皆に「いらない」と言われた僕より 2

 血が滴っている。

 敵の攻撃など一度も受けていないのに。

 勇者カイニの血が地面に染み込んでいく。


 苦しそうにむせ込むカイニが、また地面に血を吐いた。


「『種の発生まで遡って消し去る魔王ズキシは、進化を続ける魔族がもはや神の管理を超越し始めたという証。人類の永続保証を破綻させる存在の誕生証明だ。魔王ズキシを超える時間干渉能力の持ち主が生まれるのも時間の問題だったと言えるな。もはや魔族という種族は人間に存続を許されなかった。守護者たる魔王ズキシが倒された時点で、魔族は絶滅させられるしかなかった』」


 そう。


───魔王は倒して、魔族は絶滅させてきた。もう魔族が地上に生まれることはない……と言い切りたいけど、見落とした生き残りはいるかもね


 最初の晩に、カイニがキタに伝えた通り。

 人類は既に魔族を絶滅させている。


 それは勇者が魔王を倒した後、人類総軍によって行われた大作戦だった。

 人間、エルフ、魚人、獣人……全ての種族の総意と総力によって、『時を書き換える魔王』を生み出すかもしれない魔族は、根絶された。

 これでもう、魔王という歴史を脅かす者が生まれることはない。

 各国の支配者層の者達は、ほっと胸を撫で下ろしたことだろう。


「『今度は、強すぎるから絶滅させる……か? 人間はいつもそうだな。害があるから、不快だから、食料や服に使えるから、産業の発展に必要だから、人間の土地が必要だから……自分達の都合だけで他の生き物を絶滅させる』」


 そこに、神さえ知らない落とし穴があったことに気付かずに。

 魔族を絶滅させてしまった。

 それこそが過去・現在・未来の一本線を崩壊させる引き金だったのに。


「『その報いが来たのだ。絶滅した魔族は絶滅存在ヴィミラニエの怨念の渦に合流した。そうして……次の世代の絶滅存在ヴィミラニエは壁を越えた! 閾値を超えたんだよ、お前達は。私達を絶滅させすぎたんだ』」


「『私の番から、とは……カエイの導きだろうか』」


「『お前がそう信じたいならそう信じていればいい、人間』」


 彼は、彼らは、絶滅存在ヴィミラニエの新世代。


 新たなる物語の始まりを告げる、破滅の福音。


 人類の罪は積み重ねられ、積み重ねられ、また一つ限界を突破した。


「『私は"STAGE II"。───もう、強いだけの勇者に負けはしない』」


「けほ、ごほ、ぐっ……人類の罪って、達成実績あったんだねぇ」


「『……口が減らんな』」


 口の周りを血だらけにして、カイニは笑った。


 半身の「私は負けない」という言葉に、もう半身が意義を唱える。


「『私達は負けない、だろう。今は』」


「『……ふん。調子に乗るな。人類を絶滅させれば貴様も消えるだけの存在だ』」


「『すまん』」


「『ふん』」


 ルビーの翼が、空に羽ばたく。何かの情を吹き散らすように。


「『仮に私達を退けたところで無駄だ、人間ども。新世代は私だけではない』」


「げほっ、ごほっ、げほっ、けほっ」


「『苦しいだろう? これまでの絶滅存在ヴィミラニエとの戦いではそんなことになったことはなかっただろう? それがSTAGE IIが持つ、これまでのどの歴史改変より強力に……お前にのみ優先的に働く死の運命の強制だ』」


 ルビーの魔人のルビーの瞳が、カイニを睨みつける。


「『お前が魔王ズキシを殺した。魔族絶滅の引き金を引いた。滅びた魔族は全てお前を憎んでいる。STAGE IIは魔族の絶滅で生まれた進化だと言っただろう? 魔族を絶滅に導いたお前を苦しめる効果が優先的に出るのは、ごく自然なことだ』」


「ひゅー……ひゅー……けほっ、へぇ。ボクも人気者になったもんだね」


 カイニは口の中に溜まった粘液と、血液と、肉片を、まとめて吐き捨てた。


「……はぁ」


 そして、溜め息一つ。


「頑張って、倒したんだけどなあ、魔王」


 軽い口調で言っているが、そこには重くヘドロのように蓄積した、黒色の万感の思いがあった。


 その言葉に、魔人が激怒する。


「『貴様が勝っても、カエイは戻ってこない! なら、無価値だ!』」


「無価値……かぁ」


 虚無を掬い上げるような色合いが、カイニの声色にはあった。


「『誰が……守れなかった役立たずの勇者おまえなど、称えるものかっ!!』」


「……」


「『私は勇者おまえなんかじゃなく……あの人に帰って来てほしかったんだ……!』」


「……」


 カイニが帰って来たことを喜び、その喜びでカイニを救った男がキタならば。

 カイニが帰って来たことを喜ばない、そんな男だっている。


 カイニの鋭い視線が、魔人を射抜く。

 魔人の憎しみに染まった視線が、カイニを射抜く。


「そういうの、よそで慈悲深い人相手にでも言っててよ」


 カイニは淡々と言い切った。


「ボクは世界を、弱者を救うために旅立った勇者じゃない。ボクが最初に救いたいと思った人は……一人だけだ。それは、キミやカエイじゃないんだよ」


 少しだけ本当で、少しだけ嘘で、少しだけ辛い、言葉を吐いた。


 言葉の中に挑発を混ぜて、敵を動かし、勝機を探す。

 そうでなければ戦士にはなれない。

 カイニの言葉に激昂した魔人が、ルビーの翼を勇猛に広げる。


「『永遠に……幸せになどなれると思うな……強いだけの偽勇者がぁ!』」


 もはやロクに指が残っていないカイニは、切れ布で手に固定した魔剣を構え、絶対的不利な戦いに挑む。


「名乗れ、絶滅存在ヴィミラニエ。ボクらは歴史の勝者を決めるためにいる」


 その言葉に、空気が一瞬で清廉さと緊張を取り戻した、かに見えた。


 沈黙と静寂が場に満ちる。


 一秒か、二秒か。言葉はなく、雑音はなく、音楽もない。


 三者三様の言葉を空間そのものが待っているかのような、待機の静寂。


 愛する人のために世界を守る。

 愛する人のために世界を壊す。

 絶滅を覆すために世界を壊す。

 それぞれの抱えた『願い』をぶつけ合うように、三者はそれぞれ名乗った。


「『カエイの婚約者、ネサク』」


「『ネサクの翼、ルビーハヤブサ』」


「刻の勇者カイニ。そのツルギ、魔剣クタチ」


 魔剣が翻る。

 魔翼が翻る。


 カイニの魔剣は、今を生きている愛する人のために。

 ネサクの魔翼は、もう生きていない愛する人のために。


「墓の下から出て来るな、亡者共」


「『思い上がるな。明日から人類が墓下に入り、我らは其処から這い出るのみ』」


「『行くぞ! ルビーハヤブサ!』」


 そうして、決着はついた。






『滅びたくない』


 ルビーハヤブサの絶滅存在ヴィミラニエは、殺されてきたルビーハヤブサ達の怨念の集合体。「滅びたくなかった」という願いの結晶でもある。

 彼らは食い尽くされ、最後の一羽は魔剣のお遊びで岩に押し潰された。

 だから彼らは、人を巨岩ルビーで押し潰すという形で怨念を遂げる。


『滅びたくない』


 彼らは魔剣を憎んでいる。

 カイニの魔剣クタチも例外ではない。

 そして、孤独を嫌っている。


『滅びたくない』


 最後の一匹がひとりぼっちで押し潰されて死んだ動物が、共に居てくれる誰かを求める気持ちを持つことに、何の不思議があろうか。


 守りたかった同族を全て殺し尽くされた動物が、守りたかった女性を殺された男性と共に世界を壊そうとすることに、何の不思議があろうか。


 愛する人を勇者に連れて行かれ、魔王に愛する人を殺され、それを勇者に殺されたのだと嘆き、愛する人のためになんだってしようとして狂ってしまった男が、かつて滅ぼされた鳥の一族に同情することに、なんの不思議があろうか。


『滅びたくない』






 勇者カイニは、紛うこと無く歴代最強格の勇者であった。

 仲間を犠牲にしたとはいえ、一つの時代を創り上げた歴代最強の魔王を倒してみせた者である。

 万全あれば、この地上で最強である者の一人に数えていいはずだ。


 しかし、今の彼女に全力を出すことはできない。

 彼と出会って、十年前の幸福を思い出してしまった。

 心に迷いがあり、カエイの婚約者への罪悪感があった。

 そして、過去にないレベルの時間改変によって、体が消えかけてすらいる。


 勇者を掴む三重苦。

 これまで戦ったどの絶滅存在ヴィミラニエよりも強いルビーハヤブサを前にして、この三重苦を抱えたままで勝つことは難しい。


 なにせ、ルビーハヤブサは空を飛んでカイニの自滅を待てばいいのだから。

 魔剣を弾けるルビーを持つこの魔人に空を飛ばれれば、決定打まで持ち込むのは中々難儀することだろう。


 それでも勝敗が戦闘前に決したわけではなかった。

 なぜならば。

 ルビーハヤブサは、ここに『歴史を改変しに来た』のだ。

 『カイニを倒すことが目的』ではない。


 もし、カイニが粘りすぎて、この絶滅存在ヴィミラニエが改変しようとしている過去のイベントが何事もなく終わってしまったら?

 願った過去改変は成立しない。

 『狂おしいほどの後悔』は、実を結ばないまま空に還る。


 ルビーハヤブサは時間稼ぎでカイニに勝つことを提案したが、カイニが歴史改変の影響を受けるペースがもっと遅ければ、時間に余裕が無いのは絶滅存在ヴィミラニエの方ということになっていたはずだ。

 時間稼ぎは、カイニに味方したに違いない


 両者は共に、別の形で時間制限を抱えた者達。

 今回は時間が絶滅存在ヴィミラニエに味方した、それだけの話。

 もっとも、それが慰めになるかと言えば、そんなこともないだろう。




 そうして、勇者カイニは敗北した。




 千切れた黒いワンピースを見下ろして、カイニはひきつった笑みを浮かべた。

 辛そうな、謝るような、泣きたそうな、誤魔化すような、そんな笑みだった。

 その笑みを見て、ルビーの魔人の動きが止まる。


「あーあ……子供じゃなくなって……初めて好きな人に買って貰った服……げほっゲホッゲホッ、こんなにしちゃうんだから……ボクはダメなんだよな……」


 大好きな人から貰った服があって、デートの途中に始まった時間改変だったから着たままで、それでも服に傷一つ付けず戦おうとして……それで、この様。

 カイニは、内心を誤魔化すように笑った。

 笑って誤魔化す癖がついてしまっていた。

 そういう人生を、送ってきたから。

 そんなカイニを、絶滅存在ヴィミラニエが見つめていた。


「『なぜ、そこまで頑張った? 激痛があったはずだ。途方も無い苦しみがあったはずだ。息をするのも地獄だったはずだ。そんなになってもなお、お前は戦い続けようとしてこうなった。なぜ、そこまで頑張った?』」


「愛した男の未来を守るため、って言ったら笑うかい?」


「『……』」


「ああ……もうダメかも……久しぶりだな……キタを信じて……後のこと全部任せるなんて……それこそ十年ぶり……」


 勇者カイニは気絶した。

 体の半透明化が進んでいく。

 もう残り時間は一時間を切っているだろう。

 このままネサクが歴史を改変してしまえば、カイニも消えて、それでしまいだ。


 魔人がカイニに背を向け、その場を去ろうとする。


「『殺さないのか? お前にとっては憎い相手だろう、勇者は』」


 ルビーハヤブサがそう言って、魔人がピタリと止まる。


 一秒、二秒、三秒、四秒。止まったまま、何も言わず、魔人は佇む。


 何かを考え込むように。


 飲み込めない苦悩を飲み込むように。


「『もうたくさんだ、もう何も考えたくない』」


「『……そうか』」


「『勇者に愛する人が居るだなどと。勇者が守りたい大切な人のために戦っているだなとど。そのためなら自分の命も惜しくはないなどと。……聞かせるな、私にそんな雑音を。耳障りだ、不快だ、聞きたくもない……! 思わせるな、私に、誰かが愛しているかもしれない誰かを私が殺すんだ、なんてことをっ……!』」


 ネサクは愛する人の顔を、カエイの顔を思い出そうとする。


 思い出がこの迷いを塗り潰してくれると信じて。


 自分がやっていることが正しいと信じられる理由があると信じて。


 人類を自らの手で滅ぼすという大罪も、やりきれるはずだと信じて。


 そうして思い返そうとしたカエイの笑顔は……何故か、脳裏に浮かばなかった。


「『歴史を変える。カエイが殺されない歴史に。そして私はカエイに再会するんだ。そして言わないといけないんだ。世界なんかより君が大事だったって! 世界が救われても君がいないと意味がないんだって! 私なんかのために君が戦って死ぬなんて……あっちゃならないんだって!』」


「『……フン。勝手にすればいい。人類が滅びるなら、私はそれでいい』」


「『……世界を犠牲にしてでも彼女を救う選択をすれば、私が彼女のことを世界より大切だと思っていたことの証明になる。私に他に何ができる? 平和的な手段で、もう死んでる彼女に何ができるって言うんだ? だから……私は……』」


「『……』」


「『滅ぼそう、ルビーハヤブサ』」


「『そのために来たんだろう、人間』」


 絶滅存在ヴィミラニエに選ばれる人間は、どこか壊れているか、狂っているか、曲げられている。


 まっとうで安定しきった平和嗜好の人間は居ない。


 彼らは絶滅存在ヴィミラニエに選ばれた理由───『狂おしいほどの後悔』に突き動かされ、最後まで走り抜ける以外の選択肢を失っている。


 何故ならば。


 後悔という感情こそが、人に取り憑き悪しく操る、最も恐ろしい魔王だからだ。

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