第38話:勇気のおまじないとスタート、それから声援
確かに今の俺は楽しんでいるかもしれない。緊張はしているかもしれないが、どちらの割合が多いかを考えれば前者だ。
プールとは反対方向へゆっくり歩いて、壁際で座る。
愛奈が俺を追いかけてきてから、上からキョトンとした顔で見下ろしてきた。
「どうかしまシタ?」
「……俺、そんなに楽しそうに見えたか」
「はい♪ これから夏休みを迎える子供みたいな感じデス♡」
「そんなガキっぽく……?」
「なーに言ってるんですか。先輩もあたしも、まだまだガキですよ。ガキガキです♡」
「……そっか、確かにそうだな」
「ですです♪」
まったく躊躇もせずに愛奈が同意してくる。
その現状がやけにおかしく感じて、俺は無意識に笑ってしまっていた。
もう緊張なんて、どこにもない。
「やれやれ、ほんとお前には励まされてばっかりだな」
「そのためにココにいますからネ。あたしこそが先輩の勝利の女神なのデス!」
「じゃあ女神様。あと五分以内に可能な勝利のおまじないでもあればやってくれないか?」
「急におまじないとか言い出す先輩、意外と脳内が乙女チックフェスティバルですよネ?」
そこでテンション低めにツッコむなよ、恥ずかしくなるだろ!
「ふへへ♡ でも、そんなこともあろうかと~~じゃじゃーーん☆」
愛奈が取り出したのは細いマジックペン(?)だった。
キュポンとキャップを外して、掴んだ俺の手に何やらサラサラと描きはじめていく。
「待て、いまお前それをどこから取り出した?」
「女の子の水着には秘密がいっぱいなんデスよ♡」
谷間辺りから出てきたように見たのは目の錯覚か。錯覚でなければ一体どういう仕舞い方を……などと考えながら観察している内に、愛奈のお絵かきが止まる。
「はい、完成~♪」
「おぉ……」
気づけば俺の右手の甲には、ちっちゃいキャラが『ガンバレガンバレ』と応援している絵が描かれていた。そのキャラは特徴からして愛奈っぽい、あちこちにハートマーク散らしてる辺りが。
「上手いな。上手いんだが……少し恥ずかしくないかコレ」
「なーに言ってるんデスか! 願った人に幸運を授けると巷で評判の女神様を象ったイラストなんですヨ。その効果は覿面。どんなに上手くいかない相手とでも良縁を授けるという――」
「それ、恋愛成就の謳い文句じゃないか」
「細かいことは気にしないで♪ ああ、なんでしたら反対の手に即売会と同じ文様入れてかっこよさを上げますカ」
「それ入れたら、お前が命令を聞いてくれるんだったら良いかもな」
「エ、やば♡ こんなところで愛奈ちゃんに最大三回もナニをさせる気ですか♡」
通常営業でピンク色トークを仕掛けてくる愛奈だが、そこはそれ。切り返し方は学習済みだ。
「それならまとめて一回分として使うから、決着まで見守っててくれ」
「な”ッ」
そんな願われ方は想定してなかったのだろう。
俺は初めて、愛奈のピンク妄想をいい意味で裏切れたようだ。
こっそり内緒でどんな作品なのかを観たからな。さぞや愛奈好みの返事になっているはずだ。
「し、仕方ないですねェ。ご主人様のご命令には逆らえませんからネ」
愛奈が柔らかい両手でギュッと俺の手を包み込む。
元哉にはたかれたジンジンとした痛みが消えたどころか、活力が沸いてくるようだった。なんともありがたいおまじないだ。
「推しメンがカッコよくキメちゃうところ、見せてくだサイ☆」
「ああ、見逃すんじゃないぞ」
――行ってくる。
そう告げて、俺はようやく飛び込み台へと向かった。
◇◇◇
既にスタンバイしている元哉の隣に並んで、大きく深呼吸をする。
ずっと離れていたプールの空気の味と匂いは、どこか懐かしさを感じさせた。
二週間のあいだ、この那賀川学園のプールを使わなかったわけじゃない。
水泳部のみんなの邪魔にならないよう、コースが空いてる時間で練習もした。こっそり俺の練習を手伝ってくれた後輩もいたりして、競うように泳ぎもした。
しかし、本番とも呼べる勝負をするのは本当に久々だ。
だから故郷に帰ってきたような懐かしさを感じる。さらに、嬉しくもあった。
俺は――またココで泳げるのだ、と。
「博武」
「ん?」
「お前の今の全力で泳げ。その上で、オレがぶちぬく」
「なんだ……そんなことわざわざ言うなんて。気を遣ってくれてるのか?」
「はっ! 違うわボケが」
「ありがとな。言われるまでもなく全力でやるよ」
準備が整ったことを並ぶスタート台端にいる零斗とコーチに手をあげて伝える。
二人が頷くと、スタート合図をするコーチが笛を一吹きした。
それで俺と元哉がスタート台に乗る。
静止する。
「Take Your Marks」
用意の言葉がかかり、構える。
号砲までは静止しなければならず、もしスタートの動作をした場合は失格となるので緊張の瞬間だ。
……一瞬だけ、右手の甲に描かれたミニキャラのイラストが目に入る。
もうあっちに顔を向けることもできないが、愛奈はこの張りつめた空気の中で静かに祈ってでもいるのだろうか。
わずかな間をあけて、
パンッ! と、どこか古めかしいスターターピストルが鳴り。
俺は、目の前に広がる水の中へと飛び込んだ。
◇◇◇
「いけーーー赤柴!!」
「赤柴先輩、ファイトーーーーー!!」
観戦にきていた水泳部員達が、その泳ぎを信頼している元哉を応援し始める。
博武の応援をしようとしている者もいるが、表だって博武を応援していいのかどうかの迷いとそもそもの人数が少ないのもあってその声は小さい。
ただ、そんな水泳部内の派閥などどうでもいい者がその場にはおり、
「ひろむんせんぱーーーーーーーーーい!! ガンバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
空気お構いなしのどこまでも響き渡りそうな馬鹿でかい声援は、誰よりも泳いでいるその人に届いているに違いなかった。
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