第40話:共に泳ぎ追いかけた者の後悔


 隣のコースで前の方を泳ぐ博武を追いながら、少しだけ感心した。

 まだバタフライだけとはいえ、どこにもおかしなところは無い。


 水泳部部員の見本にするならきっとアレがいい。そう思わせる程に綺麗なフォーム、ストローク、キックだ。


 ――この二週間で仕上げてきたのかよ。


 水泳をやってるヤツが長い間泳いでいなかったどうなるか。

 自転車の乗り方と同じように、泳ぎ方を忘れるなんてことはねぇ。


 だが、確実に精度は落ちるし下手になる。

 それはやってるヤツじゃなけりゃあ気づけない程小さなものかもしれない。けどオレ達はその小さなものの違いでタイムを競って、勝敗が分かれるんだ。それをアイツがわかってないわけがねえ!


 つまり、この短期間で戻してきたんだ。

 ああ立派さ。てめえはそういう事をやってみせるやつだよ。


 ……だからこそガッカリもした。

 てめえだったら以前と同じように泳げるんじゃねえかと期待してた自分に対してもムシャクシャする。


 ――確かに戻してはきたんだろう。

 だが全然足りねえ。それじゃあの頃には程遠いんだ。


 今のオレの方が、速いんだよ!!


 ◆◆◆



「おい、なんか鳶瑞さん……段々失速してないか?」


 バタフライの五十メートル半ばに差し掛かった際、誰かがそう口にした事でどよめきが生まれた。ただそれは一瞬の勘違いであると誰もがすぐに理解する。


「違うよ、博武が失速したんじゃない。元哉がスイッチを入れたんだ」


 零斗の呟きが正しいと証明するかのように、元哉がぐんぐんスピードを上げていった。泳ぎの力強さが増して、より速く、ずっと速く。


「はやっ!?」

「赤柴さんが本気になったぞ!!」


 ギャラリー達がわっと盛り上がると、飛び込み台の方から見ているゴリクマも興奮しながら声を上げた。


「いいね!! 赤柴くんの泳ぎはとてもパワーに満ち溢れている感じDA。彼、いい筋肉してるよね!!」

「おめぇが敵側を応援してどうすんだよ」

「HAHAHA、そんなものは筋肉とパワーの前には些細なことさ」

「ふん。ま、コーチしてる俺から見てもあいつの力強さは目を見張るものがあるけどな。鳶瑞が来なくなってからは一段とトレーニングに励んでたしよ」


「……水座芽コーチ? 念のため訊きますが、変な無茶とかはさせてないですよね?」

「こっっわ!? そんな目で睨むなよ九錠さんよぉ!」


 冷たい刃を連想させる九錠の視線に動揺しながらも、水座芽はしっかりと返答する。その視線の先では元哉が博武に並び、抜こうとする直前だった。


「……鳶瑞をああしちまった直後に、大事な教え子にオーバートレーニングなんて絶対させねえさ。絶対にだ。……もしそんな事をしてたのなら、オレにはもうコーチを名乗る資格はねえ」


 後悔がにじみ、たくさんの苦みを絞り出すような声。

 そんな彼の言葉を聞いてなお、それ以上追及するような者はその場にはいない。

 水座芽もまた、鳶瑞博武の故障をどうにか出来なかったのかと苦しんだ当事者なのだから。


「すみません。嫌な訊き方でした」

「いいって事よ。あんたみてえな人は嫌いじゃねえんでな」


 子供には聞かせられない話を大人達がしているうちに、最初の五十メートルが終わろうとしていた。

 もう博武と元哉の差はほとんど無い。

 

 いや――より正確にいうのであれば、ターンで方向転換をする瞬間には、


「おお、赤柴がリードしたぞ!」


 ギャラリーに紛れている上級生が口にしたように、元哉がリードしていた。


 ◆◆◆


 ターンですれ違う際に、わずかだが博武の表情を覗った。

 あっちはオレの方なんて向いていなかったが、とても苦しそうに見えた。


 思ったより動かせない自分の身体に戸惑っているのか、それともどこか痛んでいるのか。……わからないが、何にしてもオレは止まりはしない。

 バタフライよりかは苦手だが、背泳ぎに切り替えて水上へと顔を出す。屋内プールだから空は見えないが、天井の明かりが目に入った。


 博武の苦しげな顔と光が結ぶつく。

 そこで頭をよぎったのは、あるレースの事だった。


 博武の故障に繋がる、あの日だ。


 ◇◇◇


 オレと博武、それから零斗と先輩が一人。

 この四人で目標として掲げていた大会に出るつもりでいたあの時。


 予想外の事態が発生したのは、規模の小さな水泳大会だった。

 普段通りの実力を出せていればかなりいい線まで行けるであろうメドレーリレーのレース。

 最後に自由形の選手として泳いでいた博武の様子が、明らかに変だった。

 レース自体はそれまでのリードと博武の根性もあって勝てたが、博武はすぐに九錠先生の下へ運ばれていった。


『はっ、あの博武だぞ? あの度し難い水泳馬鹿が泳ぎで怪我するなんてねえってもんさ』


 周りがヤケに心配そうにしていたから、馬鹿っぽくフォローするつもりでオレはそう口にしたんだ。実際『博武なら大丈夫だろ』なんていう根拠のない自信があった。それはそのまま、オレからあいつへの信頼でもあった。

 ……同時に、一方的な押しつけだ。


 結果は知ってのとおり。

 あいつの身体は長期の療養を必要だった。


 最初にコーチづてでその話を聞いた時は誰にも言いやしなかったがショックだったさ。思わずコーチに掴みかかって八つ当たりしちまった。

 そんなんじゃ全然気持ちは収まらねえのにな。何よりもオレが、オレ自身にキレてたんだ。


 ――ま、あの博武なら大丈夫だろう。

 

 そんな軽い気持ちで、オレは博武のオーバートレーニングを見逃してたんだ。

 オレよりも速く泳げるんだから、オレよりもずっと練習してる。それがあいつの普通なんだって、そう思ってた。


 ひどい思い込みだった。おまけに大バカ野郎だ。

 きっと一番あいつの傍で異常な練習しているのを見ていた癖に。

 

 オレはあいつを止めなかった。

 さすがウチのエースだ。オレも負けてらんねえぜ!


 ……クソが! この大ボケが!!

 お前(オレ)が博武を止めていたら、もっと早くあいつがしょい込み過ぎて苦しんでるとわかっていたら、


 あいつの貴重な時間を失わせずに済んだんじゃねえのか!!!








 


 

 

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