第41話:後悔スイマーと応えるスイマー

 どれだけ後悔しても遅かった。

 博武は泳ぐことが許されなくなり、最も大事な大会に出られなくなった。

 さらに最悪なのは、あいつが一番気にしていたものが終わったこと。オレや零斗の期待に応えられないのはまだいいさ。だが、引退が近づいていた先輩がチームメイトでいる間にその願いを叶えられなくなったのはもう取り返しがつかない。


 博武がいない。水泳部の期待のエースが泳げない。

 それだけで、オレ達は惨敗した。上の大会で負けるどころか予選も突破できなかったんだ。


 以降は、水泳部に博武が顔を出す機会が日に日に少なくなっていく。

 なまじ同学年だから学園で顔を合わせる機会も多い。その度に、元気のない博武を見るのはオレもキツかったな。見かねた氷上マネージャーのフォローがあってギリギリ保っていたが。


 多分博武はオレ以上にキツかったはずだ。

 自分の失態ですべて無駄にした。そう考えたんだ。



「はっ、はぁ! このっ、くそがッ」

 

 いまやフォームが乱れようが知ったこっちゃねえ。速けりゃあそれでいい。

 オレは半ば力任せに大きく手を回し、勢いよくキックをした。スタミナが心配? んなもんどうでもいいんだよ!

 

 オレは今この瞬間にこそフルスロットルでいく。

 そうでもしなきゃ、このむかつくモヤが晴れねえんだ!!


 博武が腑抜けた面で退部届まがいを提出した日。

 オレは、あいつが水泳部に来なくなるってわかってたのにッッ。


 最後の挨拶とばかりに顔を合わせた時、まったく聞き耳をもたねえで顔を背けて悪態をついちまった。励ましひとつかけられないで……見送るしかできなくて、何がチームメイトだ笑わせんな!!


「ぶはぁ!」


 勢いあまって口の中に入った水を吐きだしながら、大きく呼吸をする。

 苦しさが少しだけ紛れたら、そろそろ背泳ぎもしまいだ。


 身体が覚えているとおり、ギリギリの九十度近くまで傾けて手をタッチしてからバケットターン。

 ずっと練習を繰り返したから体に染みついてる動きだ。やや苦手だったものを博武がいなくなってから磨いてものにした技だ。


 せめて、あいつのようにオレがなってやる!!

 そう決意してから、タイムは飛躍的に伸びていた。


「ふっ!」


 平泳ぎに切り替えて、正面を見据えて泳ぐ。

 当然のように前には誰もいない。

 いるのはオレひとりだ。つまり博武よりも前にいるってわけだ。ざまーみろってやつだな。


 ……だが、それでも。

 ガキの頃にも味わった胸の中にある物淋しさは完全に消えはしなかった。

 


 ◆◆◆



 水の中は心地いい。

 潜っている間は外界とはシャットアウトされているかのような錯覚を覚えるほどに、深く集中すればするほど余計なものは何も聞こえなくなる。


 とはいえ、勝負となればまた変わってくる。

 手で水をかく音、足で蹴る音。跳ねる水、叩く水の音。早く激しくなっていく心臓の音に、呼吸をするために顔を上げ口を開く音も聞こえてくる。一対一で競っているとなれば、相手の息遣いや動く音さえ届いているような感覚があった。


 特に見知った中では元哉の泳ぎはうるさい。

 うるさくて力強くて……以前よりもずっと速い。それは博武にはないものだった。


(はぁ……はぁ……)


 最初はなんともなかったが、少し前から身体の調子がおかしいと感じ始めた。もっと動かせるはずなのに、中途半端なところでストップがかかるとでもいうのか。まるで頼んでもいないのに故障を防ぐ安全装置が勝手に作動してるかのように。


 仰向けに泳ぐ背泳ぎでは元哉との正確な距離はわかりづらいが、少なくとも抜かれた博武が抜きかえしてはいない。だからここは少しでも距離を詰めるためにスピードを上げなければならない。


 博武は――弱気な自分を超えねばならない。

 彼も事前に理解していた。もしかしなくても、大事なレース中にこそ故障した時が頭をちらつく可能性を。それを克服するのが思ってた以上に難しいことも。


(だけど、今はどうだ?)


 まったくアホらしい。

 博武は、このレースを心の底から楽しく感じていた。

 元哉とまた一緒に泳げている事実に歓喜していた。涙が出そうになるほどに。


(ああ、楽しいな)


 ずっとこうしていたいとも思う。

 ただレースに永遠はない。存外すぐ終わってしまうものだ。

 

(だから――無意識にブレーキをかけたって意味はないんだよ。どっちにしろあっさり負けでもすれば、もう泳げなくなるんだ)


 それはつまらない。彼はつよくそう思った。

 それにまだ……博武は――――、


「先輩イケーーーーーー!! まだまだココからデスよーーーーー!!」


 集中して水の中で泳いでいてもなお、いつまでも意識に割り込んでくるデカい声援の主に、応えられてはいない。

 カッコイイところも、全力の泳ぎも何一つとして見せられちゃいない。


「鳶瑞博武!! お前の泳ぎをあたしに魅せてミローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


(そこまで求められたら、やるしかないだろ)


 博武も男だ。

 気になる相手に見てもらうのならカッコイイ方がいいに決まってる。

 水泳は、レースとは、こんなにも楽しいものなんだと、あいつに伝えてやろうと意気込んでいく。

  

 ――さあ行こう。故障だなんだ、細かいところは気にするな。ジタバタしたってどうにもならないものはならない。

 それだったら、本気で楽しむ方がいいに決まってる!

 

 スポーツは例外なくメンタル面も強く影響する。

 だからか、はわからないが。


 彼の身体が、縛っていた鎖から解き放たれたかのように軽くなった。

 さっきよりもずっと身体が前に進む。


 そんな感覚に身をゆだね、先輩スイマーは口元に笑みを浮かべた。




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