みんなに「要らない」と言われた君へ 6

 魔導列車を降りた二人が辿り着いたのは、牧場だった。

 王都北東部に作られた牧場である。

 この牧場は王都郊外と繋がっていて、郊外での放牧、王都内牧場での管理生育、二つの選択肢によって、神聖王国イアンの食肉事情を大いに改善したとされる。


 二人でのんびり牧場の周りを歩いていると、食肉用のイアンバッファローをじっと見ていたカイニが、ぽつぽつと語り始めた。


「家畜が見たかったんだ」


「家畜?」


「うん。家畜って、人間に飼われることで野生の生き物って言うじゃないか。だから一回で良いから見ておきたかったんだよね、家畜」


 めちゃくちゃに大きな豚のような生き物。

 草地を這いずるうなぎのような生き物。

 乳を作るのではなく、周辺物質を能力で乳に変え仔に与える牛のような生き物。


 異世界の家畜は多種多様である。

 そして、その全てが、人やエルフなどの『人類』に保護され、絶対に絶滅しないように保護されている。


「もしも家畜に神が居たら、人間もエルフも他の種族も、もう滅んでそうだよね」


「家畜の神? ……どうなんだろうな。カイニは居ると思うのか?」


「殺されるのが嫌だーって家畜が祈って、それを聞いてくれる神様がいたなら、今頃世界中で天罰が落ちてたりするのかも。でもまだ人類が滅んでないってことは……家畜の祈りを聞いてあげる神様ってのはいなかったんだろうね」


 どこか遠くを見つめながら、カイニは哲学的なことを語っていた。


 この世界には、四つの時代があった。

 魔獣時代、魔導時代、魔剣時代、魔王時代。

 その中で始まりにあたる魔獣時代。

 この時代において、人を守らんとする神と、野生の魔獣達は、大陸を股にかけた大戦争を展開した。


 この世界において、神は気軽に特定の種族を贔屓する。


 この時代に人間の味方をした神々は一柱を残し、全てが魔獣に食い殺された。

 神より強い犬の餌になったのだ。

 一番弱いがゆえに前線に出ておらず、魔獣時代の終焉まで生き残っていた弱き女神こそが、光の神である。


「神様、か」


 光の神は、『最も強い神』としては信仰されていない。

 『一番弱いから最後まで生き残った、人の隣人の神』として信仰されている。

 光の神は最も信仰されている神だが、主神でも創造神でもないのだ。


 その光の神の加護を受ける者こそが勇者。

 勇者の資格を認められた者が教会で祝福を受けることで、体のどこかに光の神の祝福が現れる。

 カイニであれば、髪が纏う不思議な光がそれにあたる。


 勇者こそが、と言えるだろう。


 そも、『魔王が人間を滅ぼそうとしているから神が人間の勇者に力を与えて魔王を倒させている』だなどという教会の言い分からして、神の贔屓の塊だ。

 人は贔屓されている。

 だから、滅びない。


「……」


 この世界では、いつも誰かが祈っている。

 鳥に食べられる虫も。

 魚に食べられる魚も。

 魔物に殺される人も。

 追い詰められたその時に、天に向かってただ祈る。

 しかし、贔屓されていない生き物の命は、どこにも届くことはない。


 魔導列車の廃液で水生昆虫が絶滅しても、神は救わない。

 家畜達が食肉にされるため殺されることが続いても、神は救わない。

 けれど魔王に追い詰められた人々が祈れば、神はすぐに応えてくれた。


 だから、光の神の祝福を受けたカイニが魔王を倒した。それだけのこと。


 この世界には、がある。

 勇者カイニの遠くを見る目は、実在する神の贔屓を見つめていた。


「神は人間を見捨てなかったけど、家畜は見捨てたんだ」


 勇者の目が、家畜達を見つめる。


「なんて幸せに見捨てられてるんだろう。こんなにも、穏やかに……」


 祝福されたカイニは明日を生き、されていない家畜達は今日肉になる。


 けれど、それでも。


 『絶滅するよりはマシ』だから───家畜は、勝ち組に区分されるのだ。






 気ままに家畜をぼーっと見ているカイニを一人にしてやって、キタが牧場の厩舎周りをうろついていると、そこで思わぬ知人達と出会った。


「お、キタじゃん」

「え、マジ? ここに来てるとか珍しいな」

「おめー追放されたってマジ? うちのチーム来いようちのチーム」

「いきなり副リーダーにしてやるよ副リーダーに!」

「仕事しろやおめーら」


「あ……『ムンジの子ら』の皆じゃないか。元気にしてたかい?」


「こっちのセリフだ! でもまあ、キタが落ち込んでなさそうでよかったよ」


 B級冒険者PT、『ムンジの子ら』。

 神聖王国イアンの建国王ムンジをリスペクトする、全員男、全員ハゲ、全員マッチョ、全員タンクトップ、全員体力自慢という凄まじい冒険者PTである。

 こと農家の依頼を受けることにかけて、王都で彼らを超える者はいない。


「心配かけてた、のかな?」


「そりゃおめー、S級PTの追放騒ぎが冒険者界隈で噂になんねーわけねーだろ。S級PTの運営ノウハウが欲しいってPTがいくつか集まって、裏でキタのドラフト指名オークションやってたぞ」


「僕が居ないところで何やってんだ」


 キタが『ムンジの子ら』と雑談に花を咲かせ始めた。

 と、そこで、カイニがキタの不在に気付く。

 カイニはキタを探し始め、キタがハゲ軍団と楽しげに話しているのを見ると、話の邪魔にならないよう木箱の陰に隠れてこそこそ会話を覗き見し始めた。


「ああ、体力勝負の畜産系の依頼を受けたのか。『ムンジの子ら』は皆体力自慢だもんなあ。僕の古巣の『明日への靴』は皆戦いは強いけど、体力で『ムンジの子ら』に敵うかって言うと微妙だろうし……そっちのPTに依頼が行くわけだ」


「へへっ、そんな褒めんなよ」

「俺らそん代わり学術系と戦闘系、全員駄目だかんね……」

「この筋肉で農作業とかやってんのが似合うってわけよ」

「魔王が倒されたんだ、これからは俺達の時代だぜ!」

「農業・畜産の体力系の依頼は今後冒険者ギルドに増えそうなんよね」

「なーなー、キタも入れよウチによ、副リーダーのポストやるからさー」


「入らない、入らない。……ま、どうしても僕の行き場所がなくなったら、その時は『ムンジの子ら』にお邪魔させてもらうかもね」


 木箱の陰に隠れたカイニはそのまま会話を盗み聞きしていた、のだが。


「へへ。実はな、俺ら『勇者は要らない運動』ってやつをやってんのよ」


 突然『ムンジの子ら』のリーダーが発した言葉に、カイニは石になったかのように固まった。


「勇者は要らない運動……?」


「おう! 魔王は倒されて、世界は平和になった。魔族も絶滅したって話だ。だけど強い魔物や高ランク冒険者向け依頼はなくなってねえ。そいつを勇者に頼らず片付けていって、『勇者しかできない仕事』をなくしちまおうって運動さ」


「へぇ……」


 だが続く言葉に、カイニはほっと胸を撫で下ろす。


 どうやら『勇者が嫌いだから追放しよう』だとか、そういう方向性があるわけではないらしい。


「三ヶ月連続、冒険者ギルド依頼消化率100%! 依頼達成率100%! 固有名付き有害モンスター討伐率100%! 冒険者ギルドが掲げてる今の目標がそれよ。そこまでしなきゃよ、『勇者は要らない』ってなんねえだろ? そうでもしなきゃよ……俺達の世界を救ってくれた恩人が、いつまで経っても勇者を辞めらんねえじゃねえかって、そうは思わねえか?」


「……うん、思う。僕もそう思うよ」


 むしろ、彼らが勇者カイニに言及する語り口には、語り尽くせぬほどの感謝の気持ちと、恩を返そうとする気概がハッキリと見て取れた。

 カイニの胸の奥に、暖かいものが宿る。


 世界を救ったことで救われた人達が居た。

 その人達がカイニに向ける気持ちがあった。

 『頑張ってよかった』と、カイニは改めて思うことができたようだ。


「魔王時代は終わった。だからよ、俺達は新しい時代を始めてやりてえのさ! 勇者が要らねえ時代ってやつをよ! ……だからキタを勧誘したいんだけどな」


「はは。ありがとう。志は立派だと思うし、僕も協力したいと思うけど……僕を追放した仲間達について、ある程度話の整理がついてから考えたいかな」


「いつでも来いよ! 歓迎するぜ!」


 そうして、『ムンジの子ら』は仕事に戻った。

 家畜達の体を洗ってやり、糞を袋に詰めて農家に送って、鉄より硬い雑草を必殺技で吹き飛ばし、家畜を食べてしまう肉食の虫を炎魔法で焼き払う。

 そうした彼らの細々とした仕事が、世界のどこかで誰かを飢えから救ったりするのだろう。


 彼らの仕事をベンチで眺めていたキタの右横に、カイニが腰を下ろした。


「ただいま、お兄さん」


「おかえり、カイニ」


勇者ボクが要らない世界かぁ。ボクがみんなに『要らない』人になったら、世界はどういう風になっていくんだろうなぁ」


「……聞いてたのか」


 黒いワンピースにその身を包んで、カイニは肩と肩が触れるくらいの距離まで間を詰める。

 キタはカイニの言葉に、少し考え込んでいるようだった。


 少し不思議な構図があって、それがキタの思考を惑わせていた。

 少年をみんなが「要らない」と言って追放するのは、痛みを伴う事件なのに。

 勇者をみんなが「要らない」ようにするのは、こんなにも美徳に見える。


 何故人は、人を必要としなくなるのか。

 何故人は、人を必要とするのか。


「要らない、か。人にとって人が必要な時って、どんな時なんだろう。人にとって人が必要でなくなった時って、どんな時なんだろう。僕には分からない。僕も仲間のみんなに『要らない』と告げられたわけだけど……何も分かってないんだ」


 カイニがあんまりに真っ直ぐに目を見てくるものだから、深く難問に思考を沈めていたキタは、少し口を滑らせてしまう。


「お前は要らないと言われたら、僕はどうすればいいんだろうなって」


「……」


「仲間だと思ってたのは僕だけだったのかなって、思ったりはするかな」


「……」


「いや、一緒に生きていたいと思ってから追放されるのは、堪えるね」


 彼は三度息を吸い、三度言葉を吐いた。


 その言葉が、年上として振る舞いを取り繕いがちなキタが胸に秘めていた本音であることは、疑いようもなく。


「それが、お兄さんの本音?」


「うん。今でも結構辛い。でも、歩き出せないほどじゃないんだ。そして僕が歩き出す理由は……今のところは、成し遂げて帰って来てくれた妹分かな」


 ふにゃっ、とカイニが幸せそうに微笑んだ。


 よほどキタの言葉が嬉しかったらしく、美人がちょっと台無しになっているくらいには、幸せそうなほほえみだった。


「僕も勇者なんて要らない。ただのカイニと一緒に居たい、かもしれない」


「……ふふっ」


「君は立派なことをやったんだ。世界中の皆が感謝するような立派なことを。皆その感謝を忘れたりしない。皆カイニの味方だ。皆感謝してるから、カイニに『もっと戦え』なんて求めてないんだ。だから僕は、カイニ、お前に───」







 カチッ。

 カチッ。

 カチッ。

 時計の歯車が噛み合うような音が、都合三度、世界から響いた。


 そして、世界の関節は外れてしまった。

 呪われた因果が唸りを上げる。

 それを正すために生まれてきた者達の戦場が、世界を上から塗り潰す。


 時の背骨が引き抜かれたような、そんな音がした。


 空が割れる。

 空が溶ける。

 空が燃える。

 空が落ちる。


 世界と時間が滅茶苦茶にかき混ぜられていく。


 時と歴史に挿入されるは、『魔王が勝利した』という絶対的異常事実。




 そうして、勇者カイニが魔王ズキシを倒して世界を救ったという事実は、勇者カイニが頑張ってきた今日までの日々は、全て無かったことになった。


 本当の戦いが、始まる。



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