また会えたから、また頑張れる 5

 カイニが最も長く共に戦った仲間は、キタではない。

 カエイ、キアラ、コロカ。

 勇者PTの仲間達である。


 当然ながら、カイニは彼らと共に戦う時の方が息が合う。


「おいで、クタチ」


 カイニが投げた魔剣が爬虫類型の魔族の首を三つほど切り飛ばした後、カイニの呼び寄せに寄ってUターンし、魔族の首を二つほど切り飛ばしながら手元に戻る。


 崩れた魔族の陣形に、両手に大盾を持ったコロカが突っ込む。

 絶大な質量の突撃により、当たった魔族が十数体吹っ飛んだ。

 カイニが切り開いた隙間を強引に広げ、出来た隙間からカイニとコロカが突破し、この場を脱出する。


 皆殺しにするだけなら簡単だ。

 しかし、今は時間がない。

 魔王勝利の時間波がカイニに追いつけばカイニは消滅、キタが事故で殺されれば冒険の書も失われ詰み、王都の外には規格外の敵の魔力が感じられる。

 ここで足を止めている場合ではなかった。


 また魔物が数体出てきたが、コロカの体当たりによって一瞬でミンチに変えられ、巻き込まれた数体ごと街の彼方に吹っ飛ばされていく。

 カイニが投げた魔剣が、その中に一匹だけ混じっていた『速く飛ぶ魔物』の喉に突き刺さり、魔剣はまたカイニの手元に戻っていった。


 フル装備時のコロカの総重量は、24トン。

 コロカは『体を頑丈にする魔法』と『重さの向きを変える魔法』で敵を蹴散らし、重さを乗せた盾で殴り潰し、その場に踏ん張って仲間を守る。そういうスタイルの重騎士である。


 この状況の王都においては、この上なく頼りになる盾役タンクであった。


「絶好調っすね、カイニさん! さすが!」


「本当に……コロカなんだよね?」


 カイニは、自分の歴史では死んだはずの、されどこの歴史ではまだ死んでいない、『人間要塞』コロカをじっと見る。


「えっ。あ、まさか! とうとう放置してた臭いがどっか行ってくれたんすかね! 臭くなくなったから偽物だと思われたに違いないっす! 奇跡っすね!」


「いや、普通にめちゃくちゃ臭いよ。こりゃ本物だ。風呂入れ」


「いやです……」


 コロカがげんなりすると、カイニがくすりと笑い、それを見たコロカが照れる。

 カイニの内に、懐かしく暖かな気持ちが蘇っていく。

 もう会えないと、そう思っていた仲間だから。


 コロカは、この上ないほどのパワーファイターだ。

 風呂には入らないし、恋愛に関しては馬鹿らしいほどに愚直である。

 しかし、決して愚かではない。

 彼には、ちゃんと推測し、ちゃんと解釈する、知の力が備わっている。


 カイニの様子と発言、そして何よりという事実から、コロカはあっという間に『真実』に辿り着いていた。

 走る足は止めず、コロカは諦観を浮かべた顔で喋り始める。


「ああ、なるほどっす。こっちが改変された歴史で、俺は改変されたことを自覚できてない。ってことは……俺はどっかで死んだんすねえ。冒険の書の対象に入ってない状態になってるってわけっすね」


 諦観に、どこか納得が混じったような声だった。


「……うん。ごめん、ボクが……」


「謝んないでくださいっす! へへ、結構誇らしい気持ちになってんすから!」


「え?」


「カイニさんが謝ろうとしてて、俺が死んでて、カイニさんが生きてる! もー大体分かってきてるってもんっすよ! だから、謝らんでほしいっす! 本当の歴史の俺が、もしカイニさんを守って死ねたんなら、そいつは最高に嬉しいことっす!」


「っ」


「だから、何も言わないでほしいっす! ……カイニさんを守れず死なせたのに、生き延びちまった今の俺が、否定されるべき歴史であることが、本っ当に、たまらなく嬉しいんす! 嘘なんかじゃないっすよ!」


「コロカ……」


 正しい歴史において、コロカはカイニを守って死んだ。

 だが改変後の世界では、カイニが殺され、コロカは生き残った。

 それは盾の騎士にとって、どれほど己を許せない理由になっていたのだろうか。


 生きているカイニを見て、救われたような表情で語っているコロカを見れば、その心境の一端は垣間見えるだろう。


 彼の内側に満ちているのは、狂おしいほどの後悔。

 本当なら、絶滅存在ヴィミラニエを呼び寄せてしまうもの。

 仲間を死なせたカイニが絶滅存在ヴィミラニエを呼びかけてしまっていたように、コロカもまた、カイニの死後に同様の後悔を得てしまっていた。


 だがこの世界が改変後の世界である以上、彼に応える絶滅存在ヴィミラニエなどいるはずがない。

 後悔は歴史を変えないまま、ただただ毎日、コロカを苛み続けた。


 けれどそれも、今日までの話。


「……」


 あの日、冒険の書に、三人の名前が書き込まれた日に。


───じゃあ、なおさら書かないといけないっすね。へへ。女の子一人をそんな地獄に放っておくなんてできるわけねえっすよ


───ふぉっふぉっふぉっ。構わん構わん。これまで二千年戦ってきたんじゃ。追加でもう二千年くらいなら付き合って戦ってやろうじゃあないか。なぁに、永遠に戦う地獄などと思うこたぁない! たまに海に行って水着のチャンネーでも見て肉を貪り食えばまた明日から戦う気力は湧いてくるものよ! ふぉっふぉっふぉっ!


───辛かったでしょう。こんなこと、ずっと一人で抱え込んで


 三人は、『国』にでもなく、『大義』にでもなく、『勇者』にでもなく、『カイニ』についていくことを決めた。


 そんな仲間だから、死なせたことが、カイニの狂おしいほどの後悔になった。


 そんな仲間だから、ずっと後悔しているカイニを許してくれる。


 ネサクとルビーハヤブサと戦った時、カイニの剣先を鈍らせてしまったものが、言葉にできない暖かさによって、溶けて消えていく。


「カイニさんは絶対に悩んでると思うんで、先んじて今のうちに言っとくっすけど、俺はカイニさんのために死んだなら、後悔なんて何一つないはずっすよ! いや、俺だけじゃない、カエイさんもキアラのジジイも同じ気持ちのはずっす! だって俺達はこれまでもこれからもずっと、心は一つ、魂は一つ! そう誓ったから!」


「……っ!」


「俺らが死んだくらいで、過去はなくなったりしない! 一緒に居た時間は消え去ったりしないっす! だから、誓いだってなくならない! 俺達は一つっす! ずっとカイニさんと繋がってるっす! 謝る必要なんて、どこにもないっすよ!」


 変わり果てたダネカが残した呪いを、変わっていないダネカが解いたように。


 死んでいった仲間が残した呪いを、まだ死んでいないコロカが解く。


 それはきっと、偶然ではない。

 ありえない奇跡などでもない。

 何度も時間を飛び越える戦いを続けていれば、いつか必ず出会えた出来事。

 すなわち、必然だ。


 強い絆で結ばれた仲間は、時の改変と跳躍が繰り返される中、いつか必ずキタやカイニを許すか、背中を押す。

 絆があるからこその必然。

 絆の救いに、偶然などないのである。


 だからカイニも。また会えたから、また頑張れる。


「ありがとう、コロカ」


「へへっ」


 後悔の鎖がほどけて、弾けて、どこかに消えて無くなっていく。


 コロカが死んだ過去は変えられない。変えてしまっては、世界が終わる。彼に死んでほしくないという気持ちも、あの日の後悔も、消えてなくなったりはしない。

 それでも。


 カイニには、彼に守られた者として、彼に託された者として、彼に信じられた者として───恥じない自分でいようと、再び覚悟を決め直した。

 それがほんの少しでも、姿だと信じて。


 燃える王都を、二人は走り続ける。


「ねえ」


「ウス! なんすか!」


「キミ、こんなボクのどこが好きなの?」


 コロカが思い切り建物の壁に突っ込んだ。


 制御を失った合金の塊となったコロカが、壁を数枚ぶち抜き、ようやく止まる。


 『こんなに動揺するとは思わなかったんです』と、カイニは心の中で敬愛するお兄さんに謝罪した。


「おーおー、また派手に……」


 傷一つ付いていないコロカが、大量の瓦礫の下から這い出してくる。


「な、なななななんすか突然!」


「いや、生きてる間に聞けなかったから。あのさ、ボクは……キミたちのことをずっとずっと憶えていたい。もちろん、コロカのこともね」


「ゔっ、照れるっす」


「照れるな。……だから、さ。こういう時に、聞きたかったこと全部聞いておいて、ずっと憶えておこうかなって」


「……ほんっと、幸薄い絶世の美人って感じなのに、中身は純粋で優しくて、外見の大人っぽさと中身の子供っぽさでクラクラさせてくる人っすね……」


「なんでキミはいつも一言多いんだ。幸薄いとか子供っぽいは要らないよ」


 ちょっと拗ねた様子のカイニに、コロカは苦笑する。

 カイニを見つめるその目に、ぼうっとした熱があった。

 『この人が好きだ』というほのかな熱。


 別れは、近かった。

 それが勇者の責務だから。

 そんなこと、勇者のお供として絶滅存在ヴィミラニエと戦ってきたコロカには分かっている。


 もう一緒には、居られない。


 正史ではコロカが死んでいる。

 この歴史ではカイニが死んでいる。

 


 何がどうなろうとも、カイニとコロカが結ばれることはない。

 カイニが仲間を失って後悔に蝕まれるか。

 コロカがカイニを失って後悔に刺されるか。

 そのどちらかしか、可能性は無い。

 時が改変されない限り、失った後悔を得たカイニと、失った後悔を得たコロカが出会うということ自体、ありえぬことなのである。


 この出会いは奇跡である。

 コロカがカイニの後悔を祓ったのは必然だが、この歴史のこのコロカがカイニに出会えたのは、時の奇跡だ。

 カイニを救うコロカは、どんな歴史のコロカでもいいのだから。


 ゆえに。

 初恋の女の子と言葉を交わし、心で触れて、笑い合うのは、これが最後。

 これが、この歴史におけるコロカにとって、最後のカイニとの会話になる。


 そう思えば、悲しみも生まれ、苦痛も生まれる。

 耐え難い辛さが、コロカの胸の奥を掻き毟る。


 『好きな人と一緒に居られない』というだけのことが、こんなにも苦しいだなんて───数年前のコロカでは、想像することもできなかった。


 コロカは深呼吸して、気持ちを飲み込む。

 騎士らしく、毅然として。

 男らしく、堂々として。

 勇者の供として、最後まで彼女に恥じない男でいようと、コロカは胸を張った。


「カイニさん、その服似合ってるっす。めっちゃ可愛いしえっちっすね」


「ほんっっっっっっっと一言多いよね、キミは」


 突然そんなことを言い出してきたコロカに、カイニはキタに買って貰った黒いワンピースの乱れを直し、疾走しながら自分の胸のあたりを腕で覆い隠した。


 コロカからすればカイニは他に類似が挙がらないほどの美巨乳で、正直に言えば前々からずっとそういう意味でも大好きだったが、今はそれが本題ではない。


「いや、本当、良かったなぁって思ったっす」


「え? 何が? ボクがちょっとえっちに見える服着てるから?」


「いやいやいや! まあそれも思ったっすけど、えっちで眼福だなとも思ったっすけど! そうじゃないっすよ!」


「言い訳は去勢してから聞くよ」


「ウワーッ! 違うっす! カイニさんがしてて、そんでから! 他にはなんもないっす! 本当っす!」


 少しばかり、その場の空気と、表情が緩んだ。


「正直、勇者勇者してる時のカイニさんは格好良くて尊敬してるっすけど、そんなに女の子として好きなわけじゃなかったっす。飾り気なくて、いつも同じ服で、目つきは鋭くて、戦うことしか考えてなくて、人間が楽しいと思うこと全部を『時間の無駄』だと思ってそうな、そんな風だったっす」


「……まぁ、そうだったかも」


「でも、そんなカイニさんが、女の子に戻る時があったっす。それが、キタさんの話をしてる時! ああいう時の『ただの女の子』のカイニさんに俺は惚れたんすよ! キタさんは、正直ちょっと妬ましいくらい、カイニさんにとって必要な人っす。だって話題に出てくるだけで、カイニさんをちょっと幸せにしてたんすよ!?」


「……そうだった?」


「そうっす!」


 コロカは、嘘偽りない本音を口にする。

 勇者カイニと共に旅をしてきた者として、想う事を口にする。


 『勇者としてのカイニ』より、『女の子としてのカイニ』の方がずっと、ずっとずっと、魅力的だったと、告げる。


 それは、キタに幸せにされたことで少しだけ弱くなってしまったカイニに対する、無自覚のエールだった。

 並ぶものなき、最大のエールだった。

 『幸せになってほしい』という、カイニに恋をした男のエールだった。


「俺、キタさんのことが好きなカイニさんが好きっす」


「───」


「だからさっき、きっとカイニさんは魔王に勝って帰って、キタさんと再会して、幸せになれたんだなぁ……って思ったら。なんか、最高に嬉しかったんすよ」


 恋愛絵物語を読んでいる時、多くの人が体験する、不思議な経験がある。


 『俺は主人公じゃないのに、主人公のことを好きになったヒロインに恋をしてしまった。俺じゃない男を好きになってからの、あの子が好きだ。俺じゃない男にずっと一途なあの子が、俺じゃないあの男と結ばれて、幸せになってほしいんだ』。


 コロカには、それに似た気持ちが芽生えていた。

 応援する気持ち。

 幸せになってほしい気持ち。

 自分以外の誰か一人に対して、その女の子がずっと一途であることで、不思議と満たされていくような、そんな気持ち。


 コロカは、キタという顔も性格も知らない男が、カイニというただの女の子を、この世で一番幸せな女の子にしてくれることを、願っている。

 何年もの間、ずっと、ずっと。


「キタさんの話をしてる時のカイニさんが好きっす。キタさんを守るためならなんだってできるカイニさんが好きっす。泣きたい時、キタさんを思い出して耐えてるカイニさんが好きっす。キタさんの所に帰るために不可能を可能にするカイニさんが好きっす。カップルを見て、キタさんと自分で妄想してる時のカイニさんが好きっす。使うあてもないのに、カップルの相性診断で自分とキタさんの相性を確認してるカイニさんが好きっす。キタさんにずっと一途なカイニさんが好きっす。キタさんをずっと想ってるから、告白されても揺れることすらないカイニさんが好きっす。これがきっと、俺があなたを好きな理由。……俺は今でも、カイニさんのことが好きっすよ。だって今のカイニさん、前よりずっと、キタさんのこと好きでしょう?」


 カイニは、ふにゃっと笑った。


 カイニはコロカを男として好きになったことはない。だが、それでも。


 心の底から信頼する仲間にこんな事を言われて、何も思わない女が居るものか。


「女の趣味、悪すぎでしょ」


「その女本人に言われると説得力が違うっすねえ! ええ、まあ、否定できねえっす。俺、たぶんキタさんのこと好きじゃないカイニさんと会ったとしても、『綺麗な人だ』って思うだけで、別に好きにならないと思うっす……うん、趣味が悪い」


「ありがとう、コロカ。キミの告白、ボクはずっと憶えてる」


「へへっ、すぐ忘れてくれた方が嬉しいっす。恥ずかしいんで」


「やーだ」


 そして。


 王都の上空へと、魔王軍の『最強の一人』が放った『赫焉』が襲い、それが青い魔導結界に逸らされ、空の彼方へ飛んでいく。


 そうして、空に浮かぶ星が一つ、焼滅した。


「なっ……」


「あれは!?」

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