第16話:吐露

 出張編集部の人――おそらくプロの編集者と愛奈が話し込んでいる様子を少しだけ見守っていると、愛奈がゆっくり席をたった。

 そのまま目だけで追っていると、シャッター横にある出入り口から外へ出ていく。後をつけてみると、すれ違う人の多さにわずかだけ彼女の姿を見失ってしまった。


「しまったッ」


 外に出てみればソコは建物の外周であり、トラックが楽々通れそうな広いコンクリ地面はこれまた多くの人でごった返している。とはいえ屋内よりずっと広いのでちゃんと注意していれば人とぶつかる事もない程度の余裕はあり、周囲を見回してみれば敷地内と外を隔てる柵の近く、縁石に座っている愛奈は割とすぐに発見できたのである。


 普段役に立った記憶のない自身の背の高さと、アイツのお気に入りキャラコスプレ姿に少し感謝しながらこっそり近づいていく。もっと堂々と近づければよかったのだが、相手は思いっきり気落ちしている女子なのだ。もし見られたくないモノを見てしまったのだとすれば、声をかけずに去った方が得策だろう。愛奈だって、落ち込んでる自分を誰かに見られたくないはずだ。

 同人活動とやらを基本秘密にしていると九錠先生に聞いたばかりなので、余計にそう思ってしまう。


 ――だが、


「こんなところでどうした、大丈夫か」

「……博武先輩?」


 さすがに顔色の悪さに気づいてしまえば、何を優先すべきかは明白だ。


「どうしたんですか、こんなところで……サークルは?」

「『キミがいても意味ないし、せっかくだからその辺でも回ってこい』って、九錠先生に追い出されてな。それでブラブラしてたら見覚えのある恰好を見つけた」

「あれで師匠も勝手ですからねェ。留守番を任せるのはいいですけど、あたしが連れてきた先輩を勝手にどけちゃうのはいかがなものか――――うっ」


 愛奈が口元を手で押さえはじめたので、すぐに駆け寄って持参していたハンドタオルを手渡す。その顔色はあまり良くない。

 異常な夏の暑さにくわえて会場の熱気も加味すれば熱中症の可能性もある。俺はゆっくり愛奈を日陰まで移動させてから、近場で売ってた冷たいドリンク――運よくあった凍ってるタイプ――のペットボトルを買ってきて愛奈の脇の下にあてた。


「ちべた! え、突然の冷却セクハラですか!?」

「バカ、ちゃんとした対処法だ。少しは気分がマシにならないか? もし足りないなら新しいのを買ってきて、今度は足の付け根に当てるぞ」

「そして、あたしの股間に挟んだクールドリンクを飲みごろにして一杯やるって寸法ですネ。いやん先輩ったら♡ 発想がキモ♡」


 その理屈だとお前自身がキモい事になるんだが?


「そんだけ人をからかう余裕があるなら大丈夫だろうけどな、念の為このまま少し休んどけ。ほんとにキツいなら医者のトコに連れてってやるから」

「お姫様抱っこで?」

「それで安静できるなら幾らでもしてやるよ」


 俺の冗談と本気が半々な返しに、愛奈が「ちぇー、まったく照れてくれないですネ」と呟いてからぷいっと顔をそらす。だが、すぐにその表情がにへ~っと緩み、俺が渡した凍ったパックの飲み物を頬に当てはじめた。


「ふへへ、やだもう先輩ってば。冷やさなきゃいけないんだから、顔を熱くさせないでくださいよぉ。その男らしさに胸がキュンときちゃったじゃないですかァ」

「男らしさとかじゃなくて、心配してるなら誰だってやる事だ」

「あ、ダメ、濡れちゃいそう♡」

「汗でだよな!?」


 二人だけってわけでもないのに、モジモジしながらの際どい発言は心臓に悪い。

 既にサークル周囲の人達からは俺は奇異の目で見られているというのに。


「もちろん先輩(が買ってきたドリンク)のせいでス。責任とって拭いて欲しいですね~、た・に・ま♪」

「よーしわかった、いますぐタオルを貸せ。目に着いた範囲全部の汗をゼロになるまでぬぐってやる」

「怒っちゃやーだ♡ あ、でも背中とか手が届かないのでやってもらいたいです」

「……ここで?」

「マントをめくって下から入れれば見えやしませんて。ほらほら、お姫様抱っこよりずっと目立たないですよ? スニーキングミッションです」


 一体何に潜入させるつもりか知らないが、調子の悪いヤツからのお願いだ。無下に断ることもないし、ささっと終わらせれば問題ないだろう。

 そう判断した俺は戻ってきたタオルを掌に広げて、愛奈の着ているコスプレのマントをめくって服の下から手をゆっくりとじっとり湿度の高い服と肌の間に差し入れた。

 冷静にやってるつもりだが、間接的にとはいえ異性の身体に触れる行為だ。正直色々と踏ん張っている。


「はぁ~~、いいですねぇスッキリしてきます」

「けっこう汗ばんでるな。吐き気はないのか?」

「今のところは。先輩に色々してもらって気分も段々回復してきましたし」


 それに、と愛奈が一息いれてから言葉を続ける。


「きっと寝不足がたたってるんですよ。ちょっと原稿作業や準備で無理しすぎちゃったんですね」

「……そこまで無理してやらないとイケないのか」

「むむっ、先輩にだけは言われたくない台詞のトップ5には入りますよソレ」


 あっ、自分の失言に気づく。

 愛奈はそれ以上追求してこないが、確かに俺には言われたくないだろう。


 水泳のしすぎで身体を壊しかけた張本人なのだから。


「……すまん。そうだよな、無理してやりたい事は幾らでもあるものな」

「そうなんですよさすが先輩、わかってるぅ☆ ただまぁ、結果が伴わないのが仕方ないとはいえ地味に効いてきますね……」


「何か嫌なことでもあったか?」

「…………えっと、もしかしなくても出張編集部にいるの見てました?」

「偶然な」

「ほんとかな~……? 堂々とストーカー行為なんて、先輩ってばあたしを大好きすぎません?」

「ちょっと九畳先生に言われたんだよ。あそこに行けば愛奈がいるだろうからって」

「師匠もアレでお節介さんなんだから~。後そのネタでからかっちゃおッ♪」

 

 うっしっしと悪戯小僧のように笑う愛奈だが、やはり体調は芳しくなく、すぐにローテンションになってしまう。これまでほぼハイテンションのコイツしか見てない俺としてはそれだけで心配してしまうところだが……。


「愛奈は……漫画家になりたいのか?」

「ん~……それに答えるのもやぶさかではないんですが、ひとつお願いしてもいいですか」


「なんだ」

「そのしなやかで強靭な足を枕にさせてくださイ」


 了承をえるまえに、愛奈がごろんと横になって俺の腿に頭を乗せる。

 長い金色の髪がたなびき、ふんわりとイイ匂いがした。


「……こういうのは女がするものじゃないのか」


 あと、顔の向き。なんで上じゃなくて俺の腹側に向けてるのか。


「男の人にして欲しい時だってありますシ。はー、もうなんてハードめな枕なんでしょうか。一言で言えば……最高です!」

「きっとそう言うのはお前だけだよ……」


 俺の腹(服ごし)に顔押しつけてハスハスすんのもな。

 筋肉フェチ節に遠慮はないのかっ。


「あー、癒される~。この心地よさは大量のモフモフ動物に囲まれてる時に匹敵します」

「わからん……その感覚がわからん」

「大丈夫、後で先輩にもしてあげますから♡」


 俺はマッチョフェチに精通してないので、多分無駄だろう。

 つか男にやってもらうのが純粋にイヤだ。


「――正直に言ってしまえば、なりたいかわかりません」

「ん?」

「さっきの質問の答えです。絵を描くのは好き、漫画も好き、楽しい同人活動も。でもプロになりたいのかってなれば……」


 ――どうなんでしょうね。

 そう呟いた愛奈の声色には、曖昧さに満ちた迷いの色が感じとれて、


 しばらくの間、俺はその感情に耳を傾けることになった。


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