1-03

 感覚神経へ繋がった電動式機械の義手に触れられるか否かというときには腰から拳銃を抜いて向けて撃っていた。理性が皆無だったわけではなかった。引き金を引く寸前にフロントサイトから数ミリメートルずらされた二発の弾は、悲鳴じみた轟音によって我々の鼓膜をえぐりながら新入職員の左耳真横をギリギリ通過していき、後方の壁のコンクリートに二発がほぼ重なってめりこんだ。


 床で空薬莢が鳴った。


 しん、と部屋のあらゆる動きが面白いほどいっせいに止まったのを俺は静観し、考え、基本的には会話をしたくないけども説明するほうが効率がいいなと当然の逡巡を脳内で転がし、左手に持っていた短い煙草を灰皿へ押しつけて、少々時間を置いた。相手の耳がまともに聞こえるようになるのを待つための時間だった。


 少女は自己紹介時の笑顔を貼りつけたまま全身をこわばらせて棒立ちしている。


 まあ、だろうな。


 前もって履歴書を見ておいたらしい同僚たちが興味津々で噂をしていたところによると、彼女の家はいたって普通に郊外で二人暮しする母子家庭、学歴は戦闘やそれに類似した専攻がないごく一般的な文系高校出身で、体育の授業はどちらかというと苦手なうえに、魔法管理機構職員に義務づけられている国際戦闘資格は誰でも取れる軽い護身術程度のGランクだ。これは戦闘資格のなかの最低ランクとなる。


 スラム街で生まれ育つか戦闘訓練を受けるかしない限り銃で撃たれ慣れるということは考えにくい。この生きものは、下手したら銃声を聞くのさえ初めての可能性もあるのだ。


「おい、あんた」


 少女がびくりと肩を震わせた。


「聞こえるか?」


 少女は呆然とした顔でゆっくり頷いた。


「分かった。じゃあ続ける。触るな」


 結論を真っ先に端的な言いかたで述べる。そのあと指示の詳細を話す。


「命令じゃない。推奨だ。射殺される覚悟を決めるか、もしくは触るな。どちらでも好きにしろ」


 詳細はこれで終わりだった。これ以上言う必要性を個人的には感じなかったのだ。少女やまわりがそうおもわないということはもちろん承知していた。


 正義を重んじる人間は憤怒して言う。謝りなさい。


 プライドを重んじる人間は血走った目で言う。態度を改めなさい。


 協調性を重んじる人間はへらへらと言う。みんなに迷惑がかからないように気をつけなさい。


 多様性を重んじる人間は神妙に言う。せめて説明をして相手に配慮してもらいなさい。


 理解を重んじる人間は訳知り顔で言う。複雑性PTSDを病院で診てもらいなさい。


 キリがない。


 正誤も、常識も、善悪も、価値観も、人によってまったく違うのにいちいち相手にあわせて人口の数だけ仮面をかぶりながら欲しくもない人間関係のために労力をさく意味なんかあるか?


 それすらも俺の個人的な見解にすぎないということを俺は重々承知していた。


 いつだってなにもかも承知していてあえてこの態度を貫いていた。


「おい」


 次第に周囲に音が戻ってくる。向こうで男どもが好き勝手に罵詈雑言をわめき始めていた。美少女に気に入られたい下心が見え見えの奴、そもそも俺を毛嫌いしている奴、貴重な聴音士に退職されては困ると慌てている奴、言動は似たり寄ったりの彼らからもおのおのの動機が透けて見える。


 俺はすっかり注目の的になった少女へ言った。


「あとで話しかけろ。俺の発言に対してあんたの言い分があれば聞く」


「えっ……」


 少女がぼうっと胸元のペンダントトップをいじくりつつわずかに声をもらしておおきなチョコレートブラウンの目を見開いた。


「あんたのタイミングで、俺が仕事中でも構わない、話しかけろ。落ち着くまではそのへんの椅子に座れ。水を飲むか化粧室で顔を洗うかするのもいい」


 ショック状態の人間には簡単な指示を具体的にだすほうが効果的だということも経験上よく解っていた。


 F主査がのんびりと「あらまぁ。ムメちゃん、大丈夫? 怪我は無い? もー、レトくんってば、驚かせたらだめよ?」母親が喧嘩の仲裁でもする感じで喋ると、新入職員は硬直した笑みで「フェルベールさん、わたし大丈夫です」と答えた。


「ソフィアでいいわよ、名字を呼ばれるのなんだか堅苦しくて好きじゃないの。ムメちゃん、座る? 椅子はこれで、ウォーターサーバーはあれで、トイレはそれね」


 女性同士で気があいそうだった。F主査と気があわない人なんて見た試しがないが。


 俺は離れていく後ろ姿を黙って見送った。少女がおとなしくF主査についていく。あまり興味をそそられないおとなしさだった。落胆した。


 あとで少女は話しかけてくるだろうか。自分で言いにくるのか、人を使って言わせるのか、それともだんまりを決めこむのか。怒るのか、泣くのか、同情を誘うのか。


 人間が人権を主張するときの手段と内容は興味深いものだ。どれほど退屈な人物であってもなにかしら面白いものを見せてくれる。


 ――ここで俺はやっと自分が動揺していたことを自覚した。


 開いた窓から、風のかたちをした春が吹きこむ。


 強く握りしめすぎていた指を順繰りに開き黒光りする自動式拳銃を離した。ホルスターに収めて息を吐く。


 ドス黒い恐怖がせりあがってくる。今回は大丈夫だった。でも、今回が大丈夫だっただけだ。いつも的を外せる保証は無い。いつかは……。


 いつまで、続くのだろう。


 一人きりになった窓辺で次の煙草に手を伸ばす。ショック状態の自分へ落ち着くまでやることとして具体的に指示をだすなら「煙草を吸え」一択だった。


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 いつもありがとうございます。一ヶ月間お休みをいただきます。もし楽しみにしてくださっているかたがいましたら申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

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