第2話:故障・出会い・プールサイドの肉体攻防戦

「治るまでには、数ヵ月はかかるわ」

「……え?」


 それがよく見知った白衣の女医から宣告された、身体の故障が治るまでの時間だった。付け加えるなら大会に向けて動いている時に、腰回りの急な痛みを発症した俺への対しての死刑宣告でもあった。


「いい鳶瑞くん、落ち着いて聞いて? しばらくトレーニングは止めなさい。日常生活でもなるべく患部に負担がかからないよう、よく注意をして――」

「ま、待ってください! 俺、大会が近いんですよ。だから、休んでる暇なんて」


 俺にとってその大会で勝利する事は目標だった。

 だから、反射的に医者に喰ってかかった。どうしようもない事実を前にして、そんなの嘘だと跳ね除けたかったのだ。


「無理をした場合、選手生命に関わると言っても?」

「そ、そんな……ッ」

「気持ちはわかるけど、大会に出たいなら来年にしなさい。学校やご家族には私からもよく説明させてもらいます。それから――」

「………………」


 茫然自失となった俺の耳には、もう医者の言葉は届いてなかった。

 大会に出れない。

 これまで頑張ってきた成果が出せないどころか、挑戦すら出来ない。

 

 ――水泳部の仲間になんて言えばいいんだ。

 卒業前の最後の大会になるであろう先輩に、なんて謝ればいい?

 あいつら、あんなに俺を頼りにしてくれてて……、


『一緒に優勝しようぜ』

『俺達なら出来るさ! なんたって博武がいるからな』


 その気持ちを台無しにする?

 こんな形で……?

 

「うそだ……どうして……」 


 頭を上げられないまま、俺はその場でボロボロと涙を零す事しかできなかった。

 

 

 事情はすぐに周囲に伝わった。

 水泳部のコーチや仲間達はイイ奴らだ。誰も俺を責めないで心配してくれた。

 中には俺がしていた過度のトレーニングを叱ってくれるヤツもいた。


 だが、その温かさを有り難く感じると同時に、俺は自分が許せなくなった。

 もっと体調管理をしていれば、もっとこうしていれば、ああしていれば……。次々に浮かぶ後悔は、気付いたら仲間達と距離をとらせるようになっていく。


 言い訳はしない。俺は、みずから水泳から離れていったのだ。



 ◇◇◇



 大会に出場できないまま本格的な夏が訪れた頃、俺の身体はそれなりに回復していた。

 ただ以前のように泳げはしない。落ち込んだメンタルも影響したのか、医者の見立てよりも治るのには長い時間を要したため、泳ぐ練習がロクに出来なかったのである。

 多少泳ぐ程度なら大丈夫だったが、その状態で全力で泳げるはずもなく、仮に泳げたとしても期待できるタイムなど出ない。


 そんな折に、知り合いからプールの監視員を頼まれた。

 近所にある自然あふれる大きな公園の一角にある小さなプール。二十五メートルプールと子供用プールしかない、監視員が一人~二人いれば足りそうな、地元民の一部くらいしか使わない隠れスポット。


 家でうじうじするよりは……。

 そう考えた俺はアルバイトとして引き受けた。どうせ大して人もいないだろうと高をくくって、バイト中のヒマをどう潰すか考えていた俺の予想は大きく外れてしまうことになる。


「よーーーーーーし!!」


 遊園地のレジャープールや人であふれる海水浴場ではない。居たとしても水遊びをわーわー楽しむ子供と見守る保護者しかいないはずのショボイ場所に、ものすごい気合を入れてプールに臨もうとする黒ビキニでキメてきたギャルが開場と同時に現われたのだ。

 正直目のやり場に困ると同時に目が離せなかった。

 俺だって健全な男であるからして、自然と目線がその無邪気に揺れる北半球に吸い寄せられるのは仕方ないだろうとは思う。

 だが、それとは別に。


「がぼぼぼぼッ!?」

「………ッッッ!!」


 そのギャルは泳げなかった。

 動きが明らかに溺れてるヤツのそれ。水泳部には絶対いないカナヅチというヤツだ。水泳部活動の一環で溺れてる人間の救助方法を知っていた事を、あれほど良かったと思えた時はない。


「ハァ、ハァ……ア”ー、グルジガッダァ」

「大丈夫ですか? ゆっくり呼吸してください。……はい、そうです、その調子」


 幸いレスキューが早かったので大事には至らなかった。俺がもう少し同世代の女子を抱えて引き上げる事に躊躇してたらと思うとアレだが……。まさか今更助けた後に触っただの痴漢だの言われたりはしないと信じたい。


「気持ち悪かったりしますか?」

「だ、だいじょび」

「…………ふぅー、よかった大丈夫そうですね。念のため少し休んでからプールに入ってください」

「うん! ありがとっ、イイ身体のお兄さん♪」

 

 お兄さんはともかくイイ身体とは……?

 疑問に思いながらも、俺は「じゃあこれで」と高い椅子のような監視員席に戻る。


 その数分後。


「がばろぼぼぼぼッ」

「ッッッ!?」


 また同じ流れが繰り返されたので、さすがに焦った。

 コイツは一体何がしたいんだとムカッとしてしまった俺は、つい怒鳴ってしまう。


「何やってんだあんたは!?」

「ご、ごめんなさい…………」


 ケホケホしながらシュンと小さくなる女子の態度に、「言い過ぎた……」と怒りの炎がみるみる萎んでいく。

 

「……潜水の練習でもしたいのか?」

「え? したいのは泳ぐ練習だよ?」


 見てわかるでしょ。と言いたげな態度に、俺の不満が高まっていく。

 泳ぎの練習であれか? せめて浮き輪をつけたらどうだ? 無様に溺れる呪いがかけられでもしたか?

 そんなあふれるツッコミを飲みこむのも楽じゃない。


「…………冗談か。すまん、まともに受け取りそうになった」

「冗談じゃないってばお兄さ――って、あれ? よく見たら……鳶瑞先輩? 水泳部のエースがなんでこんなところに???」


 この時の俺は目の前のとんちきギャルに見覚えがなかったが、相手はコッチが誰なのかを知っていたらしい。知り合いに見つかった罰の悪さがこみあがって、思わず顔を逸らしてしまう。


「アルバイトだ。それ以外ないだろ?」

「へえー、あの鳶瑞先輩が…………」


 どこか感心したような反応する彼女は、しばしの間暑いプールサイドで何か思案顔をし始める。用済みらしい俺がその場から離れようとすると、背後からガシッと掴まれた。

 腕を掴むなり声をかけるなりすればそれで済むはずなのに、何故かその蠱惑的な身体を使った全身で俺の腰にしがみつく形で。


「うおッ!?」

「せんぱい! これも何かの縁だと思ってお願いしたい事があります!」

「な、なにすんだ離せ!」

「離したらお願い訊いてくれる?」

「なんでそうなる! ちょ、ばっ!? やめろ体重を下にかけるんじゃない、水着が脱げる!」


 付け加えると腹側に回されてる両手の位置が非常に危うい。その掌が俺のセンシティブエリアに完全に入り込んでいる。まさぐられでもしたら本気で洒落にならない。


「おーねーがーいしーまーすー!! ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから! あ……先輩のが段々かたく――興奮しちゃってます?」

「腹筋の話な! あと、いきなりしがみつかれれば無理のない話だろ?!」


 さっきから背中から尻あたりにかけて、柔らかいふくらみが思いきり当たってるしな!


「あ、やば……よだれでそう。なんて引き締まったいい筋肉……」

「荒い息を吹きかけるんじゃない! お前はアレか、変態なのか!? そうなんだな!!」

「やだなー、あたしは変態じゃないですよー」

 

 顔は見えないが、さぞこの時の彼女は楽しげにしていたに違いない。


「あたし、蜂丈愛菜はちじょう・あいなって言います。純情可憐にして先輩の一個下になるカワイイ後輩です」

「こ、後輩?」


「ですです。だからせん・ぱい♪ あたしに泳ぎ方を教えてください♡ ちゃんとお礼はしますから、ね?」


 大変外聞の悪い俺たちの怪しい攻防は、他のお客さんが来場するまで続いた――。

 尚、最終的には俺の我慢負けだった。








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