第15話:彼女の事情・愛奈の秘密


「…………」

「…………」


 いま、テーブルの内側では二人の男女が並んで座っている。

 中性的な顔と身体を持つショートボブの女性にして、俺がお世話になっている医者である九錠先生と、俺だ。


 両者共に無言の気まずい空気が漂い始めたのはいつからか。多分愛奈が「少し行きたい場所があるからココよっろしくー☆」とウインクしながら出かけて行った直後からだろう。


 何か言わねば……何かをッ。

 そうは思うものの、まさか俺が散々お世話になったお医者様とこんなところでバッタリ会うとは予想外も予想外。なんて声をかければいいのか見当もつかない。少なくとも俺が知ってる九錠先生ネタである『よく男と間違われた時期があってから髪をショートからボブに伸ばした』は何の役にも立たん。


 そもそもお互いに目が合った瞬間の第一声が「げっ」だしな。九錠先生もさぞ驚いたのだろう。しかし! ココは年長者である先生の方からなんとかしてほしい、この微妙な空気ってヤツを!


 その念が届いたのか、はたまた偶然か。


「鳶瑞……その、身体の調子はどうだ?」


 大きなため息を吐いたあと、意を決したように九条先生から話しかけてきてくれた。


「え、あっ。だ、大分良いですよ! 以前言われたとおり、大人しくしてたんで」

「それはなによりだ。結果的にお前の意志を尊重できなかったがな」


「ッ!? よ、止して下さいよ。九錠先生が止めてなかったらヤバかったんでしょ? 下手したら二度と泳げなくなるところで――」

「もっと早く気がついていればなんとかなったし、キミを快く大会に送りだせただろう。正直悔いが残るよ……水泳部がどういう気持ちで臨んでいたかを知ってるからね」


「先生……そこまで俺達のことをッ」

「付け加えるなら、同人イベントという沼に前途有望な若者を沈めるハメにもならなかったかもしれない。私個人としては大歓迎だが」


 今の物言いによって完全に俺の涙はひっこんだわ。

 別に九錠先生のせいでココにいるわけではないが、話の展開次第によってはそうも思えなくなるかもしれん。


「言っておきますが、俺はただの手伝いですよ」

「わかっている。愛奈のエロボディに釣られたなんて素直に言えないよな」

「違います」


「なら、自身の肉体美に気づいてコスプレとの相乗効果でも試しにきたのかな?」

「それもちがっ――」

「何を言っている。さっきまで見事なぐらいに一部の女性をホイホイしてたではないか。正直私もキミの身体を見なれてなかったら危なかったぞ?」

「ぐっ!?」


 実際やってただけに反論しづらい。

 さらに身体を見なれてるとかいう言い草も、なまじ嘘じゃないだけに否定できないのだ。でもこの場でそんな事を言いだすのはよくない。また周りがざわざわしてしまうじゃないか。


(ひそひそ)『え、二股?』

(ざわざわ)『最近の若い子の魔力補給って基本3Pなのかしら?』

「違います! 違いますからね!?」

 

 必死に否定するが、誰も信じる気配はない。つうか、顔を向けた瞬間に視線を逸らされるのでどうしようもなかった。


「堪能してるな、青少年」

「どう考えても堪能してないでしょう!? つうか、そもそもなんで九錠先生がこんなところにいるんですか! 愛奈とも知り合いみたいでしたよね!?」


「ああ、私は愛奈の従姉 兼 創作の師匠になる」

「九錠先生とアイツってそんなに近しい関係だったんですか」


 まったく知らなかった。

 ……その割には身体つきが全然違うな。


「なぁ鳶瑞。いま、どこを見ながら愛奈と私を比べたか当ててあげようか? 正解したら問答無用で一発殴る」

「すいません結構です許してつかあさい!」

「ふんっ! 悪かったね、どうせ私は豊満とは程遠いスレンダーさ。大体あんな歩くエロさの塊みたいなのが存在する方がウルトラレアだってのッ」


 ぶちぶちと毒を吐く先生。

 この話題はデンジャーゾーンのようなので、二度と振らないようにしなければなるまい。


「え、えっと、愛奈とは長い付き合いなんですか?」

「少なくとも何年単位だね。キミの方はどうなのさ?」 

「こないだ初めて会ったばかりですよ。一ヶ月も経ってません」

「本気で言ってる?」

「嘘つく理由がどこにあります?」


 そんな会話の後に先生がしばし考える素振りを見せる。

 何か俺はおかしなことでも言ったのだろうか。


「……随分気に入られてるのだね。どんな技を使った?」

「何も使ってないですよ。プール監視員の仕事をしてる時にあいつの方から絡んできたんです。あ、いや、絡んできたというか溺れてるところを助けたと言った方がいいですかね」

「うっわ、予想以上に甘酸っぱいのがきたわぁ。なにその青春ボーイミーツガール的な? 砂糖死ぬほど吐いてあげるから、さっさと爆発しろみたいな?」


 いや、意味がわからんて。


「俺もよくわからないですよ。あいつが重度の筋肉フェチなのと、俺の身体がドストライクらしいんですが」


「ちょいちょい、人んちの可愛い従妹と『肉体関係になりました♪』なんてカミングアウトはだな」

「そんな発言誰もしてないですよね!?」


「なら遊び? 鳶瑞くん、キミがそんなヤリ●ン野郎だなんてショックだ。今度治療と称してこっそりあれのこれのEDにしてやろうか」

「誤解に誤解を重ねて医者の道を踏み外さんでください」

「もちろんジョークさ。でもそうさねぇ、愛奈がキミを気にいってるのは誤解じゃないみたいだけど」


「そうなんですか? 都合よくお願いをしてもらってるだけだと思いますが」

「お願いだろうがなんだろうが、気に入らない人間に秘密を明かしたりなんかしないよ」


 秘密? なんだ秘密って。

 愛奈は俺に、あるいは俺以外に何かを隠していたというのか。


「……どうやら本当にわかってないようだね」


 そう前置きして、九錠先生は後輩ギャルの秘密を明かしはじめた。


「あの子はね、基本的に創作活動をしてるなんて誰にも言わないの。学校の先輩なんて論外」

「えっ」

「別段珍しい話じゃない。創作――とりわけ同人をやろうって人はあえて周りに伝えようなんてしない。面倒事になりやすいから」

「い、いやいや! あの愛奈がですか? 初対面の年上でも小学生の子供相手でも上手くやれるアイツが? 誰とでも仲良くできそうなイメージしかないですよ」

「誰とでも仲良くできちゃうからって、誰にでもなんでも明かすわけじゃないでしょうが」


 ――言われてみればそのとおりではある。

 ただ、それならば何故。


「なんで俺はここに連れてこられたんですか。連れてきた時点で秘密じゃなくなりますよ」

「だーから私が不思議がってんでしょうが。てっきり深い仲とか、鳶瑞も同人活動を始めた同志とかだと思ったのに。ああ前者はまだわからないけど」

「多分、俺達の関係を表わすなら“知り合い”ですよ」

「ずいぶんと人と気前が良い知り合いね。遅刻した師匠の代わりを務めるぐらいに」


「遅刻したんですか?」

「急用が入ってね。ほんとは車で愛奈を迎えに行って、サークルの手伝いをするつもりだった。これでも師匠だ、弟子の様子も気になる」

「つまり九錠先生にも七味筋肉ばりのあだ名があると」

「あんな趣味嗜好全開のペンネームと一緒にしない。私のは至ってフツー」


「なんて名前なんです?」

「ナインせん。これでもそれなりに知られてる方だ」


 なんでそんな名前なのかはピンと来ないが、少なくとも七味筋肉と同種ではないようだ。……いや、実は俺が知らないだけで隠語が混ざってる可能性もあるけど。


「まーいいけどね。それより、さすがにこの時間は道行く人も少ないこと少ないこと。これじゃ二人いてもあまり意味はない」

「意外と時間ギリギリになって人が来るとかそういうのは?」

「ほぼ無い。掘り出し物がないか隅から隅まで巡る人はいるけど――ああ、そうだ鳶瑞。せっかくだからキミも見て回ってくれば?」

「は?」


「せっかく即売会にきたんだから、好みの本のひとつやふたつ探してみたらどーなのよって話。それとも興味がない?」

「いや、興味はありますよ。初めて来た場所ですし、今までに体験したことのない世界ですしね。ただ店番があります」

「私がいるから。それに、ついでにお願いしたいこともあるし」

「お願い、ですか?」


 一体九畳先生からどんなお願いがあるのか。

 まさかドギツイBL本とやら(※少し前に愛奈から教えられた)を買ってこいとかそういうお使いではなかろうか。


 だが、そんな思考はすぐに妄想で終わった。

 何やらマップを広げた九錠先生が赤ペンでキュッキュッと印をつけていき、書き終わったそれを俺に手渡してくる。


「その印をつけたところに行ってきてくれる? きっと、意外なものが見れるよ」



 そもそも会場内がどうなってるのかよく知らない俺にとって、九錠先生が渡してくれたマップは重要な指標となる。だが、その印の場所に行く意味はまったく読み取れない。

 どこか釈然としないまま。けれどせっかくの機会なので、俺は留守番を九錠先生に頼んで地図を頼りに会場内を進むことにしたのだ。



 その後、目的地に到着した時。

 まっさきに気づいたのは、


「あれ……愛奈、か?」


 何やら緊張の面持ちでテーブルにつき、知らない誰かと話しているコスプレ愛奈の姿。

 そこら一帯にはこう記されていた。


《出張マンガ編集部》と。





 

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