【番外編】少し、自信が湧いてきました

 ギルド『Aphrodite』の服飾担当、リリの朝は早い。


「──さん、調子はどうですか?」


 病室のドアが控えめにノックされ、看護師さんが顔を出すのが始まりの合図だ。

 起こされるのはなんとなく気まずいので、それまでには起きるようにしている。個室に付いている洗面所で顔を洗い、軽く髪を整えて、外の景色を眺めながら待つのが日課だ。

 栄養面に配慮された三度の食事は母の手料理よりも慣れ親しんだ味だ。母によると「昔の病院食は美味しくなかった」そうなのだが、リリの知っている食事はその母がびっくりするくらいには美味しい。


「最近は調子が良さそうね」


 看護師さんたちともすっかり顔見知り。

 優しく声をかけてくれる人も多く、おかげで気が休まる。


「はい。ゲームのお友達のお陰です」

「あのゲームね。目も悪くならないし、中で色んなことができるし、本当に会っているみたいにお話できるんでしょう? すごいなあ。機械がもっと安かったら病院でも取り入れて欲しいくらい」

「そうですね」


 微笑んで頷く。

 こんな風に笑顔を浮かべられるようになったのは看護師さんたちの優しさと、それから友人たちのお陰だ。

 ミーナたちと会ってからは毎日が楽しい。


「でも、ほどほどにね? 食事や検診の時間は忘れないように」

「……気をつけます」


 自然と頬が朱に染まった。

 一度、楽しすぎて時間を忘れてしまったことがあった。ヘッドギアの外部ボタンが押されるとゲーム画面にログアウトを促す表示が出るのだが、気づかないうちにそれを無視してしまったのだ。さすがにそれは良くないと反省している。

 看護師さんもそこまで口うるさく言うつもりはないらしく、手早く仕事を終えると「またね」と部屋を出て行った。


「ふう……」


 朝食が終わったらさっそく暇な時間だ。

 適度な運動も必要だと言われるのでために散歩に出たりもするが、最近はついついヘッドギアとノートPCに手が伸びてしまう。

 暇を持て余しているリリを見た両親が買い与えてくれたものだ。結果、他のフルダイブゲームをいくつか経由して『UEO』に落ち着いた。よほどのことがない限り今のゲームから他に移ることは考えていない。


「ダイブ・スタート」


 ベッドに横になった状態でヘッドギアを被りゲームを起動。

 リリの意識はすぐに『UEO』内へと移動し、慣れ親しんだ「もう一人の自分」の身体とギルドハウスの工房が視界に入った。

 服飾職人「リリ」は白い髪と赤い瞳を持つ小柄な少女だ。

 リアルで言うアルビノの特徴を持っているものの、特に日光に弱かったりはしない。ただ、人の目はあまり好きではないのでギルドハウス内以外では基本的にフードとマントを着用している。だから余計に間違えられるというのもあるのだが。


「誰もいない……」


 今日は平日。仲間たちはまだ誰もログインしていなかった。

 夏休み中はミーナが「ご飯食べ終わったからさっそく来ちゃった」と顔を出したりしたものの、リアルでも元気で友達の多い彼女はそうそう学校を休まない。春は社会人なのでログインしてばかりもいられないし、他の面々にもそれぞれの都合がある。

 だから、この時間のギルドハウスは基本的に静かだ。

 物販スペースの方は時間に関係なく人が訪れグッズが売れたりするものの、向こうの物音がこちらに伝わることはない。この辺りはリアルと明確に違ういい点だ。お陰で余計なことに煩わされず集中できる。


「今のうちに勉強しちゃおう」


 リビングに移動し、お茶を淹れて(スキルが低いので味は期待できないが飲めなくはない)学習アプリを立ち上げる。

 今の時代、学校に行かなくても勉強はできる。

 中学校までは義務教育だし、高校だって集団生活を学ぶ意味で行くに越したことはない。一応、リリもとある高校の二年生に籍を置いているものの、身体が弱く病気がちなせいであまり通えていない。それでも進級できたのは試験の成績が重視される評価方針だからだ。

 そういえば、前に高二だと打ち明けるとミーナにとても驚かれた。


『ええっ、わたし高校一年生だよ……!? い、今までごめんなさい、リリちゃん──じゃない、リリさん?』


 お互いに物凄く落ち着かなかったので今まで通り「ミーナさん」「リリちゃん」で呼び合うことにした。リアルで年下でもミーナはリリにとって良いお姉さんである。

 彼女と初めて会った時のことを思うと今でも楽しくなってしまう。

 リリも相当怪しかったし、ミーナも怪しかった。そんな二人が奇跡的に出会って仲良くなって、こうして同じギルドにいるのだから不思議なものだ。


「私、とても感謝しているんですよ、ミーナさん」

「なに恥ずかしい独り言言っているのよ」

「……ら、ラファエラさん、いつから……!?」


 誰もいないと思っていたらぼさぼさの金髪に眼鏡がトレードマークの画家、ラファエラが半眼になってこちらを見ていた。

 彼女はどこか面白がるような表情を浮かべると「ついさっきよ」と答えた。


「相変わらず早いわね、あんた」

「ラファエラさんも十分早いと思いますけど……。今日は講義はないんですか?」

「今日は午後から。だからちょっとログインしとこうかなって」


 リリがログインしてから二時間──リアルで一時間ちょっとが過ぎている。そこそこ勉強できたのでアプリを閉じてラファエラに向き直った。

 彼女は現在大学一年生らしい。

 芸術大学、あるいは専門学校に通っているのかと思いきや「だったらこんなにログインできてないでしょ」とのこと。確かに、芸術系の学校というとリアルの作品提出に追われて忙しそうである。毎日何時間もログインしてヌードばっかり描いてはいられない。

 さすがのミーナも学校の課題に使われたら慌てるはずだ。たぶん。きっと。いや、どうだろう。意外と喜ぶ気もしてきた。


「ラファエラさんはどう思いますか?」

「あの子は喜ぶんじゃない? むしろあたしがラファエラだってバレる方が嫌」

「……それもそうですね」


 リリだってリアルと結びつけられたら困る。

 いや、どうだろう。あまり困らないかもしれない。なにしろリアルでもこっちでも目立たない存在だ。バレても「ふーん」で終わるのではないだろうか。

 やっぱり大人しくしているのはいいことである。


「リリは進学どうするの? まあ、身体の方が問題だろうけど……」

「最近は落ち着いてきているので、できれば服飾系の専門学校に行きたいです」


 ギルド内で最もログイン時間が長いのがリリ、次がラファエラだ。そのため二人で話す機会も多く、ラファエラだけはリリがリアルで入院していることを知っている。

 そのラファエラも他のメンバーには何も言わないし、ミーナや春もある程度察していて何も言わないでくれている節がある。このギルドにいるのはみんないい人たちだ。エリーゼはたまに凶暴なのでちょっと怖いが。

 ラファエラはリリの返答に「そう」と曖昧な笑みを浮かべた。


「リリは凄いわね」

「……私なんかじゃ上手くいかないかもしれませんけど……」

「そういう意味じゃないわ。あたしはリアルで画家になろうとは思わないから」


 遠い目をするラファエラ。

 彼女もあまり自分のことを語りたがらないタイプだが、リリは前に少しだけ聞いたことがある。父親が日本画、母親がCGデザイナーで姉はイラストレーターという芸術一家にあって一人だけ勝負することから逃げた臆病者だ、と、少女は自らを卑下していた。


「ラファエラさんの絵、私は好きです」

「ありがとう。でも、こっちでの絵はスキル補正があるもの。リアルで同じ絵は描けないし、上手いだけの絵師なんてごろごろいるのよ」

「そうですよね。……私も、リアルで服を作る機会はほとんどありませんから」


 病室のテーブルにミシンを載せて布を広げるわけにもいかない。スペースとか体力の問題もあるが、細かい繊維が舞ったりして身体にもあまり良くないだろう。

 するとラファエラは肩を竦めて、


「いいじゃない。専門学校で一通り学んだら後はデザイン専門でも。それならデジタルで完結できるし」

「ラファエラさん」

「服のデザインは上手い下手とは別の技術でしょ。リリの服、あたしは好きよ」


 逆に褒められてしまった。

 もちろん、リリの作る服にもスキル補正が加わっている。ただ、作成前のデザイン画は紛れもなくリリ自身の作品だ。

 リリにはラファエラのようにしっかりとした絵の技術はない。

 それでも、完成形を想像しながら見栄えのする服を考える能力なら……?


「……少し、自信が湧いてきました」

「良い事じゃない。っていうか、ミーナがあれだけ楽しそうにしてるんだからもうちょっとあんたは自信持ちなさいよ」

「そうですね。……そうかもしれません」


 ミーナはリリの作った服をいつも喜んで着てくれる。

 彼女がいなければ専門学校に行こう、なんて本気で考えることはなかっただろう。


「私達がこうしていられるのはミーナさんのお陰なんですよね」

「まあね。恥ずかしいから本人には言わないけど」


 二人は顔を見合わせて笑いあった。


「で、リリ。せっかくだしモデルにならない?」

「恥ずかしいから嫌です」

「何よ。あんただってレベル上がって前より可愛くなってるのよ?」

「それを言うならラファエラさんだって」


 魅力特化のミーナにはもちろん及ばないが、リリもラファエラも「最底辺の顔はちょっとなあ……」という理由から魅力にちょっとだけ多めに振っている。

 ミーナの高速レベリングの恩恵(余波?)を受けて彼女たちも地味に成長しているため、気づけばそこそこのステータスはあったりする。

 それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

 生まれ持った性格というのはそう簡単には変わらない。


「リリはどうして服を作りたいって思ったの? あたしは物心ついた時にはもう絵を描くのが当たり前だったけど」


 なんだか今日は二人とも話したい気分らしい。


「大したことじゃありません。……自分じゃなかなか着られないから、じゃあ作る方ならって思っただけで」


 小さい頃からリリは病気がちだった。

 入院することも多く、両親を心配させる日々。それでも両親はリリが退院する度にお祝いしてくれた。可愛い服を着てお出かけして、美味しいものを食べさせてくれた。

 だから、リリにとって「可愛い服」というのはとても特別なものだった。

 もっと着たいけれど、病院や部屋で寝ている時はどうしてもパジャマになってしまう。比較的体調がいい日でも保温性等を優先して身体を大事にしないといけないので、本当にたまにしか着られなかった。

 なら、作る方なら?

 可愛い服を着られる人に着てもらって、それを見せてもらえばいい。そんな単純な発想だったと思う。

 母親に無理を言って裁縫の真似事をさせてもらって、ハラハラする母をよそに少しだけ挑戦して──すぐに挫折した。針の穴に糸を通すのも布を真っすぐ縫っていくのも集中力を使う作業。体力のないリリには負担だったのだ。


 そんなリリにとって、『UEO』は画期的な場所だった。


 ここならリアルの体力は関係ない。ベッドに寝たままデザイン画を描くことも服を作ることもできる。初めてログインしてから今までとにかく服を作ることばかり考えてきた。

 モンスターを倒すとかどうでも良かったし、人付き合いは大の苦手なので、人のいない隅っこでこっそり作業しては材料を買いに行く日々。できた作品は販売代行のNPCに預けて材料費+α程度のお金をもらう。

 それでも十分に楽しかったけれど、今は心の底から楽しいと言える。


「まだまだ作りたい衣装があるんです。ミーナさん、着てくれるでしょうか?」

「着るに決まってるでしょ。あの子、たまーに一人でえんえんとファッションショーしてたりするし。今はエリーゼもいるから他のタイプの服も作れるじゃない」

「そうですね」


 みんながリリを頼りにしてくれている。

 こんな喜びは味わったことがない。それに応えたいと思うし、何よりリリ自身が作りたい。


「あの子達が有名になったらリアルイベントでコスプレイヤーが着たりするかもよ」

「さすがにそれは高望みしすぎです……」


 ラファエラと冗談を言っていたら数日後、春から「ファングッズとしてレプリカ衣装を販売するのでデザイン料をお支払いしたいのですが……」ととんでもないことを言われ、思わず腰を抜かしそうになった。

 ミーナたちといると楽しいが、たまに少々心臓に悪い。

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