みんなに「要らない」と言われた君へ 2
十年前の思い出は色褪せぬまま、今も在る。
『キタおにいさん、ぼくは旅に出て世界を救うんだよ』
『危ないよ、カイニちゃん。一人で行ったら駄目だよ』
『だいじょーぶだよ。……ぼくが、勇者だからね』
勇者カイニは、にいさん、にいさん、と血の繋がりのないキタの後をいつもついて歩いている、そんな女の子だった。
「そんな女の子がいつの間にか成長して旅立って」などという事は無かった。
勇者カイニは、六歳の時に世界を救うべく旅立った。
『カイニちゃん、まだちっちゃい女の子なんだから、そんなことしなくていいよ』
『だーめ。ほんとは、キタおにいさんとずっとなぞなぞしていたいんだけどね。上は大水、下は大火事、空にはドラゴン、なーんだ……なんてしてる場合じゃないや』
『カイニちゃん、なぞなぞ好きだもんね』
キタが村を旅立ったのも、強くなろうとしたのも、
『守りたい人がいるんだ、ぼくには。だから頑張るんだよ』
『……追いかけるから! 必ず、カイニちゃんを助けに行くから!』
『来ないで、来ないで。キタおにいさん弱っちいんだから』
『うぐぅ』
掛け値なしに仲の良い親友だったと、キタは過去形で言い切れる。
『あ。お守りにもらった、ぼーけんのしょのページ、持ってっていいよね』
『? いいけど』
『ありがと、キタおにいさん。だいじょーぶだいじょーぶ、任せといて』
あの頃なら、カイニに自分が慕われていたと、キタは迷いなく言い切れた。
けれど、『成し遂げた』勇者がこんな自分のことを今も覚えてくれているのか、忘れずに記憶してくれているのか、キタにはまるで自信がなかった。
だから、勇者が帰還したと聞いても、喜び勇んで走り出すということはしない。
昔は肩を並べた友達、かつ妹分。
けれど今は、あまりにも差がついてしまった相手だったから。
あれから十年。
勇者が旅立ち、別れて、キタが幼馴染を助けようと故郷の村を旅立ってから、もう十年が経ってしまった。
キタはもう18歳。カイニはおそらく16歳。
彼が追いつけないまま、勇者の旅路は終わってしまったらしい。
「……はぁ。カイニを助けるために旅立って、間に合わず。信頼があると思ってた仲間達にはなんか嫌われて捨てられて。無駄遣いが多いから預金も無い。ここまで人生どん底まで落ちるだなんて、昨日までは思ってなかったな……」
キタは独り言ちる。
見方によっては、キタは青春を楽しめるはずだった十年の全てを無為に費やし、手元に何も残らない結末を迎えた、とも言えるのかもしれない。
「でも」
でも、の後に続く言葉を、キタは意識的に噛み潰し、飲み込んだ。
辛さがあった。
悲しみがあった。
怒りがあった。
寂しさがあった。
虚しさがあった。
この先への不安があった。
けれど、それだけではなかった。
何故か、安堵があった。
その安堵が、彼が『普通の人』であることを示していた。
「……ふぅ」
昨日までキタの背中に乗っかっていた重責の、そのほとんどが消えている。
才能に溢れた仲間に置いていかれないようについていこうとする焦り。
S級PTのメンバーであるから普段の振る舞いも礼儀正しく、という重圧。
魔王が世界を支配する時代に、強い冒険者に向けられる期待の重さ。
勇者にいつか追いつくのだという目標が生む苦痛と苦労。
あの子を助けてやらないと、お兄ちゃんなんだから、という責任感。
それら全てが終わり、失われた。
喪失感に混ざる安心が在った。
悔しくて泣きたくなるような安堵が、彼の胸中を満たしていた。
どこか安心し、安堵している自分を、キタは恥じ入りつつ自嘲する。
「しっかりしろ僕。今の僕は、シャレにならないくらい情けないぞ」
頬を叩いて、キタは歩き出す。
キタは少しだけ、心の整理がついたような気がした。
終わったことは終わったことだ。それでしかない。
今は明日の路銀も、自分を追放した仲間達のことも忘れ、十年ぶりの幼馴染の顔でも見に行こうか……と、王都の中心へと歩き出す。
「ここから始まることもある、って思おう」
ちらりと、脳裏にキタの師匠の言葉が蘇り。
───いいですか。貴方がどういう人間か、その本質が問われる瞬間はあります
───貴方が、全てを失った時です。その時、貴方の心の地金は目に見えてくる
「僕の本質、問われてたのかな。自分じゃ分かんないけど」
キタは力強く一歩を踏み出した。
王都カドミィリィダは、王城を中心とした十字の大通りから作られ、十字の大通りを伸ばす形で大きくなっていった都市である。
当然ながら、王城に繋がる大通りが一番大きい。
この大通りが詰まったことは、建国以来2497年余り、一度もなかったほどだ。
その大通りが、詰まりかけていた。
「急げ急げ!」
「あっちだあっち!」
「勇者様の凱旋パレードが来るぞ!」
普段他国から『白亜と桜花の王都』と呼ばれ、永遠の白を約束された石材と、1000年以上咲き続ける桜並木が立ち並ぶ王都は、優雅を視覚化したような都市だった。
その都市が、熱量に飲まれている。
その王都が、熱気に包まれている。
大通りに殺到する万単位の人達が、大通りを詰まらせかけている。
凱旋する勇者をひと目見る、それだけのために。
上空から俯瞰して見れば、勇者をひと目見ようとして殺到する人々の塊は、血管を詰まらせる血栓のようですらあった。
「ふわぁ……あれが勇者様……」
「ああ。長きに渡る魔王が支配する時代を終わらせてくれた人だ」
「俺達が生まれるずっと前から居た魔王を倒しちまうなんてな」
「誰も倒せなかった、過去最強の魔王だったっていうのに」
「王が直々に褒美を与えるそうよ」
「あれ? 勇者様って三人の仲間が居たんだよな? なんで一人なんだ」
「おお……あの腰から下げているホルダーは教会が与えた勇者の証……」
キタは人混みを抜けて大通りの最前列に向かおうとしたが、人が多すぎたので残念無念に断念する。
一旦人が多い区画を離れて、遠回りして大通り沿いの魔道給水塔を登り、そこから大通り沿いの十階建て宿泊施設の屋上に飛び降りた。
パレードがこの辺りに来るまで待つ、そういう構えだ。
誰も居ないおひとりさま用の屋上から大通りを見下ろして、キタはなんとも言えない気持ちで腕を組む。
「大変失礼だけど牧場で餌に群がってる豚みたいだなコレ」
かつての親友にして妹分が世界的有名人になっていたことは知っていたし、世界的大偉業を成し遂げたこともさっき知ったが、それはそれとして知った顔がこんなにも沢山の人を集めているのを見ると、勇者の幼馴染としては不思議な気分にもなろうというものだ。
「さて、カイニはどこかな……」
キタがのんびり遠くを見ていると、大通りを進んでくる車両があった。
いくつかの種類があるものの、総称として神殿車両と呼ばれているもの。
祭典や儀礼でのみ使われるものだ。
歴代の王でも乗ったことのない者の方が多い代物である。
どうやら勇者の偉業を称えるために引っ張り出して来たらしい。
それの上で、誰かが手を振っているのがキタの目にも見えてきた。
車両の壇上に当たる場所で、少女が四方八方の人々に手を振っている。
「あ、いたい───」
記憶の中のカイニの姿と。
現実にいるカイニの姿と。
二つがかすかに一致して、大いに一致しなかったその時、キタは息を呑んだ。
美人になった、という言葉が陳腐すぎて、不相応すぎて、今のカイニに使うことは許されない。
そんな成長を、カイニは遂げていた。
親しみが持てる顔つきは柔らかな微笑みを讃え、されど絶世の美少女に。
幼さを感じさせるのは、可愛さを強く感じさせる表情があるからだろう。
されど顔のパーツは紛れもなく絶世の美女のそれであり、年頃の少年であればその微笑みを見ただけで初恋を迎えかねない。
童顔だから可愛い美少女ではなく、美女が可愛らしく笑っているから可愛く見える美少女、そういうタイプだ。
すらりとした細身には女性らしい各所の肉付きが見て取れ、しっかりと大人の女性になりつつあることが分かるが、どこか十代の女性特有の未成熟さも感じられる。
柔らかな印象を受ける体付きの奥には、しっかりとした筋肉がある。
『美しき剣士』の究極系のような、そんなボディバランスだ。
軽鎧の銀色が、眩しく陽光を反射している。
されどその反射光ですら、アクアマリンのような勇者の瞳と比べれば陰って見えるという始末。
深い色のその瞳は、覗き込む者を見惚れさせるだろう。
だが何より目を引くのは、腰まで伸びた白っぽい髪だ。
美しい白は人の目を引くが、それ以上に、陽光が当たるとうっすらと七色に反射光が輝く不思議な色合いを宿している。
まるで、
そう、それは、勇者の証。
キタは知っている。
昔、カイニの髪はああではなかった。
ただ純粋に綺麗な白髪だった。
教会で勇者の資格を認められ、光の神の祝福を受けた勇者は、その体のどこかに祝福の証が現れる。
勇者カイニの場合、それは髪。
この世の全ての光が、彼女の髪に触れた瞬間、歓喜の色をうっすらと発する。
ゆえに、そう見えるのである。
「……美人になったなぁ。兄ちゃん鼻が高いぞ」
うんうん、と頷くキタ。
親友であり妹分であった少女の成長を見て、キタはどこか満足している自分を自覚していた。
満足、安心、納得があった。
「心配だったんだな、僕は。でも、良かった。僕が居なくてもカイニはちゃんと成長して、ちゃんと生きて、ちゃんと幸せになれるんだな」
思えば、『心配だから追いかける』から始まった十年であった。
キタがカイニを心配していなければ、そもそも何も始まっていなかった。
心配だからと始めた旅路は、安心によって終わりを告げる。
勇者カイニは、剣士キタが居なくても立派にお役目を果たし、無事帰ったのだ。
それだけで、お兄ちゃんとしては、十分『よかった』と思えた。
キタは、『それでいい』と思えたのだ。
「カイニに僕は必要なかった。それだけ分かれば十分だ」
そして、満足げにキタが再度頷いた、その時。
キタとカイニの、目が合った。
遠く遠く離れていたが、カイニは遠く彼方の屋上で佇んでいるキタの姿を見落とすことなく、目を見開いて、息を呑んだ。
「───」
その瞬間、勇者は跳んだ。
勇者凱旋のパレードも、パレードを護衛する教会の人達も、周囲の市民も、王城で待っている王様も、今日の予定も全部全部、丸々投げ捨てて。
キタに向かって一直線に、建物を蹴って跳びに跳んだ。
「あ」
一瞬。
ただ一瞬で、カイニはキタとの距離を0にした。
満面の笑みを浮かべて、タオルケットを投げつけるようなふんわりとした衝撃と共に、勇者カイニはキタに飛びつき、抱きつく。
十年の距離を埋めるような、疾走と跳躍だった。
「───会いたかった。ううん、欲しかった。ずっと触れたかった」
カイニの体の柔らかな感触に、キタは困惑し、動揺し、猛烈に混乱する。
「え?」
カイニの両腕が、キタの背中に回される。
やたら柔らかい少女の肉が、少年の鍛え上げられた体に押し付けられる。
少女が愛おしい宝物にそうするように、少年の頬に頬ずりする。
少年の吐息を間近に感じて、少女が機嫌良さそうにニヤニヤとする。
「なぞなぞしよ、なぞなぞ。キミのその顔はなーんだ? 喜びなよ、ボクだよ?」
「それはなぞなぞじゃない!」
「あははー、うふふー」
成長した胸の膨らみを無自覚に押し付け、まるで十年前のあの時から時間が進んでいないかのように、カイニはキタにぎゅーっと気持ちを浸透させていくのだった。
この世界において、『歴史』とは四つに分類される。
何一つ歴史的資料が残っていない、口伝の記録にのみ存在が確認される、神にも匹敵する魔獣が世界中に満ちていた時代。
通称、魔獣時代。
人類が最も繁栄し、魔王も魔族も存在しない地上を、ただ頂点に立つ人間のみが支配したとされる、この世の理全てを魔の法にて統べた時代。
通称、魔導時代。
無敵の魔剣の発明者が次々現れ、圧政に抗う対抗魔剣も無数に発生し、無数の種族がそれぞれの国を作った、魔剣を使える者のみが生きることを許されていた時代。
通称、魔剣時代。
そして現在。
ある魔王が世界の覇権を握り、世界の主役が人間達ではなくなり、魔王と魔族が世界を我が物として、人類の滅亡が時間の問題となっていた時代。
通称、魔王時代。
今、四つ目の時代が終わる。
時代の終わりの黄昏に、世界を救った勇者とその想い人は、再会した。
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