大丈夫よ。私も彼氏とかいないから
星砂の浜。
神聖王国の端に位置するそこへ転送サービスで移動すると、視界に白と青が一気に広がった。
「うわぁ……!」
晴れていて良かった。
白のワンピースに同じく白の帽子というプライベートスタイルのミーナは歓声を上げ、そのまま数歩の距離を駆けた。
「わっ、と?」
バスケットボールくらいのサイズをした赤い何かを踏みそうになって慌てて立ち止まる。
「蟹さん?」
左右にハサミ状の手を持ち、横移動で動く甲殻類。甲羅には十字の模様がついている。
リアルで見るそれより大きめだが、どこからどう見ても蟹だ。じーっと見つめると、ミーナのことなどどうでもいいとばかりに遠ざかっていく。時折ハサミをかちかち鳴らしているのでちょっと可愛い。
スーツ姿のままでちょっと暑そうな春が追いついてきて、
「クロス・クラブ。このフィールドの主要モンスターです。非アクティブ型なので攻撃しなければ襲ってきません」
「あ、そうなんですね。それなら安心かも」
「ちなみに茹でても焼いてもなかなかに美味だそうです」
「……ちょっと狩って行ってもいいかなあ」
蟹なんてリアルじゃなかなか食べられない。
海で遊んだ後、帰って蟹パーティというのも楽しそうだ。
と、思ったら、
「面倒な事になりたくないなら倒さない方がいいわよ」
「ラファエラ、どうして?」
「倒された蟹が一定数を超えると親玉が出てくる……らしいです」
同胞を傷つけているのはお前達かー! と怒られるそうだ。運が悪いと誰かが出現させて手に負えなくなったのが暴れていることもあるとか。
確かにそんなことになったら海水浴どころではない。
「親玉が出て来たらエリーゼちゃんにお任せ、っていうのは駄目かな」
「お姉様のお願いなら頑張りますけど、あいつ硬いからあんまり戦いたくありません」
ミーナの腰にしがみつきながらエリーゼ。
魔法ダメージを与える特殊な剣をもってしても「硬い」とは、意外とやっかいなボスらしい。
仕方ないので蟹パーティは断念する。
「もともとの目的は海水浴だもんね。ちゃんと水着も持ってきたし」
「頑張りました」
全員分の水着を作ったリリは腕を振るった満足感もあって笑顔である。そんな彼女の自信作はというと、
「お姉さま、とっても綺麗ですっ♡」
「ありがとう。エリーゼちゃんもすごく可愛いよ」
ミーナは白+淡いピンクのツーピースタイプ。手首と足首にシュシュのような同色の飾りをつけて可愛さをアピール。
エリーゼは赤に白のアクセントを加えたワンピースタイプ。スカート状にフリルを配したキュート感強めのデザイン。
「春もさすが、スタイル良いわよね」
「ありがとうございます。課金の結果ですのであまり威張れませんが……」
春は黒のツーピース+パレオ。身長が高めかつスタイルが良いのもあって大人の魅力といった感じである。
「皆さん似合ってます。私は水着にならなくても良かったくらいです……」
「まあ、あたしたちはおまけみたいなもんよね」
顔を見合わせる二人はそれぞれ白黄(ラファエラ)、白黒(リリ)の二色を配したツーピースタイプだ。最初は「スタイルも別に良くないしワンピース型で」と言っていたのだが、ミーナが「絶対可愛い方がいいよ!」と力説して変えてもらった。
一人だけスクール水着、みたいなのはギャップ萌え狙いならありだけど受け狙いならやめた方がいい、というのがミーナの持論である。
「これで泳げるんだよね? 泳いでいいんだよね?」
「ここ一応戦闘フィールドだから注意しなさいよ。泳いでる間はスタミナがガンガン減っていくから」
「長く泳ぐには水泳スキルも鍛えないといけないんだね」
ちなみに水着タイプの装備は水泳スキルや水属性耐性に多少のボーナスがある。
軽くて動きの邪魔にもならないので水場の狩りなら選択肢に入る……かもしれない。当たり前のように防御力はぺらぺらだが。
「泳ぎますか、お姉さま?」
「泳ごう、エリーゼちゃん!」
二人で頷きあってビーチへ駆け出していく。
「……お二人とも元気ですね」
「リリも遊んでくればいいじゃない。あたしはせっかくだからスケッチするけど」
「私も他の方の水着デザインを保存して回りたいので……」
「私はパラソルやビニールシートなどをレンタルして参ります。その後はミーナさんとエリーゼさんが楽しそうに遊ぶ姿を堪能させていただければ……♡」
リリが言っているように、もちろんビーチには他のプレイヤーもいる。
水遊びや海水浴をしている者、黄昏た様子で海を見ている者、何やら酒盛りをしている者、蟹をいじめている者と様々だ。
みんなそれぞれに楽しんでいるのか、しばらくの間はあまり注目されなかったものの、だんだんと「あれ、あの子達ってもしかして」という空気が広がり始める。
やがて、エリーゼと水をかけあったり水泳の練習をしたりしていたミーナにも声が届いて、
「『Aphrodite』のミーナとエリーゼだ」
「マジか。水着とかレアじゃん」
さりげないものもわかりやすいものも含めて視線が集まり始めた。
「……っ♡」
「お姉さま、視られてますね」
「うん。エリーゼちゃんもこういうの好き?」
「もちろん大好きですよ。無視されるより愛される方がいいじゃないですか」
「さすがエリーゼちゃん」
二人は囁き合い、声をかけられるまではそのまま遊び続けた。
水着なのでいやらしくはないものの露出度は高い。二の腕や太腿などいろんなところに視線が刺さる。
ミーナはどきどきしながら視界の右上に目をやる。
思い立って固定表示させてみたレベルアップ回数のカウント。このタイミングで伸びたのはここではない場所にいるプレイヤーの行動だろうけれど、
「ミーナちゃん、スクショ撮ってもいいですかー?」
「はい。もちろんご自由にどうぞー♡」
撮りたい人には好きなだけ撮ってもらう。
「そっちの子達も撮影OK?」
「いいわけないでしょ、あたし達は裏方よ。散りなさい」
「……知らない人怖いです……」
ラファエラたちにとばっちりが行ったのは後で謝っておいた。
「ポーズ取ってくださーい」
「え、ポーズ? 何がいいんだろ?」
「可愛ければなんでもいいんですよ、お姉さま」
そう言うエリーゼは慣れた様子。横ピースや人差し指をびしっと前に突き出してみたり、咄嗟に思いつくのがすごい。
「エリーちゃんがわざわざやってあげてるんだから感謝しなさい、ざこのおにーさん♡」
「出た、メスガキムーブ!」
「マイルドになって受け取りやすくなったよな」
ミーナもエリーゼを真似しながらなんとかポーズを取った。
しばらくして解放された後、みんなのところに戻ると春に「練習しておいた方がいいかもしれませんね」と言われる。
「これからもポーズを取る機会はあると思います」
「そうですね。モデルさんの写真とか見て研究してみますっ」
「前かがみ系のポーズはとっておきにしなさいよ。殺意が高すぎるから」
「お姉さまの胸とかお尻ばっかり見て。あの男ども燃やしてやりたい♡」
「……後が怖いからやめてください」
シートの上でちょっと休憩。リアルと違って砂が乗ってじゃりじゃりしたりしないので快適だ。
「こっちなら日焼けもしないと思うけど、日陰に来るとなんか安心するよね」
「ありがとうございます。ちなみに、他にもビーチボールや浮き輪がレンタルできるようですよ」
「後で借りてこよっか、エリーゼちゃん」
「はい、お姉さま♡ でも、マネージャー? どこでそんなの借りてきたの?」
「向こうにある海の家です」
指さされた方向を見ると確かに、掘っ立て小屋感のある建物が離れた場所に見えた。
ちなみにエリーゼが前来た時にはなかったらしい。
「プレイヤーが運営しているようなので夏季限定かもしれませんね」
「この時期ってリアルだとクラゲで泳げないのよね。案外リアルでも海の家やってる人だったりして」
「絶対にありえないとは言い切れませんね」
事情はともかく。海の家があるということは海水浴名物のあれこれも食べられるかもしれない。
「わたしなにか食べるもの買ってくる!」
「迷子にならないようにお母さんと一緒に行くのよ」
「ラファエラさん、私はまだそんな歳では……。と言いますか、高校時代は恋愛禁止でしたし大学時代もアルバイトで忙しかったので恋愛自体ほとんど……」
「マネージャー! 可愛いんだからこれからいくらでも相手見つかるってば! だいじょーぶ!」
珍しく本気で落ち込み始めた春をあろうことかエリーゼが慰める。仲良くなったからこそ、ということでいいだろうか。
「……なんかごめんなさい。その、大丈夫よ。私も彼氏とかいないから」
「……えっと、言うまでもなく私もいません」
「お姉さま、早く海の家に行きましょう! ほら早く!」
「う、うん」
どんよりし始めた空気にミーナはエリーゼと慌てて立ち上がった。
砂浜をやや早足で移動しながら、
「ちなみにエリーゼちゃんは彼氏いるの?」
「男子から告白されたことは何回もありますけど、全部断りました。誰かと付き合ったら人気が落ちちゃうので」
「そっか。やっぱりエリーゼちゃんは男の子にモテるんだねー」
「そういうお姉さまはどうなんですか? はっ!? まさかもう男と同棲していて結婚秒読みとか? そんなことないですよね、ね?」
「ないよ。四月までお兄ちゃんと一緒に住んではいたけど」
もちろん何かの隠語ではなく実の兄の話である。エリーゼは「血縁なら安心とは言い切れないんじゃ……」とか言っていたが、ミーナが部屋に行った途端アニメのポスターか何かを隠すような人なのでリアルの女の子に手を出す度胸はないと思う。
「あ、やっぱり色々売ってる! 迷っちゃうなあ、これ」
「迷ったら全部ですよ。カロリーは気にしなくていいんですから」
というわけで焼きそば、焼きとうもろこし、じゃがバター、フランクフルト、おでん(!?)、焼きおにぎり、かき氷、ソフトクリームなどを買い込み、みんなで分けた。
味は絶品──ということもなく、かといって美味しくないというほどでもなく、つまり普通。こういうのでいいんだよね、という安心の味だった。
「……匠の業ですね。尊敬します」
「? どういうこと、リリちゃん?」
「料理スキルの熟練度が上がるたびに細かく料理設定いじって味を調えてるのよ、たぶん。普通にやると美味しい料理になっちゃうから」
「敢えて普通の味を出すために研鑽を重ねる……ですか。それは確かに職人芸としか言いようがありませんね」
残念ながらプレイヤーはログインしておらず、販売しているのはNPCだった。そこまですごい人ならちょっと会ってみたかった。
この『UEO』には本当にいろいろな人がいるものである。アイドルを続けていけばそういう人たちにもっと会えるだろうか。
と。
「キングが出たぞー!」
プレイヤーの悲鳴が聞こえ、その直後、ずん、と地響きのような音がした。
「げ。ざぁこ♡ なプレイヤーさんが呼び出しちゃったみたい」
「エリーゼさん、その悲鳴はアイドルとしてどうかと」
「そういうのは後にしなさい。ちゃんと倒されるならいいけど、そうじゃなかった時のために逃げるか戦うか決めておかないと」
「っていうかあれ大きすぎじゃない!?」
蟹の親玉──キング・クロス・クラブは全長三メートルを超える巨大な蟹だった。ハサミも比例して大きく、殴られたら物凄く痛そうだ。
実際に殴られた人もいるらしく、さっき蟹をいじめていたプレイヤーは砂浜にばたりと倒れている。
今は周りにいた他のプレイヤーが応戦中。
蟹なら横移動しかできないから距離を取って戦えば、と思ったら、キングはハサミで浜をどん! と叩くとその反動で跳躍、まさかのジャンプ移動で前方に突っ込んでいく。
近づいたところで両手を振るってプレイヤーを薙ぎ払い、反撃が来ると全身に光の膜のようなものを纏って防御。
「あれよあれ。硬化している最中はダメージが大幅カットされるの。ボスだけあってHPも多いし面倒くさーい」
「それはわたしたちあんまり役に立ちそうにないなあ……」
とか言っていたらだんだん戦線がこっちに移動してくる。
「ミーナちゃん達、早く逃げて!」
「……って言われて本当に逃げたらあたし達感じ悪くない?」
「戦おっか。一応装備は持ってきてるし」
「お姉さま、短剣だけにしておいた方がいいですよ。防具はなるべく軽い方がいいです」
エリーゼがそう言った理由はすぐわかった。砂浜で戦おうとすると砂に足を取られて動きづらい。ひらひらした服を着てステップを踏むのは今のミーナには無理である。むしろ水着のまま静止して、攻撃が来た時に頑張って避ける方がまだマシだ。
「回復量は自慢できませんが、MPの量には自信がありますので」
「ナイスマネージャー! ま、一対一じゃなければなんとかなるでしょ♡」
他のプレイヤーの援護もあり、キングはそれからニ十分ほどかけて討伐された。
「ざぁこ♡ ざぁこ♡ 悔しかったら守りながら戦ってみろ♡ マルチタスクもできないのぉ♡」
MVPはエリーゼだったので、彼女にはドロップアイテムの半分以上が入ってきた。その中に含まれていた蟹肉は大量で、せっかくだからと他のプレイヤーも巻き込んで蟹パーティをした。
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