1-08
「レト先輩。お時間がもし大丈夫であれば、えっと、ご迷惑じゃないなら、なんですけど」
時計に見向きもせず残業時間へ突入する犯罪課と鑑識課を残して帰る前に、わりと暇であったのでのんびり一、二本吸っていこうと窓際へ寄りかかったところで、新人が荷物を〈バッグ〉にしまい終わって事務室の奥までついてくるともじもじうつむいてペンダントトップをいじりつつ目の前に立った。
「わたし、現場を見てみたいです。犯人が分かってわたしたち執行課の追跡業務が本格化したら、研修のあいだ犯人がぼーっと待っててくれないでしょ? 事件を知っておきたいんです。一人ではまだ現場勝手に入っちゃダメなので、連れていってもらえないでしょうか」
「あーうんうんシルバーアクセサリーくんごめんねえそれぜんぶ明日やるから続きは明日またTELちょうだいな! 切るねお疲れ様! よしっ。今日パパが遅いしお兄ちゃん風邪なのよ、病院行ってお粥作って……みんなお先! ムメちゃんレトくんも早く帰ってねえぇ……」
少女の後ろをF主査が台風のように駆け抜けていった。
そのドアを俺は親指で指した。
「……F主査に言え」
「ソフィアさんは退勤完遂しましたけど。今。まさに」
俺は定時を過ぎた掛け時計を黙って指し示し、ゆっくりと煙草をくわえた。
「レト先輩、ご迷惑でしょうか」
現場研修を同じ班の者に頼むのはいたって自然なことだ。執行課魔法猟奇犯罪班の在籍者はただいま深刻な人手不足により四名。一、班長。本日不在。というよりだいたい毎日不在。二、必ず定時に退勤するF主査。三、俺。四である新人が俺にそれを頼みにくるのはあたりまえで、迷惑もへったくれもない。
――勉強熱心なのは結構だがあんたにとっては俺よりF主査に連れていってもらうほうが気楽だし今日は緊張で疲れたろうからさっさとあがって明日にでも頼んでみろ、たぶんF主査は喜ぶぞ。
ということだ。まあ声をだすのが面倒くさくて全文省略した。馴れあう気も皆無だ。ライターを口元にもっていく。
少女はその場に立ったままだった。悪戯を叱られることが分かって縮こまる子猫みたいだ。無言で眺めた。彼女はテコでも動かない。
「明日F主査に言え」
夜の準備を始めている一一〇階の窓の外側、時間が切り離されたような雲の緩慢とした流れだとか、昼は存在を無いことにされてしまう星々の真実とか、機構中央局のみならず世界を等しく包むそれらの深さのことになんとなくおもいを馳せつつ、たっぷり七分かけて一本吸っても少女は引き続き目の前に立っていた。
「レト先輩も定時にサクッと帰る人ですか?」
いや別に。首を横に振る。
「わたしがまだ役立たずだから要らないってことですか?」
その歳で聴音士の資格を持っているくせによく言う。横に振る。
「現場見にいきたいってレト先輩に頼むのって間違ってますか?」
いいや。横。
「今夜予定があるんですか? デートですか? どんなひとですか? 可愛いですか? 綺麗系?」
……。
何故か目をキラキラさせ始めた少女に俺は鷹揚に首を横へ振る。
「えーつまんない……じゃあ新入職員に研修するのが苦手でソフィアさんに押しつけようって魂胆ですね。後輩の教育もお仕事のうちだとわたしはおもうんですけど先輩はどうおもいますか?」
いい度胸だ。
非常に残念そうな顔でちょこんと小首をかしげる少女を見つめ返しながら煙とともに溜め息を吐きだす。二本目を灰皿に押しつけた。冷たく少女をひと睨みしてこれでもかというほど分かりやすい指示を短くくだす。
「帰れ。以上」
「わたし、」
予想外の切羽詰まった声におもわずギョッとする。
「わたしレト先輩に嫌われましたか」
ひときわ強い風がびゅうっと窓から吹きこんでミルクティーベージュの洒落たボブヘアが無造作に乱されていった。
――事務室で射殺された場合も、殉職ってことになりますか。なるなら撃っても大丈夫です。
まったく。
「……職場の人間を好くのも嫌うのも非合理的だ。仕事の邪魔になるだけだろ。もういい、分かった。行くぞ」
「えっ、いいんですか、や……やったあ! ついでにそのそれなんか火がつくやつわたしもやっていいですか? これなんですか?」
「………………ライター」
「どうして? 魔法でいいじゃないですか、どうしてこんな古臭……あ。えーとレトロ可愛いアイテムを使ってるんですか? わわ、ここ押すと火がつくんですね。わあぁ」
まったくなんなんだ。
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