第47話:勝者は敗者の要求を呑む、そういうルールだ

 自分からその言葉を口にしてようやく落ち込み気味な心に光が射し、少しではあるが軽くなったような気もする。少なくとも強い後悔はない。


「元哉。今更……本当に今更だけど、お前に水泳部エースを託す。俺の分も――いや、俺の事はどうでもいいから。部の皆を引っ張ってやってくれよ」


 ――お前がエースで先導者だ。

 もっとずっと前に言わなければいけなかった言葉を、ようやく俺は伝えられた。


「……いいんだな? それで」


 少し前から口を閉じていた元哉の確認に首肯で答える。

 これが俺の、事実上の引退宣言だろうか。


「はっ! まあ別にエースの座なんか譲ってもらってもありがた迷惑だな」

「ちょっと赤柴くん、そんな言い方――」

「少し待って氷上さん」


 嗜めようとしたマネージャーを零斗が止める。

 その間に元哉は正面から俺を見据えた。


「だが託されたとなれば話は別だ。いいぜ、引き受けてやる」

「ああ、サンキュな」

「ってなわけで…………おい、そこの出刃亀してる連中はよーく聞け!!!」


 元哉が大声をあげると、近くの物陰に隠れてこっちの様子を覗っていた部員達がビクゥと飛び上がる。


「話の流れで今日からオレがエースになっちまった。確認するまでもねえがエースとやらにはかなりの発言力があるな? 文句があるヤツは何回でもかかってきてかまわねえが、とりあえず最初に言っとくぞ!」


 ここで元哉が何を言うのか非常に興味がある。

 まさかリーダーシップを発揮して適切な練習指示を……いや、それはないな。むしろ無茶振りをする方がらしいだろうか。


 その俺の予想は当たった。……斜め上の方向に。


「博武が気に入らねえってヤツは、今の内にその気持ちをぶつけにこい。そんで終わったら禍根は残すな、一切な。その上で今回の勝負による今後についてだが」


 全く気に入らない。

 そんな今にも悪態をつきそうな顔をしたまま、元哉がビシィ! と俺を指差した。


「事前の取り決めとオレのエース権限によって、博武のヤロウは水泳部に復帰だ!! せいぜいサボってた分こきつかいやがれよてめえら! コイツの泳ぎ方はマジで役に立つからなたっぷり利用してやれ!!!」


 ――ほんの少しだけ周囲が静まり返る。

 そんなものはもうどうでもいいと言わんばかりに「ふん」と一息吐きながら、元哉は大仰に座ってしまった。


「お、おい……?」

「んだよめんどくせえ。てめえなら一度言やぁわかんだろ? それとも整理が必要か」


 そこでようやく、俺は元哉の口元が緩むのが見えた。

 水泳を離れてからこのかた、目にしてなかったものだ。


「零斗。事前の取り決めはアレだったよな」

「アレでまとめる雑さが突っ込みどころだけど、元哉が要求したのは『博武の泳ぎがダメだなと感じるようなら』水泳一本に集中するか、愛奈ちゃんと幸せになれだね」


 ニコニコしながら零斗がいつぞやの取り決めをまとめて口にする。

 とても楽しそうに、とても満足気に。


「……そうだ。で、あれだけの泳ぎをしてみせたヤツを今更モツ抜け扱いする奴なんざ――」

(ひそひそ)「モツ抜けって何かしら」

(ひそひそ)「腑抜けの元哉オリジナルでしょ」


「腑抜け扱いする奴なんざ、誰一人いねえんだよ!!」


 決めるに決められないままの元哉が強引に話を締める。

 その言動になんと反応すればいいのか、すぐにはわからない。


 というか……できなかった。


「おいおい、さすがに自分勝手すぎるし解釈が自由すぎないかソレ」

「あほボケ! それで了承したのはてめえだろうが」

「確かにそうだが……」


「だああああ、ぐだぐだすんじゃねえ!? いつまでダウナー面してんだ博武よぉ」


 俺の頭部をすかーんとはたきながら、元哉が怒りながらしっかり口角をつりあげた。


「病み上がりで練習も足りてなけりゃあ勘も取り戻せてないテメェじゃ物足りねえんだよ。いいからとっとと戻ってこい、へぼった水泳バカに他の選択肢はねえ!!!」

 

 うわぁ、こいつ引くほど漢らしい事を堂々と言いやがった。

 やめろよな、そんなの真正面から見れないだろ。

 今は手元にタオルだってないんだから、隠す手段が皆無なんだぞバカ元哉。


「元哉……ちょっといいか?」

「んだよ」


 だから精一杯の虚勢を張って、俺は目の前のライバルにこう言ってやった。


「なんか熱々のモツ煮が食べたくなってきたから、今から買ってくるわ」


 直後、夏の暑さ(?)で顔を赤くした元哉が俺に掴みかかろうとして、周辺にいた全員がしがみつくように止めに入ったが。


「いい加減静かにしなさい!!」


 氷上マネージャーの古武術が炸裂して、元哉は強制的に静かになった。

 そして、俺が知ったのは後々の話になるが――。


「とても楽しそうで何よりですね、ひろむん先輩♪」


 そう口にしながら、愛奈はジェラートのおかわりを美味しく味わっていたらしい。




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