第8話 無職の少年、いつもの日常

 いつもの肉布団から這い出す。


 ズボンは無事だったけど、上着は剥がされていた。


 人の服を脱がすのは止めて欲しい。


 吹き抜けの空はまだ薄暗い。


 明るい内に床に就いた割には、随分長いこと寝ていたみたい。


 自覚はなかったけど、疲れていたのかも。


 床に散った上着を着込み、一階へ。


 居間の長椅子では、いつも通りにブラックドッグが寝入っていた。


 苦し気な様子は見受けられない。


 お説教のときには普通に動けていたみたいだし、エーテルが効いたのかな。


 いつもお薬を持って来てくれる、賢姉けんしさんに感謝しないと。


 今度会ったら、ちゃんとお礼を言うことにしよう。


 さてと、それじゃあ食事の用意に取り掛かろうかな。






 用意が完了するころ、二階に動きがあった。


 吹き抜けの二階から声が掛かる。



「もう食事できたぁ~?」


「後は配膳だけです。服を着てから下りてきてくださいね」


「お姉ちゃんは気にしないわよ」


「下着姿で食事するのは止めてください」


「恥ずかしがらなくても」


「や・め・て・く・だ・さ・い」


「ハイハイ、分かりましたよぉ~」



 何でそんなに服を着たくないのか。


 そう言えば、友達2人ともそんな感じだ。


 流石に脱いだりはしないけど、薄着と言うか、布面積が異常に少ない服を好んで着ている。


 まさかとは思うけど、僕の方がおかしいのかな?


 タン。


 軽い物音に振り返れば、姉さんが立っていた。


 両腕を斜めに上げた状態で。



「階段を使ってください」


「嫌よ。飛び降りた方が早いもの」


「びっくりします」


「弟君の色々な表情が堪能できて、お姉ちゃんは嬉しいわ。そんなことより」



 いきなり視界が暗転する。


 この感触、この温もり、この匂い。


 また抱きつかれたらしい。



「ずっと放さないって言ったでしょ? 勝手に居なくなっちゃ駄目じゃない」


「モゴモゴモゴモゴ!」


「あん、くすぐったいわ」



 いやだから、苦しいんですってば!


 仕方なく挟み込んでいる双丘を鷲掴み、上半身を反らす。



「ぷはぁ!」


「いやん。激し過ぎるわ」


「苦しいだけなので、止めてください」


「お姉ちゃん自慢の胸が酷い評価だわ」


「ついでに自分の分は自分で持って行ってくださいね」



 姉さんの奇行には付き合わず、自分の分を持ち居間にスタスタと歩み去る。



「もっとお姉ちゃんに構ってよぉ~」


「食事抜きがお望みですか? 別に自分で作って貰っても構いませんけど」


「アタシは焼くだけしかできないって知ってるでしょ?」


「食べれればいいんでしたよね、確か」


「火が通っていれば大抵の物は食べられるって、父から教わったからね」



 胸が疼く。


 気取られないように、深呼吸を繰り返す。


 落ち着け。


 いちいち単語に反応しちゃ駄目だ。


 聞き流さないと。



「緊急時は諦めるけど、基本的にアタシは弟君の料理しか食べないから! 食べないから!」


「繰り返さなくていいです。もう、早く席に着いてください」


「お姉ちゃんを待ってくれてる弟君が大好きよ」


「隙あらば窒息させてくる姉さんはちょっと苦手かもです」


「酷ッ⁉ ついつい弟愛が溢れ出しちゃうのよ」


「命懸けの愛情表現はちょっと……」



 いつもと変わらぬ軽口の応酬。


 何度同じ遣り取りを繰り返しただろうか。


 本当なら孤独な僕を、いつも姉さんが賑やかにしてくれる。


 一緒に暮らし始めて何年が経ったんだったか。


 それ以前の暮らしはどうにも朧気で。


 いや、違うか。


 思い出さないようにしているだけ。


 そして、姉さんが思い出させないようにしてくれているんだ。



「「いただきます」」



 揃って手を合わせ、食事を取る。






 食事の量は、普通に比べたら控え目なのだろう。


 取り分け、姉さんの分は僕よりも少ない。


 ここは世界樹の上。


 精霊の住まう地。


 地上に比べ、色々と勝手が異なる。


 人族ですら食事は日に一回で十分。


 姉さんたちはもっと少量で構わないのだ。


 ブラックドッグならば、この場所に居れば食事の必要すらも無い。



「外だったら、もっと弟君の料理を沢山食べられるのに。少しだけ残念ね」


「地上で何か食べたりはしなかったんですか?」


「遊びに行ってたわけじゃないからね」


「精霊様に頼まれて、ですよね?」


「弟くぅ~ん? さては盗み聞きしてたわね」


「ごめんなさい」


「それで付いて来れたってわけね。もう、昨日も言ったけど、危ないから二度としちゃ駄目よ」


「勇者が――」


「だーめ! 当分はお姉ちゃんが監視してるからね」



 両手を腰に当てての怒ってますアピール。


 これ以上逆らうと、しばらくは引っ付いて離れなくなる。



「久々の地上はどうだった?」


「え」


「やっぱり地上の方が良い?」



 姉さんは複雑な表情を浮かべていた。


 微笑んでいるような、悲しんでいるような。


 どうだろう。


 この場所は嫌いじゃない。


 何せ安全だ。


 汚い物も醜い争いも無い、綺麗な場所。


 数年ぶりの地上は……懐かしさよりも目新しさが勝っていた。


 故郷とは規模が違い過ぎる。


 親切にして貰った。


 けど、怖くもあった。


 何よりも、アイツが居た。


 住む場所と言うよりかは、敵地と表現した方がしっくりくる。



「僕の家はここだよ。姉さんと暮らすこの場所が、僕は好きだよ――わぷッ⁉」


「弟君弟君弟くぅーん!」



 対面に座っていたはずの姉さんが、一瞬で抱きしめに来ていた。


 またですか!


 苦しいんですってば!



「ここを愛の巣にしましょうね!」



 いや、このままだと、お墓になっちゃうよ!





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