皆に「いらない」と言われた僕より 3

 カイニと別れた後、キタは記憶を頼りに調査を続け、絶滅存在ヴィミラニエが書き換えようとしている過去の出来事を特定することに成功していた。

 彼は地味で堅実なアプローチを選んでいたのである。


「やっぱりだ」


 神王歴2488年、二十四節気の第九節・芒種節の第13日。。

 この日何があったのか、キタは記憶していた。

 九年前であるため、薄れていた記憶もあったが、この日のことを忘れてしまうわけがない。


「……魔物が大量発生し、街を襲う日……」


 当時、魔王軍はそれまでにない荒っぽい行動を取るようになっていた。

 理由は言うまでもない。

 神王歴2487年に、勇者カイニが旅立ち、それを皆が知ったからである。


 魔王軍の統制下に入った魔獣は時に野性的に、時に理知的に、極めて悪意的に人間を襲うようになった。

 それが起こした事件の一つが、この時のこれ。

 膨大な数の魔物がいきなりこの街、はじまりの街チカを襲うのだ。


 奇跡的に死者が出なかった事件ではあったが、防衛柵や落とし穴などは全て破壊され、市街は半壊し、怪我人も多く出た。

 当時は結構な大事件として扱われていたと、キタは記憶している。

 キタがこの事件を忘れるわけがない。


 S級PT『明日への靴』の始まりオリジンは、この時の事件なのだから。


「この日、ここで起きる大事件と言ったらこれだ。絶滅存在ヴィミラニエは歴史に揺らぎを作って、それを押し切って歴史を書き換えるっていうのが大前提。あまりにも小さすぎる歴史改変に意味がないとすれば……これのはず……」


 魔物の大発生に何らかの干渉を行って、歴史を変える。

 それが今回の時間改変の目的だと推測できる。

 キタが魔物襲撃地点に向かおうとしたその時、何度目かの轟音が響いた。


「っ」


 カイニが行った方向で、絶え間なく繰り返される轟音と衝撃。

 キタは預かり知らぬことではあったが、カイニとルビーハヤブサらの戦いの余波がキタのところにまで届いていた。


 キタもカイニが戦っている可能性にはあたりをつけている。

 カイニの援護に行くか。

 カイニを拾って魔物の襲撃地点に向かうか。

 あるいはもっと別の手段を取るか。

 キタは少し迷い、考えた。


「……いや、よそう」


 だが、結局合流は選ばなかった。

 記憶を頼りに残り時間、地理、今後の展開予想などを加味して、キタなりにトータルでのリスクを計算し、爆音がする方へと行かないことを選択した。


 この状況での最悪は、あの爆音につられてキタとカイニが同時に誰も居ない場所に誘き寄せられ、誰も止められない状況で敵が時間改変を成功させる可能性だ。

 逆に言えば、それだけ回避できればなんとかなる可能性はある。


 キタの中では推論止まりであったが、魔獣襲撃の直前の今ならば、絶滅存在ヴィミラニエが街で大きな破壊をもたらしても、歴史の修正によって『魔獣の先制攻撃だった』という形で辻褄を合わせることもできる。

 歴史はまだ手遅れではないのだ。

 よく考え、最適解を選ぶことには、意味がある。


 勇者カイニが倒された今、キタ一人で絶滅存在ヴィミラニエを倒す力も手段もない、という点に目を瞑ればだが。






 キタは双剣を構え、深呼吸した。

 手札は多くない。

 打てる手を尽くしても、通用するのはいかばかりか。

 だが、やるしかないのだ。


 青い双剣を構え、まばらな草原が点在する荒野で待ち構えるキタ。

 その目の前に、赤いルビーの魔人が降り立つ。


 舞い降りた魔人には、右腕が無かった。

 おそらくはカイニに切り落とされたか、カイニに魔剣で斬りつけられた腕を自切して来たのだろう。

 片腕無き魔人は、キタを正面から威圧する。


「『やはり立ちはだかるか、真の勇者。本当の冒険の書の持ち主よ』」


「『お前が……』」


「『油断するな人間。途方もなく長き時に渡り、絶滅存在ヴィミラニエを倒して歴史を守ってきた時の守護者こそが本物の勇者だ。弱いと傲れば負けるぞ』」


「『わかってる』」


 ルビーの翼が広げられる。

 ビリッ、と、微細な魔力が大気に走った。

 この時点でもう、キタは一対一で勝てないことを悟る。

 力の差は歴然だった。


「カイニは?」


「『倒した。後はお前だけだ、真の勇者』」


 キタが目を細める。

 嘘はないのだろうと、ハッタリではないのだろうと、肌に感じる。

 カイニは敗れた。

 心配する心が首をもたげるが、キタは感情を懸命に抑える。


 今は行けない。

 今は。

 今対応すべきは、眼前の魔人。


「ちょっと、聞いていいかな」


「『フン。勇者と話すことなど……』」


「『構わない。冥土の土産だ、答えられることなら答えてやるよ』」


「『……』」


 すべきことの手がかりを求め、キタは敵との対話を選んだ。


 その選択は、かつて焦りから魔剣を構えたままアオアに詰め寄り、アオアとの対話の余地を失ったカイニとは対極になるものだった。


「何故、九年前を選んだ? 何を改変したいんだい?」


「『……』」


 魔人は少し迷った様子を見せ、これまで通りに人と鳥が混ざった声で、けれどこれまでのどれよりも人間らしい言葉で、穏やかに喋り始めた。


「『婚約者が居た。勇者と一緒に旅をして、最後の戦いで魔王に殺されたんだ。私と彼女は婚約者だった。私と彼女はこの街で暮らしていたんだ。彼女が街を出る前、一番大事なチャンスがあるのが、この日なんだ』」


「……恋人を、亡くしたのか。それは本当に、苦しかったんだろうな……」


「『……そんなに悲しそうにするな。自分のことでもないだろうに』」


「悲しいに決まってるだろう。悲しくないわけがない。誰かにとっての大切な人が死んでしまうことは悲しいことだよ。その気持ちを想像しただけで、ひどく辛い」


「『……そうか』」


「傷付いた人を更に傷付けることなんて、したくないんだ、僕は」


「『フン』」


 少しだけ、魔人の声色が、柔らかくなった。


 キタが魔人を見つめている。

 優しい目だった。

 慈しむ目立った。

 慰める目だった。

 その瞳には、愛する人をなくしてルビーハヤブサにすがったネサクに向けられる、傷付いた人へのいたわりがあった。


 ほんの僅かに、魔人の心の奥の奥が揺れた。


「でも……それなら、魔王との決戦に参加して、魔王を倒して、魔王から恋人さんを守ればよかったんじゃ」


「『ハッ。絶滅存在ヴィミラニエの力で魔王ズキシが倒せるものか』」


 ルビーハヤブサが自嘲気味に言う。


「『……簡潔にまとめられる話じゃないが、それでもいいなら、話せるが』」


「聞かせて欲しい。敵同士かもしれないけれど……少し心配だ。もしかして、くらいの話だから違ったら申し訳ないんだが、君は恋人が殺されてとても悲しかったというそのつらさを、誰にも吐き出せていないんじゃないか?」


「『───』」


「もしそうなら、僕は放っておけない」


 人と鳥の顔が混じった獣面の奥で、ネサクが人知れず息を飲んだ。


 どこでも見つけられそうなありふれた茶の双眸が、ルビーの魔人を真っ直ぐに見つめている。憎しみも無く、恨みも無く、怒りも無く。


 キタは忘れていない。

 現代で起きたあの惨撃を。

 破壊し尽くされた王都を。

 滅ぼされた人々の営みを。

 勝利に酔う魔族の残虐を。

 無残に殺されるだけでなく、死後まで尊厳を犯されていた皆の姿を。


 あれをもたらしたのは、願ったネサクと、叶えたルビーハヤブサだ。

 世界最大の虐殺者に数えたっていいだろう。

 ネサクが愛した人を失ったのも、ルビーハヤブサが同族を全て殺されたのも、確かな事実で、彼らは確かに被害者なのだろう。


 だがもう既に、彼らは加害者なのだ。

 人類全てから敵視されて当然である、というほどに。


 キタは彼らがやったことを許してはいない。

 理不尽な暴力をもってキタを叩き出した、あの仲間達のように。

 キタは虐殺も、理不尽な暴力も許していない。

 それらを安易に許してしまえば、力なき人々が安心して夜に眠りにつくことができなくなると知っているからだ。


 それでも。


 それでもだ。


「冥土の土産に、『最後の敵と少しだけ仲良く話せた話』を持っていけたら、ちょっとなんかいい感じだと思わないかい?」


 悲しみに暮れるこの人に対話を選ばない自分を、キタは許せる気がしなかった。


「『……変わり者だな、お前は』」


「『今に命乞いを始めるに違いない。人なんぞそんなものだぞ、人間』」


「『少し時間をくれ、ルビーハヤブサ。……彼女は……カエイは、私の幼馴染だったんだ。彼女は九年前に決意して、教会の戦闘訓練講習に参加して、八年と少し前に村を出て前線の臨時編成治療団に入ったんだ。彼女が14歳の時だった、と思う。それから前線での戦争に参加して、そこで勇者のお付きの候補に選ばれて……勇者と一緒に魔王へと挑み、そして死んだ』」


「うん」


 ネサクはゆっくりと、丁寧に、思い出しながら語り始める。

 心のどこかにあったのかもしれない。

 『聞いてほしい』という、とても人間らしい気持ちが。

 まるで、、どこか恐る恐るネサクは思い出を語り始める。


「旅立ちの日に止めて歴史を変えようとは思わなかったのかい? カイニは仲間が居なかったら魔王には勝てなかったと言っていた。カイニの仲間の一人が参戦しないというだけで、ひょっとしたら歴史改変の条件には十分だったんじゃないかな」


「『ははっ』」


「?」


「『旅立ちの日に"いかないで"なんて、当時の私だって言ったさ。でも、カエイにやんわりと諭されて、私は納得させられてしまった。……納得して、行かせてしまったんだ。何の根拠もなく、帰って来てくれると信じて。私がカエイを殺したんだ……行かせた私が……私とカエイに、再会する明日なんてなかったのに……』」


「……」


「『でも、違うんだ。彼女は愚かな選択をしたんじゃない。強い意志で戦場に行くことを選んだんだ。人を、世界を、私と一緒に生きる未来を、守るために。誰のせいでもない、彼女が選んだことだからこそ、町を出ていく彼女を止めることなんて誰にもできない。彼女の旅立ちの日に戻っても、絶対に無意味なんだ。だって……彼女は他の人を自分の代わりにしてまで、自分が生きようだなんて思わないから』」


 ネサクは気付いていなかった。


 いや、気付かないようにしているのかもしれない。


 気付けば止まってしまうから。

 狂気に酔えなくなってしまうから。

 彼女のためにできる唯一のことを、成し遂げられなくなってしまうから。


 『』と───誰かに言われたところで彼は止まらない。止まれない。止まりたくない。


 世界のために死んだ彼女のために、彼女のために世界を捧げる。

 それ以外に、愛した彼女の死に向き合えない。

 愛の狂気。

 あるいは、喪失の狂気と言うべきか。

 後悔が、彼の中で際限なく狂気を吐き出し続けていた。


 彼は倒されるまで、もう止まることはないのだ。


「『あの時……私が……彼女が戦う力を手に入れる道に進むきっかけを得た時に、私に何かができていれば……あんなことには……』」


「大量の魔獣がはじまりの街チカを襲った時のこと、だろうか」


「『……ああ。たくさんの人が傷付いて、彼女は人を守り、救いたいと、戦いの道に進むことを決めたんだ』」


「僕らもこの日、この町に居たんだ。僕らも全然、何もできなかった。当時……9歳とかだったから、何かできると思う方が思い上がりだったんだけどね。それでも悔しくて、悔しくて、守るために強くなりたいって誓ったんだ」


「『そう、か……お前達も……』」


 ルビーハヤブサは訝しむ。

 過去の自分がこの町に居るなどと言うことは、敵に致命的な弱点を晒すことと同義だ。明らかにリスクを増やすだけの発言である。

 過去の自分を殺されれば、それが未来の自分の死にも繋がるのだから。


 これが、真の勇者の企みであり、罠であり、誘導なのか。

 それとも、真の勇者は本当に、使命もなく、怒りもなく、一人の人間としてネサクの心に寄り添おうとしているのか。

 ルビーハヤブサには分からなかった。


「『辛くはなかったか? 後悔はしなかったか? 戦わなければ良いと思わなかったか? 君に問えば……もしかしたら、カエイの死ぬ前の気持ちも……』」


「僕の気持ちは僕の気持ちで、僕には君の恋人の代弁はできない」


「『そう、だな……カエイに会って聞かなければ、分からない……』」


「でも少なくとも、僕は後悔をすることはないと思う。辛くても、悲しくても」


 揺るぎなく、キタは言う。


 迷いなく、口を開く。


「信じていたいんだ。僕らが今を戦うことで、いつかきっと、僕らが後悔なんてする必要は全然ない、素晴らしい未来が訪れてくれるはずだって。僕だって後悔しそうになる時はいっぱいある。でもいつか、たくさんの『皆』で笑い合える未来が……僕に『後悔しなくていい。貴方の人生は素晴らしい』と言ってくれると、信じてる」


「『未来を、信じているのか? 過去に滅ぼされようとする今この時に』」


「信じてる。未来ではきっと、皆が笑っていると信じてる。だから……僕の誇りが、世界を救った勇者カイニが、勝ち取った平和と未来を、譲るわけにはいかない」


 ルビーハヤブサは、思ってしまった。


 あの時代に、この男が居たら。

 何が何でも、絶滅するはずだったルビーハヤブサの生き残りを匿って、守ってくれていたのではないか、と。

 理由もなく、そんな風に思ってしまったのだ。


 助けてと、何度も言った。

 滅びるまで食べないでと、何度も言った。

 誰か守ってと、何度も言った。

 私の子供達だけでいいからと、何度も言った。

 獣の知能が生み出した原始的な叫びであったが、滅び行くルビーハヤブサ達は、何度も救いを求め、叫んだ。


 だが神は、人間を贔屓しても、ルビーハヤブサを贔屓はしなかった。


 この男ならあの時も、我らの声を聞き、助けてくれたのかもしれない───ルビーハヤブサはそんな風に思ってしまった。

 そんな思考に、何の意味もないのに。


 ルビーハヤブサが滅びた時代に、ルビーハヤブサを助けた者は居なかった。

 ルビーハヤブサを誰も救わなかった。

 絶滅したルビーハヤブサは、怨念しか残らなかった。

 人類を滅ぼさなければルビーハヤブサは蘇れない。

 それが全てだ。


「『……フン』」


 湧いた自分の考えを「くだらない」と必死に振り切り、ルビーハヤブサは殺意の目をもってして、キタを睨みつける。


「『真の勇者キタ。我々は質問に答えた。お前も一つ質問に答えろ』」


「僕に?」


「『我々って……質問に答えたのは私だけだが……』」


「『黙っていろ』」


「僕に何か聞いても、答えられることなんて大してないと思うけど」


「『いいや、お前だからこそ答えられることがある』」


 ルビーハヤブサは、冷静なつもりだった。

 冷静に、真の勇者を見極めようとしているつもりだった。

 だが知らず識らずの内に、ルビーハヤブサは熱くなってしまっていた。


 その熱は、人鳥一体の魔人に真摯に向き合ったキタが引き出した、ルビーハヤブサが胸中に押し込んでいた熱だった。


「『この世界にお前は要らないと言われたら、我々はどうすればいいのだ。絶滅させる必要もないのに、絶滅させられたとはそういうことだ!』」


「───」


「『黙って滅びていろと言うのか! 何の痕跡も残さず! 誰の記憶にも残らず! 最初から無かったに等しいものになれというのか!』」


 牧場でカイニと話していた時、キタ自身が発した言葉が蘇る。


───お前は要らないと言われたら、僕はどうすればいいんだろうなって


 気持ちが、重なる。


「『この世界に共に生きる仲間だと思っていたのは、我々だけだったのか!』」


  牧場でカイニと話していた時、キタ自身が発した言葉が蘇る。


───仲間だと思ってたのは僕だけだったのかなって、思ったりはするかな


 気持ちが、重なる。


「『共に生きていたかっただけだ! 美しき空と、海と、山と、そしてこの星に生きる全ての命と! 時に食い、時に食われ、縄張りを争い、営みを分け合い、されどどの種も滅びぬままに、共存していたかっただけだ! それの何が悪い!?』」


 牧場でカイニと話していた時、キタ自身が発した言葉が蘇る。


───いや、一緒に生きていたいと思ってから追放されるのは、堪えるね


 気持ちが、重なる。


「『何故貴様ら人は、我らを食い尽くしたのだ!? 何故差し迫った理由もなく我らを滅ぼしたのだ!? 滅ぼさずとも生きていけたはずだろう! なのに!』」


「……」


 みんなに、世界に、『いらない』と告げられたに等しい命、絶滅生物。


 キタもまた、彼らに共感してしまった。

 彼らの始まりは被害者だ。

 なのに今では加害者になってしまっている。

 どうすれば良かったのか。

 何をすれば良かったのか。

 カイニが罪悪感で剣を鈍らせたように、キタは優しさで剣を鈍らせてしまう。


 迷ったままで勝てる相手ではないというのに。


「『許さん……許してなるものか……なにもかも!』」

「『……そうだな、ルビーハヤブサ。私達は怒りと憎しみで、走り切ろう』」


 愛した人を失った者。

 種族の全てを失った者。

 二者の心が重なり、ルビーの翼が更に広げられていく。


「『カエイが死んで、カエイが死んだ痛みが忘れ去られて、ただの記録にされ、ただの伝説として語り継がれていくなんて、耐えられない』」


「『我々は絶滅した種族になった瞬間から、同じ世界を生きる同胞から、本にただ記され、ああかわいそうだねと、鑑賞されるだけの存在になるしかないのか?』」


「『犠牲にしたものを忘れた方が気楽に生きていけると、人は言うのか!?』」


「『我々が滅びた後も、我々が忘れ去られた後も、続いていく世界など!』」


 叫びと共に、魔力が弾ける。




「『許さないッ!!』」




 キタは経験上、格上を相手にしても、関節などの動きから敵の動きを先読みし、ある程度対応することができる。

 ルビーハヤブサの判断力と速度であれば、キタは二度、三度なら打ち合うことができたはずだ。

 目で追えない速度の相手でも、キタの技術ならばやりようはある。


 やりようは、あったのだ。


 キタは迷ってしまった。

 同情し、共感してしまった。

 それが防御を鈍らせた。

 その辺りに仕込んだ罠を上手く併用し、防御に専念して凌ぎ、上手くルビーハヤブサを手玉に取ろうと、そう思っていたのだ、キタは。


 けれど、ダメだった。


 『彼を否定したくない』と思ってしまえば、その優しさは足枷になる。


 キタは赤き魔力を纏ったルビーハヤブサの突撃に巻き込まれ、吹き飛ばされ、回転しながら宙を舞い、荒野の大岩に叩きつけられる。

 カイニがぶつけられた攻撃に比べればお遊びのような一撃であったが、キタにとっては気絶してなお余りあるほどのダメージだった。


「かっ……ふっ……」


 大岩にぶつけられたキタが朦朧とする意識の中で立ち上がろうとするが、膨大な魔力にシェイクされた肉体が意識についていってくれない。

 地べたに無様に転がり、双剣だけは必死に握り締める。


 今キタにトドメを刺せば、冒険の書の使い手は失われる。

 それは絶滅存在ヴィミラニエの完全なる勝利を意味していた。

 もう何が起ころうとも、絶滅存在ヴィミラニエの勝利を揺らがすイレギュラーが発生することはなくなるだろう。

 キタを殺してしまえば、願いは叶ったも同然だ。


 ルビーの腕を振り上げ、キタを狙い、魔人はその腕を振り下ろ───す、ことはせず。振り上げた腕を、ゆっくり下ろす。


 魔人はキタを見つめ、背中を向け、どこかへと歩き出す。

 その瞳には、人と鳥、二人分の複雑な感情が見て取れた。


「『……"かわいそうなやつ"を倒すことを躊躇うなら、貴様は勇者に向いていない。そこで大人しくしていろ。人は滅びる。それまで余命を噛み締めているといい』」


「『行くぞ、ルビーハヤブサ。発生する魔物の大群を倒すんだ。怪我人さえ出さずに町への襲撃を阻止すれば、カエイは戦おうとする理由を無くすはずだから』」


「『ああ。ようやく、ようやく……私の種族は、蘇ることができるのだ』」


 もう、魔人を止められる者は居ない。


 かに、見えた。






 神王歴2497年、ダネカはキタを追放した。

 そこから遡ること九年前、神王歴2488年のこの街で……ある二人が出会った。

 九年後に決裂する二人の物語は、手を取り合うところから始まった。

 だから彼は、ここに居る。






 黄金の髪が揺れていた。

 それはカイニを庇うような位置に滑り込み、黄金の杖剣じょうけんを魔人に向ける。

 杖と剣を一体とした武器、杖剣。

 使いこなせば極めて万能と言われるそれを使いこなせた子供の冒険者は、冒険者ギルドの歴史上、ただ一人。


 懐かしい背中だと、キタは思った

 九年前、毎日のように見ていた背中だった。

 彼のこの強く優しい背中を追って、キタは青春を走り抜けたのだ。


「おうおうおう、分かるぜぇ、怪物が暴れて、この人が頑張ってたんだな?」


 杖剣で肩をとんとんと叩き、ケッケッケと少年は獰猛に笑う。


 行儀の悪い笑い方だ。


 キタは、この行儀の悪い笑い方が好きだった。


「任せてくれよ、俺はこう見えて最年少Aランク記録者っつー天才だからさ」


 少年はキタの顔もよく見ず、キタの体に回復魔法がかかった応急処置用の大布を被せ、恐るべき絶滅存在ヴィミラニエに単独で立ち向かう。


「『誰だ?』」

「『……子供か』」


「ゴールデン・オブ・ゴールデンのダネカ、……正義の味方だぁっ!!」


 そうして、名乗った。

 キタがよく知る、自称の二つ名をくっつけた、ダネカにとってだけ最高にかっこよく聞こえる、その名前を。

 キタは思わず、楽しげに微笑んでしまう。


 自分を追放した男の九年前の背中を見て、キタは静かに意識を失った。

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