Part.1 ペトリコール:雨垂れ穿たれ朽ちて香る
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「ムメちゃんは今朝のニュース見た? 学園都市公園に捨てられた、奇形の天使。あれってうちが担当なのよね」
F主査が事件について今夜の献立候補でも挙げるかのようにほのぼのと後方の人物に話しながら事務室へ入ってきたのはちょうど年度始めの三七〇四年四月一日火曜午後で、つい今しがた件の「奇形の天使」調査に勤しんでいた魔法犯罪課や魔法鑑識課の男性陣はその途端いっせいにアホヅラで口を開けたままF主査の後ろの「ムメちゃん」とやらに釘づけになった。
なるほど。
これはしばし仕事が中断になりそうだと判断し、俺は断りも入れず離席した。独り事務室の奥に引っこむと一一〇階の突き抜けるような碧空を四角く切り取る窓がある。気が遠のきそうなほど蠱惑的な高度の、死、にわずかな郷愁を覚え――俺は抗いがたい懐かしさをたどるために軽く窓枠から身を乗りだした。
魔法関連の行政事務を取り扱う国際機関、魔法管理機構。
一五〇階の超高層ビルと周辺の施設から成り立つ中央局は、原則全館の窓が〈セキュリティー〉魔法で施錠されているものの、此処は俺の滞在時のみ例外だった。自分しか使っていない置きっぱなしの灰皿を手元に引き寄せ、ポケットのなかで潰れかけている箱を引っぱりだす。手探りでターボライターの冷たさをつかまえる。
どろりと濃密な機密事項にかたくかたち作られた魔法管理機構は、隠しごとに必死なあまりどこもかしこも〈セキュリティー〉で覆い尽くされ、外側からの〈瞬間移動〉や〈浮遊〉など不法侵入魔法を一様に拒む。そして、万が一にも内側から窓外に身を投じれば、救命のための〈瞬間移動〉や〈浮遊〉なども〈セキュリティー〉に一律で阻まれ、一一〇階の高さをただひたすら地面へ向かって自由落下する。
落下する自由選択なんぞ人間社会は認めやしないけれども。
俺は空を眺めやって煙草に火をつけた。空を吸う。馬鹿みたいに青い空を、緩慢に、深く吸いこんで、吐く。
――数本吸い終わっても連中は仕事を再開していなかった。
四月一日の午後にF主査が連れてきた新入職員は、主に戦闘特化の職員で構成された特殊行政部には稀有なタイプだったからだ。
はじめに、まだたったの十六歳だった。先月高校を卒業したとのことで、しかもそれすら飛び級をしていた。世界でも選りすぐりのエリートしか入局できない機構に未成年はまれだった。
次に、女性だった。危険な現場へ出ることも多い魔法犯罪関係の部署は女性に不人気なので、場違いに見えた。
さらに、コミュニケーション能力がずば抜けていた。今時の未成年には不釣りあいと言ってもいい礼儀正しさと、先輩たちの紹介を一度聞けば瞬時に名前と顔を一致させる記憶力を持っていた。ユーモアもあった。緊張気味ではありつつもあっというまに打ち解けた。
最後に、可愛かった。事前情報で彼女が成績優秀者なのは皆知っていたが、予想されていたガリ勉陰キャにはほど遠い。身につけているものはただの制服なのに、大粒のチョコレートブラウンの瞳が印象的な顔立ちと、ピンクメッシュが入れられたミルクティーベージュの髪色、そのゆるくふんわりセットされたボブヘア、華奢な指先、すらりと細く伸びる脚。自分たちと同じ制服を着ているとは考えられないくらい明らかに目立った。
男どもは浮かれていた。人間に興味をいだかずにいられますようにと願う俺こそが一番この世に場違いかもしれなかった。ゆえに俺は少女へ発砲したのだ。銃声が響き渡って事務室中が凍りつき、これによって彼女との関係は当然ながらややこしいことになる。
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