狸寝入りの合間と 後と

「よっ……せい!!」


 ぼすっ! とベッドの上に愛奈を下ろす。

 ホテルの(おそらくよい)部屋に案内されるまでずっと抱きかかえていたため、身体のあちこちがダルさから解放されて大いに喜んでいる感じだ。どれだけ愛奈の体重が軽かろうが何十キロは確実にあるのだから、当然と言えば当然である。

 きっとそんじょそこらの筋トレよりも遥かに効果があったに違いない。


「ご苦労様。と、言いたいところだが、異性の感触から離されるのだからむしろ残念かな?」

「……そんなの味わってる余裕なんて無かったですよ」

「そこは『むひょひょ最高でしたゾwww』と返さないと面白くならないね」


 この人は俺に一体何を求めているんだろうか。

 まさかそんな変態台詞をするようなヤツにでも見えるのか? だとしたらかなりショックだが。


 そんな事よりも、愛奈がここまで疲れてる理由の一端を知っているのだ。そこに邪な気持ちが入り込む余地なんて…………いや正直ちょっとは、わずかに、少々はあったかもしれないが、それがメインにはならない。


 寝ている彼女の顔を見ている内に、即売会で休んでいた時の話が蘇ってくる。


『絵を描くのは好き、漫画も好き、楽しい同人活動も。でもプロになりたいのかってなれば……どうなんでしょうね』

『先の事なんてまだ大して考えてないですヨ。でも、一度プロの人に読んで貰うのも面白そうじゃないデスか。何かこう次に繋がる気もしますし」


『結果はボロクソでしたけどネ★』


 見下ろしている俺からは愛奈の表情は見えなかったが、そう明るいモノではなかっただろう。起き上がる頃には大分いつもの調子に戻ってはいたものの、アレはやせ我慢だったのではないか。


 ――明るいお調子者の違う一面をようやく知った気分だった。


 そもそも付き合いも大して長くないとはいえ、少なくとも愛奈という後輩がいつでもどこでも明るくハッピーなわけではないと判明したのだ。


 失礼ながら意外でもある。

 きっとそこかしこでピンク色のアホい事やってんだろうなーと思っていたから。

 それはシンプルな誤解だった。

 愛奈は、愛奈なりに何かしら頑張っているのだ。そう感じた時、俺は一気に共感を覚えた。


 もしかしなくとも、俺にとっての水泳はコイツにとっての漫画なのかもしれない、と。的外れかもしれないがそれ程遠くはないんじゃないか。今は本人に訊けないので確かめようもないが。


「九錠先生」

「ん?」

「印のとこで、意外なものは見れましたよ」

「そう。……じゃあ、たくさん発散させてやらないとね」


 後ろ向きのままで九錠先生がそう言った。

 何があったかも話してないはずなのにそういう辺り、この人は愛奈がどうなるのかを予測していたのか。単純にすごいな、さすが愛奈の師匠。


「ま、当たり前といえば当たり前な話だよ。愛奈が求めるもの、目指すかもしれないものとプロの編集が求めるものは違う。ソレでも『行ってみたい!』と希望したから好きにさせたわけだけど」

「えっと……求めるものが違うとは?」


「んー、そうだねぇ。水泳に打ち込みまくって故障寸前までいったキミにわかるように言いかえるとだな」

「前半の部分いらないですよね!?」


 釘を刺してるのだろうが言い方がひどい。

 少し可笑しそうにしながら、九錠先生は話を続けた。


「さて鳶瑞くん。ココに水泳選手としてやっていける人材を求めるコーチが1人いるとしよう」


 室内にあった丸椅子に座って、九錠先生は人差し指を立てる。


「このコーチがまだ見ぬ才能を求めて、誰でもウェルカムな集まりを設けた。そうしたら、そこに『泳ぎはそれなり』ぐらいの水泳を楽しんでいる若者が来て『あなたの目で、自分の泳ぎを見てくれませんか!』と口にする」

「すごいガッツですね」


「そうだね、いい根性をしている。ひとしきり泳ぎを見てもらった後、若者は『僕の泳ぎはどうでしたか?』と尋ねるわけだが、ハッキリ言ってしまえばその若者はプロとして通用するレベルではない」


 立てていた人差し指を先生が鉄砲のように構え、俺に向けてバーンと撃ってみせる。

 

「さて、ここで問題です。この時の水泳コーチはどのように答えるでしょうか?」 

「……………………えっと」

「そうやって時間をかけて迷うのだから、キミは半分以上答えに辿りついてるよ。正解は『わかるかそんなもん』だ」


「そんな答えでいいんですか」

「いいんだよ。コーチの性格も主義もわからないのに深く考えても大した意味はない。なにより今のでキミは大体理解できたのだろ?」


 そのとおりだった。

 九錠先生の話に出てきた『水泳等』を『漫画等』に置き換えてみれば、そこに愛奈の様子を当てはめるだけで何があったかの予想はできる。


「私は愛奈に師匠扱いされているから、どうしても基本的に愛奈側で考えてしまう。けれどあえて編集者側に立ってみたのなら、そこそこ納得できることも増えるだろうね」

「けっこうキツイ事言われたんですかね?」


 パースがなってないとか、ストーリーがつまらないとか。イメージでしかないが。


「そこは私も興味がある。が、現場に遅刻してきた人間が最初に訊きだすのは図々しいとも思うから、今回は若い者に任せて夜遊びに繰り出すとしようかな」


「え、一体どこへ?」

「都会には遊び場が多いとだけ。あとは秘密だ」


 話したい事は話し終わったという感じで、九錠先生が何やら荷物を持ってユニットバスへ続くドアを開けて入ると、すぐにさっきまでよりもちょっとお洒落でボーイッシュなパンツスタイルで出てきた。


「鳶瑞くん。一応、私はキミを信頼している」

「え、あ、どうも?」

「しかし、いかなる理由があろうとも――たとえソレが愛奈の魅力に負けて情欲に身を任せてしまったという若干仕方ないものだとしても――愛奈を泣かせた場合は……聡明なキミならわかるね?」

「しっかり理解できてるはずなのでそんな目で見ないでください!!」


 やばい、やばすぎる。アレは死では生ぬるいと本気で考えてる類いの目だ。

 そこまで気にかけてるならなんでこの場に残るなり、俺を追い出すなりしないのだろうかこの人は。謎だ。


「まぁ、夕ご飯は一緒に食べるからそんなに遅くはならない。それじゃ、また後で」


 スチャと手をあげて、九条先生が部屋の外へ出ていく。

 俺はといえば強烈な殺気を放つ化物から見逃してもらったような気持ちで、深く溜息をついてようやく一息だ。


「ふぅ~~……九錠先生おっかね「あ、そうだそうだ」」


 いきなり戻ってきた先生の声で、俺の心臓が口から飛び出しかける。


「ななな何も言ってないですよ!?」

「言い忘れたことがあった。おい、可愛い弟子! お邪魔虫は一旦退散するから、そろそろ恥ずかしい狸寝入りはやめていいと思うぞ」


 それだけ告げて、先生がドアを閉める。

 心臓はバクバクしたままで、またあの人が不意打ちで戻ってくるんじゃないかと心配しているが。それよりも、


「狸寝入り……?」


 思わずそう呟くと、ベッドが軋む音と手を置いていた場所が沈む感触がしたので振り返る。


「……えーっと……ど、どうもー可愛い弟子こと、タヌキですヨ♡」


 さすがの愛奈もバレてたと知って恥ずかしかったのか。どこかキレの悪いピースサインをしたあと、すぐにスベッたのを自覚してもじもじしながら背を丸くしてしまう。

 だが、恥ずかしさにかけては俺の方が上だ。


「お、お前……いつから起きて……?」

「な、内緒ということで♪ あ、ちょっと先輩! 乱暴はよしてください、暴力反対ー、いやぁ~おまわりさ~~ん♪」

「ほんとやめろよ?! 体の向きを変えただけのヤツに向かって言い逃れの出来ないような悪質な冗談は!!」


 万が一九錠先生が超感覚で察知してみろ。

 冤罪で死人がでかねん!


「ああ、そんな力づくで強引になんて……そんな飢えたケダモノのような目でみちゃヤですよ♡ 興奮しちゃうじゃないですカ♡ ずきゅーんて」

「寝て回復したのか知らんが、もっ一回黙れお前」


「いや、全然回復してないんで、マジで。だからせんぱい? おねがいを了承した責任とって、アフターケアしてくださいネ♡」

「はっ。何がアフターケア――」

「そーい♪」


 一瞬目を離した隙にタックルで押し倒されて、ベッドから落ちたヤツがいる。 

 俺だ。

 

「ふっふっふー……さあさあ先輩。すっかりバッチリその身体で発散させてもらいますよー?♡」


 何が起きたのか理解できないまま馬乗りになった愛奈の柔らかい肢体で押さえこまれた時、真っ先によぎったのは短い疑問だった。


 ――フツウ逆デハ? と。


 腹の上にいる愛奈は、獲物を吟味する女豹のように俺を見下ろしてくる。だというのに、だ。俺が感じているのは屈辱や敗北感ではなく、彼女の生々しい尻を始めとした感触による焦りと心臓のバクバクだった。


「さーて、どうしてくれましょうかネ~? 嘘寝がバレたからには恥ずかしすぎて先輩をそのまま生かすわけにはいきませン」

「自分の狸寝入りによるミスを人に転化するのはいっそ清々しいんだが、まずはどいてくれないか」

「ヤです」


 にべもなし。


「じゃあ同じ恥を知る――むしろ見切った張本人である九錠先生を先に亡き者にするのはどうだ。今なら俺も協力するぞ」

「え、何言ってんですか? あたしが師匠をどうにかできるわけないんだから、先輩をどうにかして師匠には黙ってもらっておくのが正解ですヨ」


 このヤロウ。人がせっかく生かすわけにはいかないとかいう物騒な台詞を拾ってやったというのに、まったくコイツはああいえばこういうだなほんと!


「じゃ、そゆことで」

「ま、待て! 話せばわかる」

「やん♡ そんなとこ触っちゃビックリしちゃいまス♡」


 反射的に腰を掴んだだけのはずなのに愛奈の反応は変に艶めかしい。慌てて手を放そうとすると、何故か彼女はみずからこちらに向かって倒れ込んできた。

 当然の如く、そのふくよかなパイに俺の顔が沈み込み、


「ッッ!!?」


 これまでの生活においてほぼ感じる事のなかった、マシュマロに似た感触&甘い体臭と汗の入り混じった匂いのダイレクトアタックにくらっとしてしまう。


「はぅ♡ パイセンってばそんな荒い呼吸を……さすがおっぱい星人」

「むがっ! そんな名前の宇宙人は知らん!!」

「あ」


 愛奈がちょっとだけ驚いた声をあげた。

 現状をどうにかしようともがき伸ばした俺の手。その掌が、彼女の押しつけてきた巨大マシュマロに向かって、降下したプライズキャッチャーアームのように沈み込み“むにょん♪”と鷲掴みしてるかのようになったからだ。


「……き、聞いてくれ愛奈。これは事故だ」

「へぇ~、おっぱいガン見しながら説得しようとするのクソダサイんですがそれは。あとまるで吸いついたように何度もニギニギ揉みこんでくるのも事故だト?」

「俺達は……話せばわかりあえると思わないか?」


 そう、決して触り心地が良すぎて意識的に動かしてるわけではないと。

 これは無意識からくる本能的かつ健全なもので――って、バカか俺は!?


「ふーん、先輩もなんだかんだで♂ですねェ」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」

「先輩の指を動かす筋肉に大事なところを触れられてると思うと、つい」


 筋肉フェチとかそういうレベルかそれわ。


 くっそ、俺の名誉のために反論したい!

 おっぱいガン見に見えるのは愛奈が豊かな胸部が目の前にある事による不可抗力であり、ついでに愛奈が腰を動かして柔い尻を押しつけてきても嬉しくはなってない、と。


「誤解なんだ。そのあまりにも気持ちいいだk……ハッ!?」

「ナチュラルにキモい発言いただきですネ☆」

「誘導尋問だ! 身体で男の純情を弄ぶなんてッ」

「え、どの口がそんな妄言を?」


 すまん、コレはさすがに全面的に俺がおかしい。

 押し倒されてるがゆえに不可能だが、俺はせめてもの謝罪の表意として心の中で土下座した。


「別に怒ってないですけどー、なんでしたらもっとイッときます?」

「冗談でもやめろよな!? と、とりあえずいつまでも床の上に転がってるのも背中が痛くなるから一旦どいてくれ」

「あ、ごめんですヨ。そうですね、先輩のイイ筋肉が傷ついたらたいへ――」

「いまだ!!」


 隙をついて俺は愛奈をはねのけて一気に起き上がった。


「あーーーーー!? 先輩ズルイ!! 人が素直にどいてあげたのに!!?」

「そもそも上に乗っかってくるヤツが悪いんだよ!」


 拘束から脱出した俺は一目散に部屋の入口へと向かった。

 ココから出てしまえば愛奈が俺にどうこうできる術はない。あとは適当にその辺をぶらつくなりすれば万事解決――。


「あ、もしもし師匠? 聞いてくださいよー、いま鳶瑞パイセンが可愛い後輩をおっぱいを鷲掴みにしてヤリすてた挙句に『師匠を亡き者にするのに協力してやるZE!』って部屋から逃走しようと――」

(光の速さで戻りながら)「だああああああ!!? じょ、冗談ですからね九錠先生! 半分くらいは愛奈の虚言癖によるもので――」

「あら先輩、お早いお帰りで」

「お、お前……やっていい事と悪い事があるだろ!」

「安心してください、かけてませんよ♡」


 ケラケラと小悪魔スマイルをしながら、愛奈が持っていたスマホに「chu♡」とキスをしてベッドにこしかける。

 俺は冷や汗を流しながらその様子を見守ってるしかなく、気付けば床に正座していた。少しでも反省の意を示すために。


「まったく先輩ってばぁ、人がちゃんとどいてあげたのに逃げようとするなんて……しかも電話してみせるだけで戻って来るとかめちゃかっこ悪いですネ♡」

「……何が望みだ」

「そんな切羽詰まらなくても大丈夫ですよ。あたしと先輩の仲じゃないですか? あ、とりあえず喉渇いたんで冷蔵庫に入ってる飲み物とってもらえます?」


 命じられるがままに飲み物をとってきて渡すと、愛奈はそのジュースを美味しそうにクピクピと飲んだ。


「ふはぁ~~♪ 潤うーーー!」

「ヨカッタナ」

「どうしたんですか先輩。突然カタカナでしか喋れない呪いにでもかかりました?」


 だとしたら呪ったのはお前だ。


「……はぁー、すいません先輩。この女王様気分も悪くはないのですが、別に先輩に生きているのが恥ずかしくなるレベルの恥辱を味あわせたいなんて“少し”しか考えてないので、もう普通にしてください」


 少しの部分が非常に引っかかったが、俺は言われるままに警戒を解く。そのまま近くにあった椅子に腰かけようとすると、愛奈がニコニコしながら「ん♪」と自分の隣――枕がある頭を置く方――をポンポン叩いたのでそっちに移動する。


「もう♡ 最初からそうやって素直にしてくれてればいいのにぃ♡」

「大事な場所を触った後だ。正直何されるかわからない恐怖が勝った」


 それから、愛奈の誘惑に抗い続ける自信がなかった。自分自身、理性が吹っ飛ぶなんて事はないと思いたいが絶対ではない。

 非常に魅力的な異性との濃厚接触は、それだけ危険を伴うものなのだ。


「男たるもの、普通は女の子に迫られたら『ひゃっほう♪』するものじャ?」

「なんだお前、ヤロウに襲われたい願望持ちか何かか」

「別に? ああでもえっちな事には興味津々ですネ。そういうお年頃ですから」


 こいつ……気軽に言うな。

 よくわからないがギャルだから言い慣れてるのか? だとしたら、さぞ男達を籠絡してきたのだろうか。俺もその一人かと思うと悲しくなるぞ。


「誤解しないで欲しいんですが、あたしは別に尻軽でもふしだらでもないですよ」

「じゃあなんだ?」

「自分の欲望に対して!!! 超正直なだけです!!!!!」


 なんだコイツかっこいいな!?

 眩い光とバカでかい効果音を背負ってめちゃくちゃキメてるみたいだ。


 内容はブーイングものだが!


「あー、大きな声出したらまた疲れてきましたね~。というわけで先輩、回復魔法プリーズ♪」

「そんなもの使えないないんだが」

「使えますよ。むしろ先輩しか使えない魔法があります!」

「…………その真意は?」


「いいから黙って横になりやがれ♡ です」


 

 胸を掴んだ実績のある俺に、その命令を拒否する権利などあるわけがなかった。

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