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 遺体が発見されたのは当国「紅龍国クロウコク」南東の黎楓国レイホウコクとの国境近く、紅龍国立紅龍学園をはじめとした世界的な難関大学三つを中心に、レトロな街並みの商店街と周辺の居住区とさらにそれを囲む灰色のビル街が、波紋のようにゆるやかな円形をなした学園都市である。


 商店街の外れにある広大な公園は子どもの遊び場というよりは若者たちの散歩や休憩、写生、デートなどを目的とされることが多く、鑑賞に堪える庭園として、魔法植物学、魔法工学を専攻する学生たちによって丹念に整備され、特に「万年樹まんねんじゅ」と呼ばれる樹齢千年を越えた桜は、卒業生から在校生へと受け継がれて年中花を咲かせることで有名だ。


 季節を問わず狂い咲く万年樹がその他数多あまたの桜の花と景観にとけあう三月末日、つまり昨日の夜のことであった。遺体は、万年樹の根元に白く歪んだ羽を悠然と広げ、人間の醜さと美しさを同時に無音で訴えかけるたたずまいで、俗世から隔離されてひっそりと幹に背をもたせかけていた。


 事件はまず、遺体を発見した学生から警察へ通報され、特異な魔法犯罪とのことで魔法管理機構の特殊行政部が引き継ぎ、そうしてすぐに俺へ連絡が来た。本来はこのタイミングで俺の仕事など無いため、犯罪課二班のA班長から電話を受けて疑問をいだきつつ直行した俺は、現場へ到着するやいなや納得した。


「おっ、こっちこっち! レト、悪いな。執行官をこんな夜に捜査へ引きずりだしちまってよ。真犯人ホンボシぶっ殺すときまでは呼ぶんじゃねえっておもってるだろ?」


 返答はしなかったが肯定の意だった。特殊行政部は警察の手に余る魔法事件を担当する部署で、三つの課で構成される。


 一、魔法犯罪課。警察や残り二つの課とやりとりし、総合的な捜査をする。


 二、魔法鑑識課。犯罪課から連携された証拠品をもとに専門技術を使って詳細な鑑定を行う。


 三、俺が所属する執行課。前述の二つの課が確定させた犯罪者を確保もしくは処刑する。


 被害者が発見されたばかりの現時点で執行官が駆りだされるのはどう考えても尚早ではあった。


「とりあえずホトケさんはあれなんだけど。気持ちわりいだろ? 専門家的にはどうよ」


「妙だな」


「そうなの? さすがシュプール師様、即答じゃん。オレじゃあなにが変なんだかさっぱりでさぁ。とにかくキモイとしかおもわねえ」


 筋トレを趣味にしているA班長はじつに犯罪課らしい筋骨隆々とした剥きだしの両腕を胸の前に組み、溜め息混じりにぼやいた。俺は脳筋にも理解できるよう説明してやる。


「魔法陣に無関係な文字が数百文字、そうだな……四百から六百字ずつ程度無駄に挿入されている。此処にある数十個の魔法陣ぜんぶに。犯人自身のリスクを高める行為でしかなく、陣の効果にはなんの影響も無い。いっけん非合理的だ」


「シュプール師様様様あああ! それ調書作ってくんね? 頼むよ、このとーり!」


 ぱんっ、と派手な音を立ててA班長は両手を顔の前であわせた。


「……シュプール師なんかそっちの課にもいるだろ」


「オマエさぁ、シュプール師になるために魔法痕跡の専門資格取るのがどんだけムズいか知ってる? ウチにも鑑識課にも数人はいるけどさ、ブルーノ課長ができるだけ人数集めろっつーもんで、堪忍な。つーかオマエのことはご指名だったぞ? マジで才能を執行課で腐らせてないで、ウチの課に来ねえ?」


 断固お断りである。俺はA班長をひと睨みして万年樹のほうへ進みでた。


 小学校低学年ほどの不細工な子どもだった。がくぜんとつしょうで突きでた顎、団子鼻、顔中のニキビ、平均体重を二十キロはオーバーした肢体。真っ白な無地のワンピースのみを身にまとい、ストレートの髪を背まで流し、ちいさくふとい裸足を前へ投げだして、満開の桜の下に座っていた。


 なによりも目を引くのはその羽だ。約一・五メートルもある巨大な片羽は上下が逆さになっており、もう片側は正しい方向でつけられてはいるものの半分ほどのおおきさに縮れ、捻くれ、折れていた。


「な? これ、失敗作なんじゃねぇか? ホンモノの天使でも作ろうとしたとか。んなもん聖書のなかにしかいねーっつうの。ワハハ。魔法がヘタで失敗してムカッと殺しちゃった的な」


 お気楽な犯罪課脳筋班長の台詞に俺は首を横に振った。


 意図は不明だ。しかし最初から計画されてこのかたちに縫いつけられたのだと、シュプール師――魔法痕跡の専門家として即座に感じとった。


「……データをとらせてもらう。数日中に書類を渡す」


「頼む! シュプール師が痕跡を採取する前にオレたちが余計な魔法で現場汚すわけにはいかなくてよ、ほら、魔法痕跡ってワレモノじゃん? オレたちは此処でぼーっと待ってるだけのカカシよ。ホント助かる! 今すぐ! おなしゃす!」


 発動し終わった魔法陣の痕跡はかすかにしか残らない。保管しておくことができない。時間が経てば跡形もなくなるし、付近で誰かがなにげない日常的な陣でも書けば呆気なく掻き消えてしまうため、シュプール師による痕跡調査が優先され、その他調査系統の強力な魔法の使用はあとまわしにされる。俺は徹夜する覚悟を決め、繊細な残り香を肉眼で観察し始めた。


 奇形の天使は美しかった。


 まったくもって整った容姿だとは言い難く、目を引く羽も不格好きわまりないのに、この空間だけが時間を切り取られ超然と完成して見えた。純白の羽根と長い髪、真新しいワンピースが春風に吹かれて花びらとともに震え、静謐な気配で其処に在った。


 公園に充満する、美への歪曲した執着。


 俺には馴染み深い感覚だった。先生がそうだったのだ。初老の紳士は曇り空の夜の真下で黒ずんだ道を歩きながら、誘拐している最中の子どもの繋いだ手を時折見おろして、熱のこもった崇拝の口調で言った。


 苦痛がきみをこんなにも美しくしているのだよ。


 先生は紛れもなく美の奴隷だった。殴るときも、切ったり、焼いたりするときも、拷問系統の魔法を発動し、跳ねる五歳のからだを見つめるときも、腕や脚を斧で切断するときも、脱がせ、全身をねっとりと執拗に眺め、撫で、舐め、恍惚とした表情を浮かべるときも、彼は一貫した崇拝をさまざまな手段を用いて表現し続けた。


 ――四本目の煙草が短くなってきたことにも気がつかず執行課事務室の窓辺に突っ立ってぼんやりと考えごとをしていた俺は、可憐な少女が鼻の下を伸ばした男どもに自己紹介し終えてこちらにやって来たということに意識が向いていなかった。


 それでなくとも緊張気味の新入職員は、これからバディを組まされる先輩が十歳近く年上の異性で、殺人を生業としており、いくつも武器がぶらさがった戦闘服を無造作に着崩し、まくった袖からは無機質な機械の腕がのぞき、魔法社会で今時見かけることもほとんどない煙草をぱかすかと吸っている前へやってきて、緊張を深めたらしかった。


 なので、握手のために差しだした少女の右手は、勢いあまって俺の右手に軽くぶつかった。


 先生の粘りつく愛撫が、いっきに、よみがえった。


「あの、本日付で入局いたしました、聴音士ちょうおんしのジェトゥエ・Mと申します! 高校を卒業したばっかりの未熟者ですが、えっと、一日でも早く社会人としてお役に立てるように頑張りますので、よろしくお願いいた――」


 少女は言い終えられなかった。


 銃弾が耳元をかすめていったからだ。

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