俺は変態じゃないからな。これは兄として純粋に応援しているだけだ

 三つ年下の妹は少し変わっている。

 天然なところがあって、高校生になっても可愛いものに目がなく、他人に対する警戒心が薄い。あれで大丈夫なのかとつい心配になってしまう。実際は変な男に引っかかったりもしていないので案外しっかりしているのかもしれないが。


「当方としては美奈さんにゲームの中でアイドル活動を行っていただきたいと考えております」


 しっかりしているにしてもいきなり話が進み過ぎではないだろうか。

 大事な話があるからと実家に呼び出されて帰ってみれば、二十代中盤ほどの美人女性がスーツ姿で現れた。とある会社で芸能プロデューサーをしているという彼女は礼儀正しく名刺を差し出すと彼や両親に名乗り、それから用件を告げてきた。

 娘さんをアイドルにしたい、と。

 契約書類もしっかりしているし、会社名で検索すれば立派なHPが出てくる。電話番号も実際にその会社が使っているものだった。

 報酬もなかなか悪くない。


「でも、美奈がアイドルって……」

「危ないんじゃないか」

「ご心配には及びません。美奈さんに行っていただくのはゲーム内での活動──外出の必要はありません。正体がバレる恐れも限りなく低いでしょう」


 ひと昔前に流行ったAtuberもネットアイドルだが、あれは防音室の類を使わない限り配信中に生活音を拾ってしまうという問題点があった。例えば選挙カーから流れる声で居住地が特定される、なんてこともあったのだが、『UEO』はフルダイブMMOなので問題ない。

 リアルでこういうことがあった、といった話をされるのを嫌がるプレイヤーもいるので雑談からバレる危険も低い。


「もちろん我々も美奈さんをしっかりとバックアップいたします」

「いい話なんじゃないか」


 心配していたはずなのに、気づけば彼はそう口にしていた。


「お兄ちゃん」

「『UEO』の中ならそれなりに安全だし、この人の言った仕様も本当だ。何よりこいつがやりたがってる」


 両親はゲームに詳しくない。美奈本人以外で『UEO』について知っているのは彼だけなのだから、それくらいは保証してやらなければならない。

 この女性もおそらく信用できるだろう。

 ファンに交ざって『ミーナ』の活動を見守っていた彼には、スーツの美女がゲーム中でミーナをサポートしているあの女性と同一人物なのがわかる。

 当人たちも「春さん、ゲームの中とそっくりですね」「ミーナさんこそ、想像以上にお綺麗で驚きました」などと和やかに話をしていたし。


「……っていうか、あの、プロデューサーさんってもしかして前にアイドルしてませんでした?」

「え、そうなの、お兄ちゃん?」


 なんでお前が知らないんだよ。


「結構有名なアイドルグループだぞ。たしかセンター務めた事もあったはず」

「昔の話です。高校卒業と同時に引退し、今はアイドルを支援する側に立っております」

「やっぱりすごい人だったんですね……!」


 きらきらした目をする妹。なんでもダンスの指導などもしてもらっていたらしい。元アイドルから一対一での指導とか羨ましい……ではなく。


「でもアイドルって厳しいんじゃないのか。ストーカーとかいたりするんだろ」

「厳しくない仕事なんてないだろ。それに、ストーカーの被害を抑えられるって話をさっきしたんだよ」


 新しいものの話というのは大人にはわかりづらいものだ。理解はしていても歯がゆいものを感じてため息を吐く。


「こいつならその辺は大丈夫だろ。楽しめてるうちは頑張るだろうし、楽しくなくなったらすっぱり止めるぞたぶん」

「お兄ちゃん、それ褒めてる?」

「まあ一応」


 物凄く微妙な擁護だったものの、両親は「それなら大丈夫か」という方向に傾いてくれた。

 母の方は意外なことに「親としては心配だけど、いいわよねアイドル」的なノリだった。昔自分も憧れたことがあるのかもしれない。

 というわけで両親からは承認された。

 バイトみたいなものなので学校の許可もいるが、そちらにも必要なら同席してくれるらしい。なかなかしっかりした会社のようだ。

 話を終え、妹から春と呼ばれていた女性が帰った後、彼は妹の部屋に行き二人で話をした。


「さすがに驚いたぞ、お前が本当にアイドルになるとか」

「わたしだって驚いたよ。でもせっかくだからやってみたいじゃない?」

「そのノリで始められるんだからすごいんだか怖いんだかな……」


 彼女の晴れ姿は何度も見ている。最初は単に妹が心配だったからのはずだが、今は普通にファンになっている……と言っても過言ではないかもしれない。

 しかし身内相手に素直になれない彼はそれを口には出さず、


「でも、大丈夫か? お前、一部のファンからエロい目で見られてるぞ」


 妹の肩がぴくんと跳ねた。


「たとえば?」

「え? いや、ほら。胸がでかいとか」


 具体的に聞くな。

 これで正直にぺらぺら喋ったら「お兄ちゃんの変態」と軽蔑されるのだから妹という生き物は度し難い。いや、度し難いのは女子という生き物か?

 ちなみに実際はもう二歩も三歩も踏み込んだ発言がごろごろしている。


「エロい絵とか描き始める奴も出てきてるぞ」

「それはわたしのお友達もやってるし」

「そう言われればそうだが、どうなんだそれは」


 公式が最大手だった。

 イラストではなく絵画調なので「芸術」と言い張れるのが救いか。ただ、それでもエロいものはエロい。

 どこまで踏み込むべきか迷いつつ「あー」と口を開いて、


「せめて胸の大きさはそろそろ止めたらどうだ」

「お兄ちゃん、なんか彼氏みたい」

「っ」


 その罵倒は初めて聞いた。驚きから動揺が隠せず、身体ごとそっぽを向く。気づかないうちに「束縛の強い彼氏」みたいなことをしてしまっていたというのか。

 そういえば、妹から「触ってもいいよ」と言われたこともあった。

 ミーナの胸は大きいうえに揺れる。リアルと違って垂れてくる心配も必要ない。そのディティールを思い浮かべて「触っておけば良かった」と考え──違う、そうじゃない。

 ついでに「美奈も十分でかいんだよな」とかいう邪すぎる考えも振り払って、


「……だから、程々にしとけって事だよ」


 思い切り日和った注意をした。

 微笑んで「うん」と頷く妹と別れ、両親に一言告げてから実家を後にする。一人暮らしをしている部屋に戻ると、壁に張ったポスターを見てため息をついた。


「もし、あいつにこれ見られたら死ぬな、俺」


 桃色の髪をした美少女のヌード絵。鏡台のチェスト部分にかるくもたれかかる格好で、乳首と最も大事な部分は絶妙に隠れて見えない。ゲーム内で絵をわざわざ印刷したものである。

 販売方法がオークションからNPCの売り子に変わったことでぐっと買いやすくなったので購入に踏み切れた。代わりに変装が必要だったものの「○○さんがオークションで××を購入しました」なんて表示が出る心配はない。大昔には自販機でエロ本が売られていたらしいが、あれもこの手の需要だったのだろうか。


「俺は変態じゃないからな。これは兄として純粋に応援しているだけだ」


 誰にも聞こえない言い訳をしつつ、彼はスマホのミーナフォルダにパスワードをかけた。

 なお、彼はこの二日後、母から「様子を見るついでに掃除してきて」と頼まれた妹にポスターを見られかけ、大慌てすることになる。




    ◇    ◇    ◇




「というわけで、アイドルになれることになりましたっ♡」

「おー!」


 ぱちぱちぱち。

 ギルドハウスのリビングに拍手が満ちる。エリーゼが加入し、数名の女性親衛隊員も加わったことでそこそこ人数が増えた。その分、音も賑やかである。

 なお、最古参の二人はというと、


「おめでとうミーナ。……これであたしは公式アイドルの絵を最初期から描き続けていたってことになるわ♡」

「これからも衣装は私が担当できるんですよね……?♡」


 若干、いやだいぶ欲望が隠し切れていなかった。いつものことである。


「正式な活動はいつからになるのよ?」

「契約とか手続きがあるからすぐには無理みたい。会社の方でいろいろ決まったら告知日を発表するって」

「楽しみですねお姉さま♡」


 エリーゼはあれからもミーナに懐いている。

 敗北によって「最強」のレッテルが剥がれ、彼女のファンは一時大幅に減少したものの、謝罪会見とミーナとのユニット結成によって新たなファンを獲得。今ではそこそこいい感じに落ち着きつつある。

 最近はライブハウスで一緒にパフォーマンスをしたり、元親衛隊員を率いて狩りに行ったり。ギルド内で素材調達が可能になったのでリリが喜んでいる。

 ちなみにギルドハウスにいる時は戦闘装備ではなく可愛い衣装をあれこれ着てくれている。今日は白いワンピースに黒いリボンを用いたツインテールだ。定位置はミーナの膝の上である。


「うん。公式アイドルになったらもっと視てもらえるもんね。気持ちいいだろうなあ……♡」


 エリーゼのファンを引っ張ってきたことでライブのお客さんは増える一方。早くもライブハウスは手狭になりつつある。

 物販スペースの売れ行きを見つつ、十分な資金が貯まったら拡張工事を行う予定になっている。


「っていうか春。公式化してもここの会場使うの?」

「イベントの際は運営側で用意しますが、普段のライブではここを使っていただきます。ただし、公式ならではの恩恵もありますよ」

「というと?」

「スパチャが受け取れるようになる予定です」


 公式アイドル誕生と同時に新たな課金アイテムが実装されるらしい。ファンクラブの会員証や応援メッセージを送れる使い捨てアイテムなど。さらに追ってミーナモデル・エリーゼモデルのオリジナル装備なども販売する予定だとか。


「露骨に課金を煽ってるわね」

「……そうすると、今作っているミーナさんグッズは販売差し止めですか?」

「いえ、それは売っていただいて構いません。ユーザーの努力を無にするのは運営の本意ではありませんし、課金グッズには専用の効果が付きますので」


 ゲーム内通貨よりリアルマネーの方が安い、と考える人種も世の中にはいるのである。


「もちろん、スパチャによる収入の一部はお二人にも還元されます」

「いーじゃない。課金が増えるほど人気があるってことでしょ? 気持ちよさそう」

「わたしは見てもらえれば十分なんだけど……」

「ミーナさんには専用の人気カウンターがありますからね。でしたら、ご褒美として甘い物や可愛い服を買う代金、と考えてはいかがですか?」

「あ、それはちょっと嬉しいかも」


 本音を言えばリアルでもお洒落したいし甘いものも食べたい。頑張った分、自分へのご褒美が許されるというのは魅力的だった。


「でも、夏休みももう終わりなんだよね。早いなあ」

「あたしもお姉さまともっと一緒に遊びたいです」

「そうだよね。もちろん、学校のみんなとも会いたいけど」


 二学期が始まったらまた放課後と土日しかログインできなくなる。ゲームの中にいると時間の流れが遅いのもあってなんだか少し寂しい。


「もっと早くギルドができてればみんなと遊んだりもできたのかなあ」

「遊ぶって、例えばどんなのですか?」

「うーん……海水浴とか、夏祭りとか?」


 適当に夏っぽい単語を口にするとラファエラが露骨に嫌そうな顔をした。


「まさかオフ会の話? あんな人の多くて疲れるところ絶対に嫌よ」

「私もリアルで会うのは恥ずかしいです……」

「あたしはお姉さまに会いたいですっ♡ それでお部屋とか……うふふ♡」

「エリーゼちゃんは元気だね」


 頭を撫でて上げつつ、ミーナはにっこり笑って、


「ゲームの中でいいよ。こっちには海とかないの?」

「ビーチならありますよ。もちろんモンスターが出ますが」

「なんでモンスターがいるんですかっ!?」

「MMOなので」


 でも、せっかくだから行くことにした。

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