第39話:過去と現代で気にかけている事

 ――子供の頃、別に泳ぐのが好きなわけじゃなかった。

 今となっちゃさだかじゃねえが、生まれつき運動は得意な方だったんだろう。何かしらそっち方面で今後に生かせればという親の判断で、スイミングスクールに通った時がある。


 自慢じゃねえが水泳に関しては敵無しだった。

 子供がかけっこで競争して一番はえぇヤツがいるのと同じで、速ければ強い。強ければ偉いなんて思いこんでいたのか。同い年どころか年上にまで勝ってしまう俺は、ずいぶん傍若無人に振舞っていた。


 んで、避けられるようになった。だが俺は全く気にしなかった。

 気に入らなければ俺より速く泳いでみせりゃあいいんだ。そしたら言う事をなんでも聞いてやる。


 そんなデカイ態度を取っていた俺は孤独の王様か。あるいは井の中の蛙か。

 だがある日、そんな俺に話しかけてきたヤツがいた。


「ねえ、ちょっと競争してみない?」

「あ? なんだお前どこの誰だよ」


 ガラのわりぃ俺の怒声を一切気にせず、そいつは目をキラキラさせながら笑顔で名乗った。

 鳶瑞博武。ソレがそいつの名前。


 調子に乗りまくってた俺のプライドを粉々に粉砕した、マジモンの水泳馬鹿で。


「ぷはぁ。赤柴は泳ぐの速いなぁ」

「ぶはっ! おい!? なんだお前その泳ぎは!! ズルしてんじゃねえだろうな!? つうか、勝っておいて『泳ぎの速いねェ』とか嫌味かこらぁ!!」


「ごめんごめん、そんなつもりはないよ。ただ素直にそう思っただけで」

「くそがぁ!!? もう一回、もう一回やるぞ!!」

「もちろん!」


 赤柴元哉はあっさり負けた。

 それから何度何度も挑戦したが、一度も勝てなかった。

 だが諦める気はねぇ。幸いというべきか、水泳馬鹿たる博武はいくらでも俺の挑戦を受け続けてくれた。


 いつかあいつに追いつく。ぶち抜いて、オレが勝つ!!


 抱いた気持ちを胸にして、小・中・高、毎日、毎週、毎月、毎年――数えきれない回数をあいつと一緒に泳いだ。


 気づいた時には立派なダチだ。俺以外にもそんな奴が何人かいる。

 だが。


 ――今もなお、オレは本気のあいつを追い抜くどころか……並び立つことすらできていない。

 だからこそ。


 ラストチャンスになるかもしれない今日に賭けるものは、以前よりもずっと大きなモノになっていた。



 ◆◆◆


 スターターピストルの合図。

 ギャラリーの声援に続いて一際大きな愛奈の応援がプール場内に響き渡る。


 その中で、冷静に静かに、勝負を見届けている大人達がいた。

 彼らは飛び込み台近くの壁に背を預けながら、ただじっと二人の少年の泳ぎに注目し続けている。


「ふむ、スタートは上々だNA!」

「……そうみたいですね」

「浮かない顔をしているぞ九錠先生。何か気がかりでもあるのかNE?」


 ナイス笑顔をしているゴリクマの問いに、九錠は小さく頷いた。


「病み上がりのような鳶瑞くんに水泳勝負なんてさせていいものかとね。これでも不安に思ってるんですよ」

「なるほど、医者としてはもっともな意見だ。だが安心したまえ、少なくともワタシが見てた限りでは身体を痛めたりするようなことはなかったYO。それに――」


 わっ!! と一瞬だけ驚きと歓声が上がった。

 ブランクのせいで評判が良くないはずの博武が、元哉の前に出たからだ。まだバタフライだけとはいえ、それは十分に周りを驚かせるものだ。


「みたまえ、彼の泳ぎがそれを証明している」

「そうですね。少なくとも《今》は」

「というと?」


「序盤も序盤でなんもかんもがハッキリするわけじゃねえって話だよ」

「なんだ、いきなり横からしゃしゃり出て。レディとの楽しいトークを邪魔するのかい」

「なーに紳士ぶってんだゴリクマのくせに。うちの大事な担当医にちょっかいかけるなつうんだよ」


 話しに割り込んできた水泳部コーチ――水座芽みずざめがゴリクマにケンカを売り始める。二人の体格差はかなりあり、当然のように水座芽の方が小柄なのだが迫力はまったく劣っていない。


「ちょうどいい。現役コーチ様のご意見を覗いたいな」


 つまり、どっちが速いか。

 そうゴリクマが訊いてきたのに対して、水泳部コーチはすぐに答えた。


「以前ならともかく、今は赤柴の方が速いだろうな」

「その赤柴くんが遅れてるように見えるのは調子の問題かい?」


「これからだよ脳筋めが。まだ赤柴は全然本気じゃねえし……それにだ。鳶瑞だってあのペースのままじゃいられねえ可能性が高い」

「なんだい歯切れの悪い。もっとスパッと言い切りたまえよ」


 ゴリクマの単純さにイラつきながらも、水座芽は答えを急がなかった。

 というよりも、答えが出せないといった方が正しいのだ。


 彼の視線が静かに佇んでいる九錠を捉えていた。

 白衣姿で、医者としてこの場に来ているであろう彼女を。


『本当に大丈夫なんだろうな?』


 水泳部コーチの目は暗にそう語っているようだった。

 その意図はまっすぐ女医に伝わっており、半ば強引に溜息を吐かせてしまう。


「ゴリクマさん、水座芽さん。もし、鳶瑞くんの様子が明らかにおかしいと感じたら……強引で構わない。すぐに勝負を止めてください」

「おいおい穏やかじゃないね。何をそんなに気にしてるんDA?」


「鳶瑞くんが大丈夫だと思っていても、身体が待ったをかけるかもしれない。以前に起きた強い不安と恐怖。それらが同じような痛みや不調を感じさせる可能性も、なくはないって話です」


 九錠が淡々とその危惧を口にする。

 トラウマ。あるいはイップスとでも言うべきもの。

 そこまでひどい物では無いにしても、博武が突如として身体を動かせなくなる嫌な可能性。


 そんな不安を提示したタイミングで、何人ものギャラリーがどよめいた。




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