第44話:力をくれた、背中を押してくれたあの人のためにも
大盛り上がりのプール。
その中心では、二人の少年がそれぞれのラストスパートに入ろうとしていた。
状況はほぼ五分。
驚異的な追い上げをやってのけた博武に、吹っ切れた元哉が追いついた形となっている。どちらの顔も険しく苦しげだが、わずかな呼吸をする間すら惜しむような状況だ。
それでも二人の胸中は同種の歓喜で満ちていた。
表にこそ出ないが、今この瞬間が、長年のライバルと泳いでる時が、何よりも楽しくて仕方がない。
だが仲良しこよしとはいかない。この勝負において皆で手を繋いでゴールはできないのだ。
――
この喜びはその気持ちの分だけ長く続き、そうする事で悔いなく終わりを迎えられる。
(まだまだ行けるな元哉!)
(こっちのセリフだぜ博武!)
隣り合うコースで泳ぐ二人の気迫は水の中でずっとぶつかり続けていた。
物理的なものではない。しかし気合で負ければ、すぐにでも離されてしまうだろう。
そんな状況下で、元哉は必死に手がかりを探していた。
どんな些細なものでもいい。今日こそは博武に勝つために必要な、今の自分をより高めるものを。
(つって、そんな都合のいいもんが早々見つかるわきゃねえんだがな!?)
それでも求めずにはいられない。
このままでは負けると、己の勘が告げているから。
(なにか、なにかねえか!!)
その焦りが必要な呼吸のタイミングと重なり、わずかなペースの乱れに繋がる。
ほんの少しだけ、それでも今の元哉からすればとても大きな差が博武との間に出来てしまう。
(クソ! あの野郎、すました顔で泳ぎやがって。やっぱりテメェみてえな水泳馬鹿みてえに泳ぐなんてオレには――)
保っていたメンタルが崩れ、元哉が落ち込みかける。
その時。
『赤柴くんは変に力が入りすぎなんですよ』
よく知っている少女の声が脳裏に蘇った。
◇◇◇
「くっそーーー、またダメか!!」
水泳部のプールサイドに大の字で寝そべる。
苦しかった呼吸を徐々に整えながら、元哉は盛大に本心からくやしがった。
そこへ献身的にサポートしてくれている人の影が差す。
彼女は大分呆れながらも、元哉に丁寧に助言をしてくれた。
「赤柴くんは変に力が入りすぎなんですよ」
「んだとぉ!? どこにんなもんが入ってんだよ!!」
「なんていうか、スピードを上げようとしてフォームがブレてるって言えばいいのかな? 強引かつ力任せすぎ」
お世話になっている女子マネージャーの半ば感覚的な説明に元哉のイラッとゲージが高まる。
「アドバイスするならもっとオレに分かる言葉で喋れ!」
「んー、でも赤柴くんにも分かるように伝えようとすると……怒るでしょ」
「怒んねえから!!」
半ギレ気味に返したら、氷上マネージャーのチョップが「既に威嚇してるじゃない」と脳天に決まった。この水泳部におけるヒエラルキートップの一撃は重く、元哉もすぐに大人しくならざるをえない。
「じゃあ言いますけどね。パワーも大事だけど、基本となるフォームはもっと大事なんだよ。乱れたフォームでパワーを上げても、結局は最も最適な状態には上げられないんだから」
「……けっ、そんな理屈並べてるお前だって他人に教えられる程出来ちゃいねえだろうが」
「出来ないからって拗ねないでくれます~?」
「んだとコラァ!?」
「もっと簡単に言ってあげる。赤柴くんがいつも勝とうとしていたあの人みたいに泳ぐの。一番近くで見てたはずなんだから……少しはわかるでしょ?」
「それは暗に博武の方が上手くて、オレが下手くそだつってんのと変わんねえんだよ!!」
「焦らない焦らない。焦らずに熱さと冷静さは仲良く一緒に。私から見たって赤柴くんの方がパワーはあるんだから……じゃあ後はフォームさえ同じレベルになれば――ね。」
◇◇◇
(焦らずに、熱さと冷静さを一緒に)
あの時は何を言ってるのか全く分からなかった。そういえば昔の博武も似たようなことを口にしていた。
だが、今の元哉であればその意味が掴める。ほんのちょっと先にいる、目指すべき目標が実演している美しいフォームを体現することだって――。
(そうか……つまりこういう事か)
そう感じとった瞬間に、元哉の泳ぎが、変わった。
力強さはそのままに、荒々しさが鳴りを潜めて前に前にと進む推進力だけが静かに増していく。元哉自身がそれを実感した。
(氷上)
彼女の存在。他人の言葉で己が高まるのはすぐにはしっくりこない。
だが、間違いなく今の方がさっきまでよりも速く泳げるだろう。
(……礼は言わねえぞ)
一瞬そう思う。
そう思うこと自体が、感謝になっているのだと気付かないフリをして。
「行くぜオラァアアアアア!!!」
元哉は今日イチの気合をこめて、自分が知る限り最高のパフォーマンスを発揮した。
◇◇◇
(さすがだ元哉ッ)
横に並んでいたライバルのキレが一気に増したのを博武は肌で感じ取った。
この土壇場で進化する相手に惜しみない称賛が次々に湧いてくる。同時に、負けたくないという想いも一層強くなった。
だが、自身の限界も近い。
平泳ぎの際に元哉を抜いたが、その時に力を使い過ぎたのだろうか。そろそろ足が満足に動かせなくなってきた。故障する前ならこうはならなかったはずだが、やはり第一線から離れていた代償は無いわけではなかったのだ。最後に必要な粘り強さともいうべきものが、ごっそり失われてしまっていた。
(だが、だからといって!)
素直に負けを認めるつもりは毛頭ない。
博武はちゃんと理解しているのだ。自分が生来の負けず嫌いであることを。それは同類の元哉と比べても極度なものだった。
そういった気性だったからこそ、誰よりも速く泳ぎつづけようとしたのだ。怠けず、ストイックに、自分が望むままに。
それで故障してしまったのだから笑えないが、そのおかげもあって本当の意味での限界は知ることができている。トラブルで叶えられなかったことで一度は失われた、簡単に負けられない理由も、再びできた。
九錠先生には迷惑をかけっぱなしだ。
きっと泳ぎ終わったらまたお説教だろう。甘んじてそれは受けよう。
ゴリクマさんには本当にずっと見てもらった。その分、故障の恐怖を最大限気にせずトレーニングに励めた。特製プロテインは美味しくはなかったが……体づくりに影響がないはずない。
俺一人では手に入れられなかった元哉の力強さに、きっと近づけている。
(身体、か)
ゴリクマさんにも確かめられたが、実は水泳から離れてから以降も博武は少しずつ陸上でのトレーニングだけは重ねていた。いつか戻ろうと考えていたわけでもない。いや、もしかしたら考えていたかもしれないが……鬱屈した心を少しでも晴らすためにナニカせずにはいられなかっただけだ。
ただ、その時は無駄にも感じた行ないによって多少なりとも肉体は維持できた。だから周りが思っていた以上に元の調子に近づけることができたのだ。
そしてソレが……どこかの後輩ギャルに――水泳に戻る切っ掛けとなった恩人に懐かれる要因になる。
手の甲に施されたおまじない。
コレを書いた後輩は、今もなお博武を応援しながら見届けている。
「せんぱーーーーーい!! 最後までそのまま行くんデスよーーーーーーーーーーーーー!!!」
その証拠に、またあの声が聞こえた。
言われなくてもわかってる。だが、それはとてもとても強い後押しになった。
(行くぞ俺の身体。あいつが待ってる)
失いかけた楽しさを思い出させてくれた。
自分勝手で欲望に正直な、思考がピンク色すぎるおバカ。
今はただ、速く。
とにかく速く、誰よりも先にあの天真爛漫な少女のいるゴールへ辿りつこう。
あいつの見たい景色を見せてやろう。
「そうじゃなきゃとても満足なんて出来やしない!!」
今の全部を出しきる! 二度と後悔しないために!
覚悟をもって、博武は今までにない程に力強くスパートをかけた。
自分がいなかった間も鍛えつづけた元哉に劣らぬよう、より力をこめて。
「残り十メートル!!!」
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