第5話:無邪気なあだ名:エース師匠


「えーー、というわけで! いつも皆に泳ぎ方を教えてくれていたゴリクマ先生が、今日はお休みです」


 日除けの屋根がある場所で職員のおじさん――皆川さんが子供達に向けてそう言うと「ええーー!?」やら「あのゴリクマが?!」等、一気にプールが騒がしくなった。


「うん、残念な気持ちはよーくわかる。だけど安心してください! 今日のためにメチャクチャ頼りになる助っ人に来ていただきました!!」


『助っ人~?』

『ゴリクマの知り合いなら……ウーパールーパーとか?』


 静かにざわめく場内。

 すぐ横にある壁の裏でスタンバイしている俺にはその声は丸聞こえなのだが、とりあえずゴリクマ先生(※会った事ない)の知り合いがウーパールーパーとは一体どういう発想なのかさっぱりわからない。


「それじゃあ……鳶瑞とびみずくんでーす。拍手~~~!」


 何やら盛大にフってもらったタイミングで俺が姿を現すと、子供達が「わーーーー!!」とパチパチ拍手で出迎えてくれた。いかんな、割と気恥ずかしいぞこれ。

 しかし、今日の俺は先生として職務にあたるべき存在。ならばこの程度で怯むのは以ての外であり、来てくれた子供達に水泳のなんたるかを教えねばならない。


 ――よし。

 力の限りやってみようじゃないかと気合を入れて、俺は挨拶を始めた。


「こんにちは、鳶瑞です。今日はゴリクマ先生に代わって、キミ達を指導できればと思います。どうかよろしく」


 控えめな拍手が響く。


 おじぎをし終わってから水泳教室の面々を改めて確認してみると、その大半はまだまだ小さな子供のようで、年長者でも小学校低学年~中学年といったところだった。水着は学校指定の物を着ている子や海で着るような水着の子もいたりと多様だが、全員がちゃんと水泳帽をかぶっている辺りが水泳教室らしいと言える。


 人数は十人ほど。

 よほどちゃんとしてない子がいない限りは、監督役として俺と皆川さんがいれば十分なんとかなるはずだ。


 ただ……不安要素はある。


「へいへーい♪ 博武先輩キンチョーしてますかー? 挨拶が堅苦しいですよー♪」


(こそこそ)『お姉ちゃん今日初めて来たんだよね? なのにあの人を知ってるのー?』

(ひそひそ)『んんー、あの人はねーあたしの師匠なんだよ。いつも手取り足取りしっぽり優しく教えてくれる、水泳部のエースなんだから♪』


 その不安要素たる愛奈金髪ギャルが、早速俺を煽り始めると同時に近くにいた女の子とこそこそ何かを話し出した。その会話の流れは一気に生徒達に広まっていき、


「とびみずって、どんな字かな?」

「わかんない」

「それより師匠ってなんかカッコよくね? あのおっきな姉ちゃんと一緒に滝に打たれたりしたのかな」

「水泳部のエース! 師匠でエースって事!? なんかすごい!!!」


 いかん、子供達が騒ぐ格好のネタを与えてしまったらしい。

 ここは上手くまとめないと水泳教室の進行が危うい。


「あー、良い子のみんな。そこにいる場違いにデカいお姉さんの言葉は気にしないで準備体操を――」

「やだ先輩♡ こんなに小さな子供達がいる前で胸がデカいだなんて……本当だとしてもネタのチョイスがやらしいですよぅ♡」


 どうやら自称デカくていやらしい女さんは連日の暑さでお脳味噌がヤられているらしく、胸を強調するようなセクシーポーズでアホな事をのたまい始めた。

 そしてその言動が何故か「おおーーーー」と子供達が驚嘆している。なんだ、俺は今一体何を目撃しているんだ?


 水泳教室が始まる前から、子供達の心を掴むという点において俺は大敗北しているとでもいうのか。


「……蜂丈さん。あまり余計なことは言わないようにしようね」

「はい師匠♪ あたしはイイ子なのでちゃんと言う事聞きますよ! イイ子なので!」


 愛奈が手をあげながらイイ返事をするが、子供達の騒ぎがソレで収まるわけじゃない。


「師匠ってすごいんだねー」

「いや、師匠でエースなんだからとんでもなくスゴいんだよきっと」

「よーし、あの人は今日から俺達のエース師匠だ! エース師匠、今日はよろしくお願いします!!」


「え、ちょ」

「ぷはっ?! え、エース師匠だって……ぷくく……最高のあだ名じゃないですカ。ね、エース師匠」

「やめろ、変な名称を浸透させるんじゃない」


「ハイハイ、みんなそのぐらいにしようね」


 俺が慌てだしたのを察知したのだろう。皆川さんがパンパンと両手で鳴らしながらストップをかけてくれる。さすがはこの場における最年長者というべきか、愛奈を含めた生徒全員がすぐに静かになってくれた。


「よーし、それじゃあ準備体操から始めよう。みんな、立ったら両手を広げて前と横の人にぶつからないよう間をあけてー」

 

 あの騒がしかった子供達が皆川さんの指示によって体操に必要な距離をとりはじめる。きっとこれまでの水泳教室で培われたのであろうスムーズさだ。


「じゃ、あたしは先輩の真正面で♪」

「他の子の邪魔になるからお前は一番後ろ」

「ぶーぶー」


 周囲と身体の大きさが一回り以上違う愛奈が、ぶーたれながらパタパタと最後方へ移動していく。


「うんうん、まあこんなもんだろう」

「あの、すみません。俺、あまり上手くできなくて……」

「ハッハッハッハ! なーに、これからやれるようにすればいいのさ。キミの本番は体操の後になるんだからね」


 豪快に笑う皆川さんにつられて、俺も少しだけ口元が緩む。

 だがしかし。


「そんなわけで号令頼むよ、エース師匠!!」


 まさかの皆川さんにまで謎のあだ名で認定されるというオチをつけられてしまい、俺以外の全員から笑い声があがるハメになってしまうのだった。




 ――それから、愛奈が一番後ろに移動させたのは英断といえよう。

 黒ビキニだけではあきたらず、新しく買ったらしい過激な水着で来やがったあの後輩の準備体操を眼前で目撃した場合、いたいけな子供達(主に男子)の性癖が歪みかねん。


「お姉ちゃん……おむねスゴイね。あたしよりずっと大きい」

「あはは、あなたもすぐこれぐらい大きくなるよ♪ 興味あるならコツ教えてあげよっか?」


 ……アイツもう、他の子から半径数メートルは離した方がよいかもしれん。

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