わたしブラック飲めません」


「……」


 なるほど。


 春の夜は肌寒い。新人は〈バッグ〉からカーディガンを取りだしていそいそと着こむ。俺は義足歩行に負担がかからぬようあらゆる荷物を極力減らしているので薄着のからだの前に両腕を組んでしのぐ。


 感覚神経へ繋がった電動式機械の義手はぬくもりをうまない。それでもこの姿勢は多少あたたかくなるような気持ちが、する。


 ――珈琲の理由づけにたとえば「先輩にはほんとうによくしてもらって」とか「失礼なことを言ってしまい」とか「これからお世話になりますので」とかつまらない社交辞令へ言葉を費やさない彼女の今回のコミュニケーションには好感が持てた。「飲めない」はじつに明瞭かつ合理的だ。俺に要求を通すいっとう正当な方法と言える。


 事務室でブラックを飲んでいたのを観察したのだろう。どう振る舞ってなにを喋るか俺を相手にたった一日でピントを合わせてきた。計算ずくでやっているとしたらおそろしいことだとおもった。


「あんたに一つ朗報だ。自宅でそれに砂糖でも入れてみろ。驚くべきことにブラックではなくなる」


「後学のために訊くんですけど、先輩が飲めるコーヒーのメーカーはどれですか? できれば上から好きな三社お願いします」


「後学のために答える。どのメーカーもあんたから受け取らない」


「ほら先輩ここ見てっこれほら、ね、ね、未開封でしょ、無罪です、わたし毒なんか入れてませんっ」


「…………。俺に気取られず毒を盛ることができるのなら明日朝一番課内であんたを戦闘職員に推薦する」


「あうあ。えーと……、じゃあどんな方法ならお礼をさせてくれるんですか?」


「あんたからもらうものはない」


「お礼をするものがあるかどうかはわたしが決めることですよ」


「受け取りたいかどうかは俺が決めることだな」


 折れそうに華奢な肩がぐいと寄せられる。雨の前触れの匂いがたちのぼった。どこか懐かしい、土の湿った匂い。そしてシャンプーだろうか、フルーティーな香りも印象よく交ざる。少女は大粒のチョコレートブラウンの瞳を細めて花がほころぶように微笑んだ。


「レト先輩って頑固だねってよく言われるでしょ?」


「そちらも大概だろ」


 ぽつ。


「お礼をしたいなっておもっちゃいけませんか」


 ぽつ。ぽつ。ぽつ。


「いいや。あんたの勝手だ」


「なら」


 ぽつぽつぽつ。ぽつ。


「先輩に向けて感謝を伝える好ましい方法があれば、わたしが合わせるから、教えてほしいです」


「……なにがそれほどまでに申し訳ないんだ?」


「え?」


「お礼じゃないだろ。あんたは謝りたいんだ。違うか?」


 ――わたしなんかのせいで先輩が怒られてしまう感じになって、ほんとうにごめんなさい。


 ――迷惑かけないようにこれから役に立ちます。それまでは、わたしを許してください。


 ――はい。ほんのちょっぴりですけれど。空気中にただよう魔法分子が、軋んでるんです。それくらいしか分からないです、ごめんなさい。


 執行課の事務室が一時業務停止になるくらいに可愛い顔をした十六歳の少女は、小雨で濡れた前髪へハッと表情を隠し、返答に窮した。構わず俺は続ける。


「あんたは頭がいい。相手の欲しがるものを即座に察知しそれに応え、人から好意的な反応を引きだす。従順すぎず我儘すぎないさじ加減で甘えてみせ、特に目上の人間に気に入られることが多かったんじゃないかと推察する。保護者、教員、部活の先輩、恋人にも有効かもな。労力がかかり犠牲を強いられる対人スキルだ」


 郊外で二人暮しする母子家庭、ごく一般的な文系高校出身。履歴書からは彼女の経歴が普通であるという情報しか読み取れない。不審なところのない潔白な凡人だ。さらに、人目を引く容姿と長けたコミュニケーション能力を見れば、甘やかされて育ったのではとおもう者もいそうだ。


 事務室のほかの連中がでれでれしつつ彼女と関わっているうちは成功していた仮面が、此処で、壊れかけている。


「あんたはおかしなタイミングで『ごめんなさい』と口にする。俺に撃たれたことを謝り、警察に嫌がらせを受けたことを謝り、聴音士として高い実力を発揮したことを謝った。冷静になれ。被害者や優秀な人材などが何故謝る?」


 雨が激しさを増していく。


「頭のいいあんたのことだ、自分がいかに奇妙な態度をとっているか自覚はあるんだろ。それでも何故か強烈な不安にかられ、やらずにはいられない。まだ入局初日なのに、定時を過ぎてから『現場を見たい』という名目で俺に延長戦を申しこむほどに」


「レト先輩、えっと……」


「俺は無知だ。だから個人的な見解を述べる。あんたのその『先輩』という呼びかたがそうだと俺は考える。『レトさん』『先輩』『レト先輩』あれこれと試して反応をうかがい、気に入られようと試みる。バディを組む人物についてなんとしても攻略しておかなければならないと感じ、必死になっている」


 理路整然と一方的に話し続けた。


「あんたは俺に嫌われているかもしれないとおもいながら一晩を過ごすことに耐えかね、残業してまで今日中に俺に許されようとした。交通費を無駄にした嘆き具合と、自身の分の飲みものを買ってこなかった不自然な行動からして、おそらくあまり金を使いたくないんだろうが、苦渋の決断で珈琲を買った。なのに受け取ってもらえない。ついには直接的に『合わせるから方法を教えろ』ときた」


 ぽつぽつがざあざあに変わる夜のなかで濡れるのも意に介さずポケットからつぶれかけた煙草の箱を取りだし、一本くわえた。


「では、そこまでしてあんたはなにを許されたいのか。データが少なすぎて現時点では分からないけども、本人としてはこころあたりがあるだろ」


「ええっと――」


「で、解決策だ」


「聞いてください、わたし、あの――」


「黙って聞け。ずぶ濡れで風邪をひいてほしいとはおもっていない。説明後解散とする」


 少女は言いさした言葉をひっこめた。


「珈琲は持ち帰れ。


 雨で消えた火をライターでもう一度つける。


「俺の態度の悪さは俺側の問題であり、あんた側に非は無い。心配ならノアト――あの胡散臭い医師にでも相談しろ。機構の誰でもいい、俺を知る人間は一〇〇パーセントあんたに味方する。俺は他人を好きにも嫌いにもならないし、なにをしてもされても貸し借りを作ったと認識しない。珈琲を買うのはまったくの金の無駄だ」


 雨に紛れて少女が泣いている。


「あんたがどんなに頑張ろうと一生俺に嫌われることはできない。同様に、好かれることも不可能だ。安心して楽に振る舞うといい。我儘でも悪口でも自由にしてくれ。俺の態度は変わらない。業務に必要なOJTも、連絡も、世間話も。つねに一定で提供する。――以上で説明を終える。安心したか?」


 即答だった。


「はい……」


「そう。よかった」


「不思議だけど、あの……とても安心しました」


「雨が降っているから気をつけて帰宅するように」


 吸い殻をしまってベンチから立ちあがり、彼女のほうを振り向きもせず駅に向かった。


 一般家庭で生まれ育った少女が長期監禁事件被害者の俺と似たような闇を抱えている理由は分からない。でも無意味なことで彼女が壊れていくのを不憫だとおもった。合理的判断のもと、最初のうちにはっきりと説明をしておいた。


 ――あんたがどんなに頑張ろうと一生俺に嫌われることはできない。同様に、好かれることも不可能だ。


 これがのちのち俺へ恋愛感情をいだく彼女を必要以上に苦しめることになるのだが、このときはまだ、お互いにただ建設的な安心感を自認していた。

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