みんなに「要らない」と言われた君へ 7

 冒険の書が光り輝く。

 世界をも塗り潰す膨大な力と衝突し、冒険の書は真っ向から打ち勝った。

 そうして、冒険の書は持ち主を守る。

 ようやく本来の力を発揮できるようになった冒険の書は、世界を敵に回しても拮抗する気配さえ見せなかった。


 それは果たして幸運か、不運か。


 書き換えられた歴史の上に置かれた世界に、キタは一人で放り出された。


「うっ……いったい、何が起こったんだ」


 とてつもないエネルギーの奔流に吹き飛ばされた。その程度にしか状況を把握できていないキタが、傷む肩を抑えながら身を起こす。

 周りには誰も居ない。

 『ムンジの子ら』も、牧場の経営者らも、カイニもだ。


 『もしや勇者を狙った暗殺?』『絶滅させられた魔族の生き残り?』等々、様々な想像を働かせながら立ち上がったキタが見たのは、信じられない光景だった。


「え」


 ぐずぐずに崩れた空。

 粉々に、バラバラにされている建物。

 そこかしこで上がっている人の悲鳴。

 大通りを赤く染める流血。

 美しき都の白亜は煤で黒く染まり、桜並木は既に全てが燃え尽きている。

 王都の半分は炎に包まれ、煙が上がり、空と池を黒い煙が繋いでいた。


 世界最古の都、神聖王国イアンの王都カドミィリィダがそこにあった。

 今はもう、過去形でしか語れない。

 カドミィリィダは既に、約2500年の歴史の名残を、全て破壊されていたから。


「王都が……なんだ、これは……!?」


 明らかにおかしい。

 常識外れの大魔法で破壊しても、こうはならない。

 宇宙から隕石が落ちてきたってこうはならない。

 街よりも大きな棍棒で叩いてもこうはならないだろう。


 ここまで小規模の破壊が無数に、徹底的に行われたかのような市街破壊は、強大な一撃ではなく、大量の歩兵が投入された戦争でのみ見る景色だ。


 まるで『人類が戦争に負けて王都まで進軍されてしまったしばらく後』のような、時間と労力をかけた破壊が、王都にもたされていた。

 ほんの僅かな時間でもたらせるわけがない破壊。

 キタの脳裏に、強烈な違和感と危機感が湧き上がる。


「落ち着け。カイニを探しながら、まずは救助だ。冷静に、冷静に……」


 キタは走り出した。

 が、今の彼には、一時の平穏すら許されない。


 王都の中心へ向かおうとしたキタは、一分と経たない内にそれを見た。

 見てしまった。

 首なしの死体にむしゃぶりつく、鬼の魔族オーガの姿を。

 食い散らかされる人間の死体を。

 そしてオーガが首飾りにしている、『ムンジの子ら』の男達の生首を。


 十数個の生首を繋げた首輪を、その魔族は首から吊り下げていた。

 生首の表情は、揃って苦悶。

 全ての生首が、無念と絶望に満たされていた。


 先ほどまで、笑い合っていた人達が。

 キタが追放されたと聞いて、仲間に迎え入れようとしてくれた優しい人達が。

 勇者カイニをただの女の子に戻そうとしてくれていた、そんな人達が。

 いつも友として接してくれる、気持ちのいい人達が。


 苦しめられ、痛めつけられ、殺され、死後も辱められ、食われている。


「───」


 叫び出したい気持ちを抑え、キタは冷静に無音を貫く。

 かつての仲間ロボトに教わった減音の足運びにて、オーガの背後を取る。

 オーガは捕食に夢中だ。

 キタに気付く気配もない。


 無言のままキタはポケットから二本の筒を取り出した。

 それを握って念じれば、筒は一瞬で双剣に変わる。

 青い宝石と似た色合いをした、柄が青い魔力のワイヤーで繋がれているその双剣は、キタが最も長く使ってきた魔道具の武器である。


 静かに、音もなく、キタは双剣を振るって、オーガの首をするりと落とした。

 ごろん、と首が落ちる音がする。

 からん、と双剣が地に落ちる音がする。


 生首のアクセサリーにすがりつくように駆け寄ったキタは、悲痛な顔で、生首だけになった彼らに手を伸ばし、絶叫する。


「あ……あ……あああああああああっ!!!」


 肺腑から絞り出したような絶望の叫び、感情の爆発。

 が、今の彼には、一時の平穏すら許されない。


「助け、助けてくれぇ! 誰かぁ!」


「!」


 『ムンジの子ら』の死を悼むことも許されず、キタは駆け出した。

 生首にされた彼らは助けられなかった。

 けれどまだ生きている人は助けられるかもしれない。


 流れそうになる涙を押し込み、キタは悲鳴が聞こえた方へ走った。


 だが、間に合わない。

 キタが駆けつけた時にはもう、悲鳴の主は死人になっていた。

 死体の顔には、キタも見覚えがあった。

 服屋でカイニにただで服をやろうとしていた、勇者に心底感謝していた、勇者を本気で尊敬していた、普段はキタの私服を選んでくれていた、服屋の男だった。


 骨だけの魔族戦士、スカルソルジャー達が無数の剣を男に突き刺している。

 絶命した服屋の男は、まるで逆ハリネズミのようになっていた。


「……あ」


 骨だけの敵スカルソルジャーが一斉に振り返り、キタの方を向く。

 カタカタ、カタカタと、骨だけの口が嘲るように笑った。

 ざわっ、とキタの体表で魔力がざわめく。

 怒りだ。怒りが彼の周りで魔力を従え吠えている。

 キタは怒りと、憎しみと、絶望を噛み潰し、再び青く煌めく双剣を構えた。


 魔力のワイヤーで繋がれた双剣。

 それは、魔導の極致と謳われたアオアがキタのために作った一品にして逸品だ。


 普段は柄のみ。

 少量の魔力で刀身が形成される。

 少量の魔力でどこまでも伸びるワイヤーが柄を繋いで形成される。

 頑丈。

 よく切れる。

 重量を調整できる。

 特別な能力こそがないが癖がなく、キタはこの武器を使いこなす戦術の組み立てを極めきっている。


「行くぞ、骨軍団カルシウム


 キタは猛烈な勢いで二つの剣を投げつけた。

 狙うはスカルソルジャー達の先頭の一体。

 スカルソルジャーは手にした剣で器用に双剣の一本を弾くが、もう一本には対抗しきれず、頭を打ち砕かれて崩れ落ちる。


 キタは小指に引っ掛けていた伸縮自在のワイヤーを思い切り引っ張り、双剣を一瞬で手元に戻した。

 この男に、武器投擲による致命的な隙はない。


「しっ」


 再び双剣を投げつける。

 今度は二体のスカルソルジャーに対し、一本ずつの投擲だ。

 スカルソルジャー達はそれを切り弾こうとする、が。


 投げられた二つの剣を繋ぐワイヤーはまた伸びている。

 キタが軽くワイヤーに『揺れ』を加えることで、ワイヤーに繋げられた双剣は僅かに軌道を変えて、スカルソルジャーの防御の横を悠々通り抜けていった。

 スカルソルジャーの片方は頭を両断され、もう片方は胸を砕かれ崩れ落ちる。

 あっという間に、三体の魔物が地に還った。


 残りのスカルソルジャー達は、キタを甘く見ることなく警戒し、残りの全個体で一斉に彼に襲いかかる。


「はっ!」


 キタは冷静に、一瞬だけ視線を走らせ、周辺状況を確認する。

 そして近くの、十解建ての建物の最上階に向けて右の双剣を投げつける。

 右の双剣が刺さったのを確認し、ワイヤーに縮小を命じれば、縮むワイヤーの収縮力がキタの体を空中へと舞い上げた。


 敵の一斉攻撃をかわしたキタは、空中で力を込めてワイヤーを引き、刺さっていた右の双剣を引っ張り戻す。

 そしてスカルソルジャーの頭上から、引っ張り戻した剣をそのままの勢いで投げ落とし、その頭蓋を粉砕した。

 複数の建物の壁を蹴って跳び、キタはするりと着地する。


 スカルソルジャー、残り四体。


「せっ!」


 近場の、魔法で炎上している八階建ての建物が崩れかけている。

 それに気付いたキタは、右の双剣を投げて突き刺し、思いっきりワイヤーを引っ張った。

 結果、建物が崩れる。

 そして、キタを殺すべく走っていたスカルソルジャー達が、巻き込まれる。


 魔法の炎を纏った建物の倒壊が、三体のスカルソルジャー達を押し潰した。

 奇跡的に生き残った最後の一体に、キタは正面から堂々と接近し、普通に左のフェイントからの右の剣撃一閃、ごく普通の洗練された動きにて切り捨てた。


「はい、おしまい。……はぁ。やっぱり、この程度の敵が相手でも、ダネカみたいにスマートにサクッと勝てないな、僕の実力じゃ……」


 双剣をしまい、キタは魔物の剣でぐちゃぐちゃにされた服屋の死体を見つめ、『あと10分早く駆けつけられていれば』と、何度も何度も思い続ける。

 達成感は無かった。

 勝利の快感は無かった。

 ただひたすらに、自分を責める気持ちがキタを苛んでいく。


 どんなに辛くとも、悲しくとも、怒りに身を焦がそうとも、師匠がキタに仕込んだ双剣技術は、戦いの中で彼の命を守ってくれる。

 だが、守ってくれるのは彼の命だけだった。


───覚えておきなさい、我が弟子よ

───大切なものの価値の重さが一番分かるのは、それを失った時です

───けれども、他の方法でも重さを知ることはできます

───重さの知り方は選びなさい。それが人間にとって一番大事なことです


 脳裏に蘇る師匠の言葉が、キタの背中に重くのしかかる。


───それでも、貴方がその目的を持ち続けるのなら、仏でいなさい

───人は仏になれませんが

───仏のように在ろうとする人にしか救えない人も居るのですから


 救えなかった今の彼に、重くのしかかる。


 が、今の彼には、一時の平穏すら許されない。


「あら、キタちゃん!」


「! この声、シスター!」


 ようやく知人の生存者を見つけられた嬉しさに、キタは笑顔で振り返る。


 そして、壊れた十字路の真ん中からキタに話しかけるシスターと、その後ろにずらっと並ぶ孤児の子供達と、キタが向き合った。


「シスター、無事でよか……った……?」


「あら、キタちゃん!」


「……あ……」


「あら、キタちゃん!」


「そん、な」


「あら、キタちゃん!」


「くそっ、くそっ、くそっ……! いいかげんにしろ! もうやめろ! とっとと消えろ! ここから出ていけ! お前達が奪っていい日常じゃないんだ、これは!」


「あら、キタちゃん!」


「やめろ……それ以上! その人を弄ぶな!」


 シスターには、顔の上半分が無かった。

 孤児の子供達にも、顔の上半分が無かった。

 力尽くでむしり取られた顔の上半分は、ところどころ千切れかけの肉となって、顔の断面から垂れ下がっていた。

 ぽたぽた、ぽたぽたと、赤黒い血が整地された街の路面に流れ落ちていく。


 上半分をむしり取られた顔からは、顔のあるバラが生えている。

 顔のあるバラは、笑っていた。

 楽しそうに。

 嬉しそうに。

 愉快そうに。

 顔から生えたバラが笑うと、その下にある下半分だけの顔が動き、残っている人の口が喋り出す。

 シスターや孤児達が生前にしていたような喋り方で、喋り出す。


「あら、キタちゃん!」


「わぁ。キタおにいちゃんだ」

「あそんでー、あそんでー」

「キター、ボールでしょうぶだー!」

「あたしねー、キタさんとけっこんするのー」

「まいにち、きなさいよ!」

「いつもありがとう」

「おようふくくれてありがとう」

「きのうのおかしおいしかったよ、ありがと」

「あそんでくれてありがとうです!」


 他人の恋愛話に夢中だったシスターが、キタみたいな冒険者になると言っていたアプが、内気な女の子のクユが、キタに肩車されるのが好きだったウェンが、ボール遊びで友達を増やすのが得意だったムーヤが、皆が、口々に何かを言っている。


 孤児達の口が喋っている。


 子供達の口が、生前のように動いている。


 喋っているだけ。

 動いているだけ。

 生前に言ったことのある言葉を再現しているだけ。

 キタは心の臓を吐き出すような声色で、肺の空気全てを吐き出すように、魂の底から叫んだ。


「やめろ……やめろ……やめろっ……!」


 嗤うバラ。

 玩具にされる子供達。

 弄ばれるシスター。

 憤怒の表情で青き双剣を構えるキタ。


 燃える王都に、地獄が在る。


「『ありがとう』なんて、その子達に言わせるなッ!!」


 キタが叫ぶ。

 『ありがとう』と言われるよりはまだ、『どうして助けてくれなかった』と言われる方が気が楽だった。

 助けられなかった子供達に『ありがとう』と言われることには耐えられない。

 子供達はもう死んでいて、その言葉が虚偽だと分かっていても、胸には刺さる。


 バラの魔族は、おそらくそれを分かって言わせている。


「あら、キタちゃ───」


 同じフレーズをひたすら繰り返していたシスターの顎が、落ちた。


 とん、とっ、ころっ、と落ちた顎が転がる。


 それでもシスターは笑っていた。顎が落ちてもキタの名前を呼んでいた。


「ひはひはひはひはひあひゃひゃひゃひゃ」


 シスターだったものが、子供達だったものが、臨戦態勢に入る。

 その手に握られているのは、料理用包丁、破壊された武器屋の槍、殺された冒険者の斧、鍛冶屋から拝借された大槌など多種多様。

 武器を持った死体が、キタとの距離をじりじり詰めていく。


 また一つ死体が増えることを確信し、シスターと子供達の向こうで嘲笑するひときわ大きな魔族・ローズブレインが機嫌良さそうに高笑いをした。


 これが魔族ローズブレインの戦闘スタイル。

 死体を動かす株分け、生きた人間を操る寄生、人間の精神を鈍化させる花粉、人間をあっという間に洗脳してしまう電波を操り、大切な人の死体をけしかけたり、仲間同志で殺し合わせたりすることに特化した植物系魔族だ。

 本体のローズブレインが倒されるまで、この悪意ある傀儡が終わることはない。


 ゆえに。

 この状況において追い詰められているのは、多勢に無勢のキタではなく、、ローズブレインの方だった。


『なに おまえ』


 勝敗は、10分と経たずに決まった。

 キタが甘い男でなければ、もっと早く終わっていただろう。


 キタは子供達やシスターを傷付けないよう、双剣の峰で彼らをできるだけ傷付けないよう吹き飛ばし、転がし、動けなくして、人の壁を切り開いていった。


 ローズブレインはキタが甘い対応をしている隙をつき、洗脳触手をキタの腕に刺して操ろうとした。

 次に花粉で精神を鈍化させ、彼の心が動かなくなるようにした。

 最後に、これまでどんな人間でも洗脳に成功してきた洗脳電波を、過去最大の出力で叩き込んだ。


 だが、全て通用しなかった。

 普段キタの体内に潜り込んでいる『冒険の書』が輝くたび、全ては無力。

 精神操作無効。

 これこそが、冒険の書が持つ力の真骨頂。


 キタの胸中に渦巻くこの怒りを消し去ることなど、どんな奇跡にも許されない。


『おまえ おかしくならないのね ふしぎ』


「これしか取り柄が無いもんでね」


『あ そっか おまえ』


 人の壁をかき分けて来た男の怒りの一閃が、ローズブレインを両断した。


 真っ二つになったローズブレインが寄生していた人間の死体の顔が顕になる。

 あの老人だった。

 ターミナルで、乗車券を作ってくれて、お菓子もくれたあの老人だった。


 毎朝魔導列車で仕事に行く人達を、時に微笑み、時に静かに、時に励ましの挨拶を混じえて送り出していく。

 そんな老人だった。

 道行く誰かの日常の一部になっているような老人だった。

 誰の記憶の中でも微笑んでいるような老人だった。

 魔導列車とセットで覚えている人も少なくない、そんな老人だった。

 そんな老人の死体を使って、魔族は最悪なことをしていたのである。


 魔族は知らない。

 だから踏み躙ることができる。

 キタは知っている。

 だから泣きそうになっている。


「……」


 キタが右を見ても左を見ても、そこには親しくしてきた人の死体。

 どこに歩き出しても、目に入るのは似た悲しみだ。

 王都にはキタの知人も多い。

 キタがまだ見ていないだけで、死んだ友人もまだまだ沢山居るのだろう。

 歩き出せば、その全てを見ることになるかもしれない。

 どこに歩き出しても、キタが見るのは悲しみしかないだろう。


 キタの心を、悲嘆に似た虚無感が徐々に満たしていく。


「……お墓、作らないとな。開本オープン引出ロード、登録番号31」


 そんな自分を自覚してか、キタは胸の奥から冒険書をを引き抜き、冒険の書に保存セーブしておいた精神状態を引き出した。


 登録番号31は『落ち着いて前を向ける、かなりやる気のある状態』。

 キタが最も多用している番号である。

 記録していた精神セーブデータの数だけ、キタは自分の精神状態を切り替えることが可能であり、これは『冒険の書を何度使っても悪影響がない精神力』を持つキタだからこそ可能な運用でもある。


 セーブしていた精神状態をロードして、キタはなんとか親しい人達の死、そして心を蝕んでいる悲しみを、一時的に脇へと追いやることに成功した。


 死んだ人は戻らない。

 心についた傷は消えない。

 悲しみがなくなることはない。

 けれどもこの本があれば、すぐに万全な状態を取り出すことは可能である。


「よし。……たとえ、俺がダネカの言う通り誰も守れない無能でも。守れなかった人がたくさんいたとしても。敵が無数に王都に居ても。……負けてたまるか。まだ生きてる人が居るなら、助けにいかなきゃ冒険者の名折れってもんだ」


「おや、かっこいいね、お兄さん。苦労して探した甲斐があったよ」


「!?」


 と、そこで。


 黒いワンピースに銀灰の靴、そんな勇者様が至近距離に生えてきた。


「カイニ!?」


「そ、ボクだよ」


 カイニはちょっと斜に構えた、クールなウインクを見せた。

 しかし、ちょっと呼吸が速い。

 白い肌が色っぽく汗ばみ、ワンピースの開いた胸元が危険な誘惑を生んでいる。

 ワンピースのスカートの裾が少しよじれていることにも気付いていないようだ。


 おそらくは、キタを全力疾走して探し続けていたのだろう。

 走って、走って、走って、走って。

 キタを見つけて。

 キタの無事を確認し、ほっとして。

 『こんなに必死にお兄さんのこと探してたと思われるのなんかやだな……』と思ったため、息を整えてからやってきたのだろう。


 変わり果てた世界。

 何も変わっていないカイニ。

 いつものように、純粋無垢に慕う笑顔がキタへと向けられている。


 キタはようやく、僅かばかりの安心を得た。

 ほっとしたキタの手をカイニが掴んで、どこぞへと向かって歩き出す。


「大丈夫。王都のこれはまだ全部間に合うから。ついてきて」


「全部、って、いや、もうこれは、どう見たってかなり手遅れじゃ……」


「信じて」


 キタには希望が何も見えなかった。

 けれどカイニには希望が見えていた。

 希望を目指して二人は歩く。


「ボクは世界を救うためじゃなくて、キミを守りたくて勇者になったんだから」


 空を見上げるカイニ。


 視線の先には、空の彼方、暗雲の中に身を隠す、大天空魔王城。


「キミが後悔する結末にだけは、絶対にしないよ」


 キタの手をぎゅっと握って、カイニは歩き出した。


 その手は温かく。

 その手は力強く。

 その手は優しかった。

 ここではないどこかへと連れて行ってくれる、そんな根拠のない確信を与えてくれる手が、キタの手を引いてくれていた。

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