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 奇形の天使を取り巻いていた無駄の多い魔法陣の数々に関する医学的見地のA4数ページは、天才医師が作ったものとして妥当な専門用語のオンパレードであったため、犯罪課連中が「一ミリも分かんねえっすけど!?」「まるごと商品化しません? 商品名は『読む睡眠薬』」と早々に投げだし、しまいには鑑識課たちも複数の専門分野を縦横無尽に行き来しまくる内容に首を傾げ始め、ノアトはクレームの嵐へ向かって平易な説明をさせられる羽目となってにこやかに枕詞を述べた。


「勉強不足で申し訳ないのですが、俺は一般的な人語しか解することができないものでして、赤ちゃん語でどこまでお伝えできるか懸念しております。ご不明点等は産声で差し支えありませんのでご教示ください」


 楽しい奴だ。絶対友人にはしたくない。


「ではまず、我が友ヴィーノをはじめとしたシュプール師のかたがたが採取した魔法痕跡によりますと」


 おい。


「被害者の羽は生前につけられ、神経が通っており全身へ繋がっていました。魔法で補助をしなくとも可動したことでしょう。その実現に百以上の創作魔法が駆使されています。まあ、お手元のデータをご覧いただければお分かりになると存じますが」


「なっ!? まさか、まさかだけどよ、ラクロワ・N先生……」


 筋トレが趣味の典型的犯罪課職員、二班のA班長が震えながらノアトに叫んだ。


「……被害者は生きてるうちに羽を動くようにくっつけられたってことかッ!?」


「おや? 機構職員の識字率は一〇〇パーセントだとおもっていたのですが、認識を改める必要がありそうですね。お手元のデータを――」


「被害者はアナログで飛べたってことなのかあーッ!?」


「……そうは申しておりませんよ? 赤ちゃん語は難しいですねえ。お手元のデータをご覧いただくまでもなく、被害者は飛行できませんでした」


「あそうなの?」


 ノアトが長身から見くだすような視線を投げた。


「動けば飛べるのですか? ふふふ、ゴリラさんは人間と違って常識を覆す発想をお持ちですね」


 俺は満足していた。魔法痕跡の専門家として現場の陣を読んでほとんど分かってはいたが、彼の導きだしたデータで裏づけが得られたからだ。


 被害者は手のこんだ創作魔法で羽を動かすように人体改造されつつ、決して飛ぶことはできなかった。


「被害者の羽は右が上下あべこべで左は原型が分からないほど折れています。長さは両方合わせて三メートル未満。人間が飛ぶなら最低でも片羽十五メートルは要るという説が有力ですので、たとえ奇形でなかったとしても、設計時点で飛行は不可能です」


 魔法が発展しさまざまな研究がさかんに行われているものの、羽でのアナログ飛行を成功させた研究者は現れていない。そのあたりに挑戦する犯行だと勘違いする者もいよう。だがしかし俺は現場に着いた瞬間から飛行への熱量など微塵も無いことを感じていた。


 では、これほどまでに手間をかけて奇形の天使を作りあげたのは何故なのか。


「彼女が羽を操るには相当の訓練が必要です。筋肉はそれぞれ目的があって存在するのに、それとは異なる方法で筋肉を酷使し、大変な疲労と激痛に耐えなければなりませんでした。羽のつけかたは『とりあえず動けばなんでもいい』という印象を受けるずさん具合です。犯人が医者でないことは確かでしょうね。――まとめますと、可動するとは申しましても、使用にたえるという意味ではないということです」


「なんだそれ……じゃあハリボテの羽でいいだろ。神経くっつけようとして創作魔法を百個考えるとか無駄じゃん。魔力も大量に消費しただろうし〈変化へんげ〉一個でよくねえか?」


 A班長の発言にノアトが首を横に振った。


「どうでしょうね。強制されたのか、過剰な練習メニューを反復したことが筋肉の奇妙なつきかたから見てとれます。意図的にやったとしか言いようがないのですよ」


「十にも満たない子どもになんてことを……」


「確実にサディストっすね。拷問が犯行動機なのかな」


「さらに残酷なことを申しあげます。彼女の体重についてですが」


 陽の落ちたかけた窓のグラデーションと、他人事の不幸を垂れ流すテレビと、毎日の〈清掃〉で清潔に保たれた事務室と、自分が生物であることを定期的に気づかせる呼吸の感覚と、それらがなにもかも手のなかの数ページの紙のように薄っぺらく重なった。


「鳥は飛ぶためにあらゆる方向から軽量化を図って進化してきました。重い歯や筋肉、骨を極限まで減らし、食べものと排泄にも工夫があります。飛べる鳥で最大の体重は十五キロほど。彼女のふくよかなからだでは不可能でしょう。もちろん痩せっぽちでも飛べませんけれども、問題はそこではございません」


 幼い遺体の手脚や腹や頬などのぶくぶくとした脂肪は、表面のみを美しくしようと〈変化へんげ〉してばかりいる現代人を嘲笑うかのごとく生々しい醜状を剥きだしにし、我々に突きつける。


 俺は自分の義手を眺めた。生身の腕にそっくりなデザインを選ぶことも〈変化へんげ〉で隠すこともしていないこれは、あの頃、最後まで俺を「美しい」と評価し続けた先生の異様なルッキズムに対抗するものなのだと自分で分かっていた。だからなんだと自分で蔑みながらそれでも抗えないものもある。


「被害者は短期間で太らされているのです。〈肥満〉で摂取カロリーを膨らませ、食道や胃が傷つくほど食べさせられています。気が遠くなる精緻な創作魔法を大量に用いた秩序的な犯行ですが、被害者を飛ばせたいのかそうではないのか両極端な労力を割いて矛盾しています」


 抗えない鎖。


 全人類から非難されてもやらざるを得なかったと悲鳴をあげているかのような。


 葛藤、それを表現したいという冷たい狂気の解消方法が、たとえば画家が単純な幾何学模様の油絵を前に小難しい理論を展開するみたいに、この犯人には殺人しかなかったのかもしれない。


 ――そうこうしているうちに定時の十七時になった。

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