第32話:その泳ぎにもう一度魅せられたい

「ソーリーソーリー! すまない、まさかこんな騒ぎになるとは考えてもみなかったものでNE。先に謝らせてくれたまえ! ほら、お詫びの特製プロテインだ」


「ど、どうも……?」

「あ、いただきまス……」


 紙コップになみなみ注がれたプロテインを置かれた俺達は、取っ組み合いをやめて改めて席に座り直した。


「すいませんうるさくして。でも、ゴリクマさんが謝るっていうのはどういう……?」

「シンプルに述べると、キミの意気込みが知りたかったんだよ鳶瑞くん」


 頭をかきながら本当に申し訳なさそうに謝るゴリクマさんからは、雇ううんぬんの話をしていた時の緊張は消えていた。コレではもう完全に人の良さそうなマッチョメンだ。


「鳶瑞くんが大金を必要とされる厳しい状況でも、なお喰らいつこうとする男かを見たかったとでも言えばいいのかな。キミなら説明するまでもないかもしれないが……ちゃんとしたトレーナーを高校生が個人で雇うなんて話は中々あるものではない」


 おそらく、ゴリクマさんはこの話を横にいる愛奈に向けて説明しているのだろう。

 察しのとおり俺自身はその知識はあった。それは以前に身体を痛めた際、優れたトレーナーの下であればまだ練習が出来るのではと考え、色々と調べたからだ。

 その経験があったから今もこうしてゴリクマさんの協力を得ようとしているわけで……ともあれ、俺は黙って先を促した。


「たとえば、効果覿面のダイエットのためにと申し込む人はいるよ実際ね。だが、ワタシからすればそれだけでは必要性は感じない。少々の体重や脂肪を減らすレベルならトレーナー無しでも十分可能だからだ。多額のお金を払うのはそれに見合う指導を受けるために必要だからだが、決して大金を払う=楽に痩せれるわけじゃないのだよ」

「そうなんデスカ?」


「そうだよ愛奈くん。あくまでトレーナーがするのは当人のサポートだ。だから本人にやりきる強い意志が無ければどうしようもないんんだ。あまり大きな声じゃ言えないが、お金を払えば楽になんとかなると考えてしまう人はね、いざ実際にトレーニングを始めてもすぐに挫けてしまう。辛いと感じたその瞬間にね」

「…………」


「トレーナーが出来るのは、クライアントが求めるものに対してより適切な状態を提供することだ。もちろんモチベーションが落ちないよう配慮はするが、元々無いやる気を増やすなんて不可能だYO」


 それがたとえダイエットだろうと。水泳の勝負だろうとね。

 ゴリクマさんはそう呟いた。


「不快な思いをさせてしまったよNE。けれど、後で大きな後悔をするよりワタシはずっとマシだと思う」

「それは、大丈夫です。俺のモチベーションは俺自身がどうにかするべきものだとわかってますから」


 少なくとも、今のモチベは水泳から離れていた時とは比較にならない程高い。

 もしかしたら以前よりもずっと上かもしれないぐらいに。


「……キミの熱意は十分伝わったよ。付き添ってくれた彼女が『あたしが全額払います』と言った時は驚いたが……いやはやラブなパワーの成せる技かNA」

「ごぶっ!?」


 突然珍妙なワードを繰り出されたせいで、俺は飲んでたプロテインを吹きだした。


「あ、わかりますカ~?♡ もう先輩ってばほんとあたしにゾッコンなのでー♡ そこまでされたらコッチも精一杯尽くしてあげたくなるというか♡ ゴールインもすぐそこかな、みたいな♪」

「捏造はそこまでにしてくれ。大体その意味がわかってて言ってるのか?」

「もちろんデス♡」


 なるほど。ならば俺が知ってる言葉と愛奈が知ってる言葉は全然違う意味を持っているんだな。


「GAHAHAHA!! 仲がよろしくて結構結構! それで話を戻すが、二週間後にある水泳勝負まで可能な限りみっちりしごいて欲しいって事でいいのかな」

「はい、それで。…………え? すいません、今、何と?」


 思わず頷いてしまったが、俺の聞き間違いだろうか。

 今の言葉をそのまま受け取るならば……。


「ワタシで良ければ協力したいと言ったんだ! 必要経費があれば請求することもあるだろうが、あくまでワタシが個人的にサポートさせてもらう――――これでどうだい?」

「あ……ありがたい話ではあります! けど、ゴリクマさんの都合的にそれじゃあ――」

「そこを気にするなら、また水泳教室に顔を出してくれないかNA。キミが代役をしてくれた時の子供達から『エース師匠はいつくるのか、また泳ぎを教えて欲しい」とせがまれてるんだ。キミが泳ぐ姿がよっぽどカッコよく見えたんだね」

「…………そう、ですか。あの子達が……」


 たった一回、一緒に泳いだだけ。

 それなのにあの子達がもう一度来てほしいとねだる何かを残せた。

 その事実を今になって知って、胸が熱くなる。


「……わかりました、そのぐらいなら全然。いえ、むしろ喜んで予定を組ませてください」

「よしよし、貴重な指導者が確保できて嬉しい限りだ! あー、それから……今から言うのは大変個人的な希望なんだが」

「はい?」


「たった一度でも構わない。昔とは違う、今の鳶瑞くんの泳ぎっぷりをワタシにも魅せてくれ」


 ――ワタシは前から鳶瑞くんの泳ぎのファンだったんだ。

 俺の肩に手を置きながら、ゴリクマさんはそう教えてくれた。


 そこまで言われてしまっては、もう何も返せない。

 俺にはただ、その大きな手を握る事ぐらいしかできなかった。



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