第7話:後々考えてみれば大胆な判断だったが、間違ってはいなかったとも思う等


「はぁ~~つっかれた~~~~♪」


 屋根のある休憩スペースにいる愛奈が、座ったままぐい~っと背中を反る。

 疲労を口にしてはいるが、その表情は「とても楽しい」と大きく書いてあるかのようだ。


「おつかれ」

「あれ、もしかしてソレは差し入れってヤツですか?」

「まあな。正直、今日はずいぶん助かったよ」

「えへへっ、そういうことでしたら有り難くもらいます♪」


 自販機で買ってきたスポドリを渡すと、愛奈は口をつけた途端にゴクゴクと飲み干していく。なんともほれぼれするような飲みっぷりだ。


「……ぷはぁっ。はー、生き返る~~」

「勢いよく飲むのはいいが、ちょっと零れてるぞ。口元とか、胸に」

「舐めます?」

「舐めねえよ」


 隣に座ってる俺に向かって四つん這いになるな。挙動がおかしいだろうが。


「めっちゃ残念そうですね」

「うるさい。ほら、ゴシゴシ」

「わぷぷっ、もう先輩ってば照れ屋さんなんだから」

 

 肩にかけていたタオルで零してたスポドリをぬぐう。

 やっておいてなんだが、これはこれで異性に対する行動としてはやりすぎ感が否めない。


 だが、愛奈に気にする様子はない。

 やっぱりというか、こいつは普通に考えて尋常ではないくらい距離感が近い。

 元々そういう性質なのか。あるいは何か意図があるのかはわからないが。


 休憩時間中にも関わらず、二十五メートルプールできゃあきゃあ水かけ遊びをして楽しむ生徒達の声が聞こえてくる。どこかまったりした空気が漂うこの場では、あまり変に悩むのもバカらしい気分になる。

 何も泳ぐだけがプールの楽しみ方じゃない。長い休憩を終えたら、即興で流れるプールを作る遊びでもやってみるのはどうだろうか。


「せんぱい、なんか楽しそうですねェ」

「そうか?」

「ええ、そうですとも。全身の筋肉さんが言ってますよ、ひゃっほい最高だぜェって」


「……何かの例えか?」

「ふっふっふー、実はあたくしには筋肉の声が聞こえるんですよ。ほら、耳を澄ませば先輩の太腿四頭筋が『よっ、そこのマブイギャル! いっちょオレッチに触ってみいねぇ!』と訴えて――」

「や、そういうの間に合ってるんで」


 伸ばしてくる手がワキワキ動くのが怪しい上に、マブイとか。一体何年前の表現なんだ。


「エー、いいじゃないですか触らせてくださいよー。減るもんじゃないっしょー」

「お前は知らない男から『太腿を触らせろ』と頼まれたら触らせるのか?」

「イヤですね」

「そうだろ? つまりはそういう事――」


「でも先輩ならイヤじゃないですよ」

「…………なんでそうなる。例え俺だろうが男が触るって点じゃ同じだろ」

「知らない男と博武先輩だったら、まったく違うっしょ」


 その通りではあったが、どうにも納得がしにくい。

 なにゆえこの女は知り合って間もない俺にそこまで許すのか。異性に好かれるのは嬉しいが、不可解でもあった。


「じゃあ知り合いならいいのか?」

「どーでしょうね。相手次第じゃないですカ」

「なのに、俺ならイイと?」

「はい♡ だってあたしと先輩は肌を重ね合った仲じゃないですかー」


「いつ!?」

「何回もあったでしょ。泳ぎを教えてもらってる時とか」


 それは“重ね合った”ではなく、いいとこ“触れ合った”だッ。


「まったく……お前が変なヤツの誘いに乗らないか心配になるぞ」

「ええー、なんですかその言い草は」

「まあ、ココに来る分には平気だろうが……」

「そーですよ、先輩がいつでもいるし♪」


「いや、ここを手伝うのはもう今週いっぱいで終わりだ」

「……え”っ」


 愛奈から苦味たっぷりの「えっ」が飛び出した。


「マジですカ」

「ああ。元々決まってた事だからな」

「ええー、そんな~~~。先輩がいなくなったらあたしはどーすればいいんですかー? 泳ぎ方を教えるのもまだ途中でしょー?」

「ええい、すり寄るんじゃない」


 ほら、変な事するから生徒達の一部がこっち見てるじゃないか。


「ちょっとコッチへこい」

「あーーれーーー、人気のないところへ連れてって何をする気でフグッ?!」


 口で言っても止め無さそうなので、俺は愛奈の口を手で塞ぎながら引きずるようにプールの裏手にある倉庫前まで連行する。ここならフェンスにへばりつきでもしなければプール内から見られることもない。


「ぷはぁ、やだ先輩。ほんとに強引なんだから♡」

「……その、なんだ。教えるのが中途半端になったのは悪いとは思うが」

「ちょ、ガチトーンじゃないですか。そんなに気にされるとあたしもキョドっちゃいますよ」


「悪いと思ってるのは本当だからな。だが、同時に感謝もしてる」

「はえ?」

「さっきな、お前のおかげでなんかスッキリした。くよくよしてた分を、取り戻そうと思うんだ」


 そのためには元居た場所に戻らなければならない。


「俺、準備ができたら水泳部に顔を出すよ。逃げたヘタレに居場所はないかもしれないが、もう一度あの場所に戻って、今度こそ目指してた大会に出る」


 それから、俺が楽しいと思える泳ぎをしたい。


「…………」

「何を言ってるんだと思われるかもしれないが……お前のおかげだよ、ありがとう愛奈」


 話に追いついていないためか。黙ってしまった愛奈に向けて、大きく頭を下げる。

 俺なりの深い感謝をこめて。


「……よかったじゃないですか。あーあ、せっかくいい先生に会えたのになぁ」

「まあ待て早まるな。まだ続きがある」


 こほんとひとつ咳払い。


「愛奈への感謝を示す方法として……可能な限りではあるが、お前のお願いを叶えてやる。これをお前に対する最大のお返しと思ってくれ」

「…………えっ?」


 なんとも不器用な方法ではあるが、他に良い代案が思いつかなかった。

 それにコレなら愛奈が「今後も泳ぎを教えろ」と要求しても、まったく問題なく対応できるしな。


「早速だが、何かあるか?」

「………………」

「愛奈?」

「………………」

「おい、フリーズするn――」

「マジですカ!!!!!」


 どうやら衝撃のあまり反応が大分遅れたらしい。愛奈の大声が俺の鼓膜と頭に響いた。


「あ、ああ。とはいえお前が微妙なら拒否してい――」

「しぃ! いまフル回転でメチャクチャ考えてるんで黙っててください!!」

「お、おう……」


 どうやらこれまでにない程頭を悩ませている愛奈は、うんうん唸りながら煙を噴き出さん勢いで考え込みはじめる。しばらく待ったが答えが出る気配がないので、「後日でもいいぞ」と伝えようとしたその時。


「うっし! 決めましたよ先輩!!」

「ああ、どうしてほしい?」

「確認しますけど、どんなお願いでも叶えてくれるんですよね!? 嘘や偽りやトンチも無しで!」

「…………念を押すが、俺に出来る範囲内でだぞ」


 百兆円くれとか言われたらどうしようもない。

 今更ながら、大興奮している愛奈を前にして「早まったか……」という感想が浮かんでこなくもない。

 だが、義理はとおすものだ。この場において二言はない。


「大丈夫です、よゆーです!」

「じゃあ……言ってみてくれ」


 この時の俺は非常に緊張していた。

 予想を超えたとんでもないお願いが飛び出すのではないかと。だが、愛奈は強引なところはあるが悪意で誰かを困らせるタイプではない。そんなヤツはあんな風に子供と仲良くはなれない、というのが俺の持論だ。


「えっへっへ……では! 愛奈ちゃんが先輩にするお願いは~~――――」



 たっぷりタメを作ってから、愛奈が照れながらお願いをしてくる。


 ――――――

 ――――――――

 ――――――――――――


 すべてを聞き終えた俺の第一声は、予想を超えたというより予想外のお願いに対するもので、

 

「…………んんっ???」

 

 大量の疑問符付きとなった。





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