【第一章完結】「後悔は心をあの時間に遡行させるタイムマシンなのさ」と、彼女は言った。

オドマン★コマ / ルシエド

第一章 絶対絶滅包囲

みんなに「要らない」と言われた君へ

 信頼は主観である。

 『信じ合う』も主観である。

 『人の気持ちが分かる』も主観である。


 他人の気持ちが分かる気質とは、精度の高い勘以上のものではない。

 他人と築いた絆というものは、自分が在ると信じている幻でしかない。

 信頼という主観は、幻想の上に築かれている。


「さて、PT除名か、死か。さっさと選べ、無能のキタ」


 その日、剣士キタは、少し前までは揺るぎなく信頼し合っていると思っていた、信じられた仲間達に、追放を命じられていた。


 PTの拠点である貸小屋で、キタに二択を迫るのは、黄金の戦士ダネカ。

 髪、目、鎧、剣、全てを清廉な金色で揃えた輝ける万能戦士。

 S級冒険者PT『明日への靴』のリーダーである。

 ダネカがキタを追放すると決めれば、それがPTの決定になる。


「一応、理由を聞いてもいいかな。ダネカ」


「妥当。貴方には実力がない」


「……アオア」


「補足。貴方の能力は有用な面もあるが、我々が今戦っている領域の敵の強靭さを考えれば、それだけで仲間に置いておくのにはリスクがある」


 追放に異論を唱えたキタに対し、横から口を出したのは、巷の噂では千年以上を生きているという伝説のエルフ。

 青い髪、緑の目、白い肌、低い身長、子供のような外見にそぐわぬ膨大な魔力。

 人呼んで『夢追いのアオア』。

 アオアは追放を決めたダネカに賛同し、キタに冷たい目を向けた。


「忠告。『冒険の書』程度の能力で前線に出ても、他人に迷惑をかけるだけ」


「……うん。そうかもしれない。すまない、アオア。迷惑をかけたかもしれない」


「……ワタシは、別に……」


 アオアは複雑そうな表情を浮かべ、頭に被ったローブを引っ張り、顔を隠した。


 この世界には、魔法がある。魔物も居る。魔王さえも存在する。

 そして一部の生命体には、生まれつきの固有能力がある。

 弱い人間や才能無き人間は能力で弱さを埋める、というのがセオリーだ。


 キタが持つ能力は『冒険の書』。

 巻末に自分の名前を書いておくことで、自分の精神状態を『セーブ』することができるという能力だ。

 つまり精神的に不安定になる領域や、憎悪を煽る毒などの影響を受けないという能力であるのだが……キタ本人の戦闘力が大したものでないのがネックであった。


 精神が安定しているだけの弱者。

 弱いダンジョンならともかく、今彼らが挑む強力なダンジョンでは足手まとい。

 それがキタの追放理由であることは、キタ本人にも分かっていた。


「おっおっおっ、もっとハッキリ言って差し上げたらどうですかな。我々はもっと上に行く! なんでもっと早く自主的に出ていかなかったのか! 我々にこうして言わせないと自主的に出ていくこともしないとは、なんたる無能! とね?」


「ジャクゴ。沈黙」


「おやおや、すみませんねえ、アオアどの」


 キタを嘲笑するのは、緑の服を来た恰幅のいい男。

 彼の外見を見て、丸々としてかわいいと思うか、醜いデブと思うか、人によって意見は変わることだろう。

 戦士ダネカ、魔法使いアオアのような戦闘職でない彼は、商人ジャクゴ。

 太く太く太った体に、刃物のように細い目が印象的だった。


 商人である彼は、武器防具の仕入れ、物資の確保、各地方の権力者との交渉、冒険の途中で地域特産品を転がして冒険資金の確保など、幅広い役割を持つ。

 護身程度には戦えなくもない。

 そんな、護身程度に戦う商人のジャクゴより弱い実力が、キタの現実であった。


「……」


 ダネカの横に侍らされ、口々に罵られるキタを見つめている者も居る。

 彼女の名はチョウ。狼の耳、狼の尾を持つ、銀の毛並みの獣人である。

 チョウの首には錫色の首輪が巻き付けられており、チョウを購入した主であるダネカの名が首輪に刻まれている。

 チョウがダネカに逆らった瞬間、その首輪が締められる仕組みだ。

 だがそんな首輪などなくとも、チョウは自分を奴隷市場から助け上げてくれたダネカの言うことに逆らうことはないだろう。


 チョウはダネカとキタを交互に見ている。

 キタを見て、何かを言おうとしている。

 その目は何かを伝えようとしている。

 されど彼女は、キタにも、キタを笑う仲間にも、何も言うことはなかった。


「魔族領に捨ててきましょうよ! ねえダネカリーダー! あたしこんな人と街でもう一度会いたくないですよ! 追放には賛成ですけど追放した後に街で顔合わせて気不味くなるのはちょっと嫌です! なんならあたしが捨てて来ますよ! 魔族領に! 任せてくれれば行ってきます!」


「ヒバカ。やらなくていい。というか何故お前はそんな人殺しに躊躇がないんだ」


「あたしですので!」


 赤い髪を振り回し、にこにこと笑う僧侶ヒバカが物騒な提案をし、却下される。


 仲間は治し、敵は殴り殺す。赤い髪を振り回し、白い修道服をなびかせて。

 戦いが終わったその頃には、白き服は敵の返り血で真っ赤に染まる。

 ついだあだ名が『紅染の僧侶』。

 追放か死かをキタに迫ったリーダーのダネカですら、彼女と話している時にはその桁違いの物騒さに、時折冷や汗をかく時がある。


「なあ、キタ」


「なんだい、ロボト」


「今まで黙ってたけどよ、オレお前のこと嫌いだったわ。心底な」


「……」


 黒い仮面に、黒い大布。黒から黒を全身に纏って、普段肌を全く顕にしない男、盗賊ロボトが嘲笑する。

 普段、誰も彼もを嘲笑している男であった。

 国を愚弄し、王族を侮辱し、貴族をなじって、他冒険者をバカにする。

 そういう盗賊であった。

 しかし、今彼がキタに向ける言葉には、普段彼が発している軽い冷笑とは違う、正体不明の重みがあった。


「いやぁ、心底ざまぁ見ろって感じだな! ヒャハハハハ!」


「ロボト。僕は……君と分かり合えてると思っていた」


「ああ? バカな思い上がりご苦労さまだな。現実見ろよ」


 黄金の戦士ダネカ。

 青きエルフのアオア。

 緑の商人ジャクゴ。

 銀麗奴隷チョウ。

 紅染の僧侶ヒバカ。

 闇黒の盗賊ロボト。

 そして、キタ。

 『明日への靴』はこの七人でS級の高みへと上り詰めた。

 だが、それも今日までの話。


 キタの容姿は平凡な茶髪、安物の茶色い旅人の服、農村生まれゆえか浅く茶色に染まった肌。彼らの中に混ざるだけで、見劣りする自分が際立ってしまう。

 除名追放を命じられ、怒る気持ちも、悲しむ気持ちも、失望する気持ちも、絶望する気持ちもキタにはあったが……それと同じくらい、納得する気持ちもあった。


「じゃあ、さっさと出ていけ。ギルドでの手続きは俺達がしておく」


「……もう少し、話をしていったら駄目かな? これまで仲間だったじゃないか。何度も命を助け合ったじゃないか。ダネカ、僕は……」


 少しだけ、キタは食い下がって。


 戦士ダネカの拳が、キタの鼻っ面に叩き込まれた。


「がっ……!?」


「出てけ、と優しく言ってやってる間は、まだ慈悲があったんだがな」


 転がったキタを、ロボトが更に蹴り飛ばす。

 罠や棘の上を走り抜けて偵察を行う盗賊職の靴には、鍛え上げられた薄い鉄板が仕込まれており、それがキタの腹に痛烈な一撃を叩き込む。


「がっ」


「オラ、出てけや無能! 前からお前が嫌いだったんや! 死ねやぁ!」


 壁に当たって跳ね返り、床を転がるキタの背中に、ヒバカが僧侶のメイスを振り下ろす。


「あたしもやるー!」


「痛っ……!」


 殴られて、蹴られて、叩かれて。

 そうして、しばらく何度か打撃音が響き渡って。

 合間合間に『冒険の書』しか取り柄のない彼がどれだけ無能か責められて。

 ボロ雑巾のようになったキタは、街の隅に投げ捨てられた。


 朦朧とする意識の中、キタは思い返すように夢を見る。

 自分が皆と仲良く旅をしていると思っていたあの頃を、夢に見る。

 自分だけがそう思っていたあの頃を、夢に見る。

 笑いあった日々を、夢に見る。

 目覚めれば霞と消える、そんな虚しい夢だった。






 目覚めたキタは、しばらく立ち上がることもできず、横たわっていた。

 体のダメージは大きかった。

 だがそれ以上に心のダメージが大きかった。


「……はは。大事な仲間だと思ってたのは、僕だけだったんだな……」


 持ち物を確認する。

 銅貨の入った財布袋、魔道具の双剣、手の平サイズの冒険者証明証。

 追放される前に持っていたものは奪われていなかったものの、それで全部だ。

 一節期(15日)程度遊び歩けば、一文無しになる程度の全財産である。


 家もなく、預金もなく、仲間もなく、社会的地位もない。

 ついでに言えば先の展望もない。

 人生が限りなく詰んでいる。

 追放された冒険者など、そんなものだ。

 最高位の冒険者PTを追放された冒険者は、社会的な信用度も激減する。


「はぁ。しんどい、けど。頑張っていかないとな……僕はまだ、生きている」


 怒りがあって、虚しさがあって、悲しみがあって、後悔があって。

 自分のせいにしたい気持ちと、裏切った仲間達のせいにしたい気持ちがあった。

 キタは湧いてくる多くの気持ちを、懸命に飲み込もうとする。


 人は、自分のせいにする気持ちと、他人のせいにする気持ち、そのバランスが崩れた時に、社会の中で生きていけないという性質を生まれ持っている。


 自分のせいにしすぎた人間は、学校でのいじめで自罰的になり、仕事で上手く行かなかった時に己を責め、最終的に自殺する。

 他人のせいにしすぎた人間は、人生が上手く行かないことを国家のせい、社会のせい、金持ちのせいにし、他人への攻撃で人生を逆転しようとする。

 どちらの極点も、人間としては間違っていると言えるだろう。

 振り切れてはならないのだ。


 剣士キタは、どちらかと言えば自分のせいにするタイプの人間だった。

 自分は何が悪かったのか、何が仲間達を不快にさせて追放に至らせたのか、それを幾度となく考えてしまう。

 彼らに対する怒りがないでもなかったが、彼らを憎もうとする度に楽しかった頃の思い出が蘇ってしまい、かぶりを振って思考を投げ捨てる。


「とりあえず日銭でも稼がないと……冒険者ギルドに向かおう」


 キタは痛む足に鞭打って歩き出す。

 しんどい時こそ奮起して前を向く、彼はそういう気性の少年だった。


 脳裏に蘇るのは、昔冒険者になろうと志した時、キタに戦い方と生き方を教えてくれた師匠の言葉。


───貴方が仏で在ろうとすれば、周りには鬼が寄ってきます

───それでも、貴方がその目的を持ち続けるのなら、仏でいなさい

───人は仏になれませんが

───仏のように在ろうとする人にしか救えない人も居るのですから


 師匠が教えてくれた言葉はいくつもあったが、そのほとんどが言われた時には意味が分からず、後になってから意味の分かる言葉ばかりであった。

 困難を乗り越えるたび、挫折するたび、何かを失うたび、キタの脳裏には師匠の言葉が蘇る。


───信頼の有無は、貴方が救われた時か、貴方が裏切られた時にしか分からない


「……久しぶりに師匠に会いに行って、お礼でもしに行こうかな……」


 師匠の言葉を思い出しながら、キタはそんなことを言い出した。

 何にせよ、生活費なり旅費なりと稼ぐところから始めなければならない。

 キタは街の中心へ向けて歩き出した。


 と、その途中で。

 街のそこかしこがお祭り騒ぎであることに気がついた。

 不思議に思ったキタが道行く男を呼び止めると、男は満面の笑みで振り返る。


「何かあったんですか?」


「なぁに言ってんだい! 魔王が倒されたんだよ! 勇者が帰ってきたんだ!」


「……え?」


「王都はお祭り騒ぎさ! とうとう世界は平和になるんだ!」


 一瞬、キタの思考が止まった。


「それ……本当なんですか?」


「嘘言ってどうすんだよ! 今大通りに勇者が凱旋して来てるらしいぜ!」


 キタの心臓が、静かに跳ねる。


 あれから十年。十年ずっと、再会していなかった。キタが勇者と別れてからもう十年が経っていた。キタが勇者の背を追って村を出てから、もう十年。

 勇者と再会する前に勇者は魔王を倒し、キタが追いつく前に帰って来た。仲間に追い出されたキタとは対照的に、勇者は『成し遂げて』帰って来たのだ。

 その事実は、キタの胸中にみじめな気持ちを湧き上がらせる。


 剣士キタは、勇者カイニの幼馴染だった。

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