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       ◆


 ギアをあげてアクセルをまわす。加速した春の香りの風切り音がヘルメットのなかで暴れ狂い、エンジンやマフラーの音などもあいまって背にしがみつく新人が言っているなにかは言葉として認識されない。輪郭の曖昧になった風景が飛ぶように後方へ流されていく。立ち消える。全身に伝わる振動がせいの実感を刹那的に震わせる。


「レト先輩速い速い速――きゃあ!?」


 無防備なやわらかさがふたつ背中に押しつけられ、腰にまわされた折れそうに細い両腕にちからがこもる。


 正直。


 思考が一時停止した。


 くそったれ――俺は内心で毒づき、雑念を振り払うように速度をあげる。


 国委託で市区町村が張り巡らせた〈セキュリティー〉は、魔法による道路上からの不法侵入等犯罪を防ぐ役目をまっとうしつつ、生活の利便性を著しく損なわせることにも一役買っていた。安易な〈瞬間移動〉で現場へ直行することはできないため、俺たちは最寄り駅に向かっているのだ。


 帰宅ラッシュの時間帯に差し掛かった車道は運転席の無いシェアリング利用のがちらほらあるくらいで静かなものだった。自転車も二、三台見える。


 車と自転車の九九・九パーセントは〈自動ブレーキ〉や〈身体保護〉などが強制でかかる造りで、非魔法アナログ走行が禁じられており、車は特に大部分が運転自体魔法での全自動だ。つまり、現代の交通手段は魔力に依存する。近くまでなら車両に体内の魔力を惜しみなく吸い取らせてやるより脚で歩くほうがかえって楽だった。駅から徒歩圏内に自宅がある場合が多く、歩道は混んでいた。


「なんでバイクなんですか――! バイクってめちゃくちゃ高額ですよね、一財産ですよ、無料で歩けば駅まで十分ちょっとなのに――わ!?」


 新人が一方的に〈インカム〉を繋いできてなにやらわめきだした。喋るのが面倒で俺はいつものごとく簡潔に返答する。


「歩きたくない」


「どしてですか!?」


「……別に」


 義足歩行は疲れる。もちろんいちいち説明などしない。


「完全アナログ運転なんて生まれて初め――きゃあああ! ちょちょちょ、これ〈身体保護〉もナシでマジのマジに魔法ゼロなの無謀すぎませんか! 無謀というか違法! 事故ったらすりおろしの大根みたくなる――!」


「…………合法だぞ」


「ウソ!? 聞いたことないです! 十六年の人生で一回も――ひゃあっ!」


 特別な事情と最終試験合格証明書があれば裁判所から許可がおりて完全非魔法運転免許を取得できる。


「手動運転は数百年前にほとんど廃れたはずですよね!? 全自動車っていう超絶便利な乗りもの知ってますか!? 寝てるだけで安全に目的地へ到着するヤツなんですけど! あ! それ、棒っぽいもの握るのって速さ変えたりしてるんですか――?」


 棒っぽいもの。現代の一般人はハンドルすら知らないらしい。


「空いてる全自動車うようよしてましたけど!? いくらでも拾えそうでした、なぜにわざわざ危ないバイクなんですか――!?」


 その危ないバイクにあんたもわざわざ乗りこんできたんだろ。


 一車線道路を疾走し、無事故無違反の全自動車を次々追い越していく。


 ――彼女が事務室でライターをつけたり消したり振ったり分解しようとしたり指を燃やしかけたりいつまで経っても手離そうとせず興味津々でいじくりまわしていたとき、申し訳なさそうに呟くから俺は呆れた。


 あの、ところで、さっき言いそびれたんですけど、ごめんなさい。レトさんの義手に魔法がぜんぜんかかってないみたいで今時珍しすぎてどうしても触ってみたくなっちゃって、えっと、わざとやりました。もうしません。それでも連れてってくれますか?


 駅で待ちあわせる。とだけ俺は答えた。まあ彼女が普通に自分で歩くか全自動車を借りるかするだろうとライターごと置き去りにしてさっさと駐車場に行くと、感極まった様子で「……こ、れ……レトさんのですか? このごっついチャリ。ヤバイ。乗ってみたいです。絶対乗ります。よろしくお願いします」と俺より先に跨った。


「速あああい――きゃー! バイクすごい! 生きてるって感じがします! 最高! きゃあああ!」


「……右にからだを少し倒せ」


「きゃー! きゃー!」


 ………………。


 これまで他人を乗せる想定をしたことがなかった。ヘルメットは一つしかなく、駐車場で「あんたの分の〈ヘルメット〉や〈身体保護〉を即刻かけられるなら」と意地の悪い回答をしたところ、若くして機構に入ってくるだけのことはあり、彼女は普段使わないたぐいの陣も『魔法陣百科全書』を調べるまでもなく一発で発動してのけ、そして俺は断る口実を失った。


「レト先輩ってもしかして反魔法主義団体の一員ですか――!? 『神は人間が魔法を捨てることを望んでいる』ってデモ起こすんですか!? 義手もライターもバイクも――あ。分かっちゃった、義足に〈歩行補助〉をかけてなくて疲れるから歩きたくないんですね? 〈歩行補助〉かければ無料で歩けるのに高いバイク買ったんですか? 乗り心地最高だからってことでいいですか!?」


 撃って牽制したにもかかわらずずかずかと踏みこんでくる少女に俺はペースを乱されそうになっていて、だからさらにアクセルを開ける。

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