第2話 死都
キリルグラード湾口。
周囲を海に囲まれたアサーザッド列島の中でも歴史の古い、他大陸との貿易要衝として機能していた有数の港湾都市である。
サシーア共和国最大の国難である【種絶の呪詛】対策、移民入国者を招聘する最大の受入口でもあったため、国家の総力を挙げて都市発展に心血を注いだ結果、国内でも首都ムガウルに次ぐ人口数と経済成長率を誇っていた。
僅か、2年だった――。
国家予算を多大に割き、当時の最新設計によって築かれた大港湾には数多の貿易船や移民船が往来していた。
沿岸国家における海洋力の生命線たる多種多様な船舶建造を可能とした新型
時代が齎した急速な産業革命による工業化への対応に成功し、城壁のごとく港を埋め尽くしていた煉瓦造りの工場群は国民需要を支えるとともに、国家収益・国民経済の要である輸出品の大量生産ラインを確立していた。
堅牢さに置いて列島一と称えられた海軍最大規模の沿岸要塞には、櫛比と呼ぶに相応しい数の沿岸砲が、海からの外敵を悉く粉砕した。
水陸交通接点としての都市機能を果たし、複都制であるサシーア共和国の副首都に恥じない経済基盤の整いを象徴していた目抜き通りに立ち並ぶ多彩な商店。
多人種国家の諸問題を乗り越えて実現された、市民のネットワークとコミュニティーは差別や貧困を極限まで排し、民族や種族の壁を乗り越え手を取り合い、国家の生活満足度の向上に大きく寄与した。
キリルグラードには、『繁栄』の二文字が確かに存在していた。
そして、"虚無の黒海"より何の前触れもなく到来した、魔族という名の
死都と呼ぶことさえ生温い、散在した瓦礫と人骨らしき欠片の山だけを遺して。
❖❖❖❖❖
エーン・ソーフ
紫冥神の月、下旬――
イングザム地方・魔族前哨基地における<黒い煙作戦>から2ヶ月が経過していた。
作戦に投入された2個中隊のうち、特にN1ガス手榴弾投擲隊の損耗率は80%を超過、部隊全体の損耗率は結果として66%であった。
魔族前哨基地部隊の殲滅、僅かな勢力圏の奪還と引き換えた犠牲は甚大だった。
サシーア陸防軍第1軍第3歩兵大隊"ガーラル"は、件の作戦以前からの損害と合わせ軍事的判断として『壊滅』――損耗率50%以上を指す――扱いとなり、同じく『壊滅』となった第4歩兵大隊"ザントマン"と合流、統合・再編成が為された。
再編成後、ガーラル・ザントマン混成大隊は、港湾都市キリルグラード跡に駐屯していた。
毎年決まって魔族の活動が停滞する自然休戦期である次月の"白樹神の月"の直前――つまり現在――必ず本拠"虚無の黒海"からの大攻勢、通称『津波』が魔族群より実行されるため、水際防御・迎撃指令を受けてが理由だ。
ベニントン准佐あらため少佐は、ザントマン司令・ダースト少佐とともに工兵部隊による沿岸戦闘陣地建設の様子を視察していた。
互いに
「……今回もまた、あの"黒煙"頼みか。鳥獣騎兵部隊によるガス弾の投下……完全に騎兵は捨て石だな」
海から吹く凍えるような寒風に目を細め、ため息交じりで淡々と話すダーストに、視線は建設地帯のままベニントンが表情を変えず返答する。
「兵士を突貫させて使うような狂った作戦よりはマシだ。大本営も"津波"じゃなければ鳥獣騎兵を回さなかっただろう。
高高度からの投下ならば兵が"黒煙"の被害になることは避けられる。
人の足と比べれば戦線からの離脱は容易いのだから、捨て石とは言い切れまい……イングザムの作戦内容よりよほど人道的だ。あんな作戦で
ステンレス鋼製のコップに淹れた珈琲をすすりながら、細身なベニントンの横に並ぶと恰幅の良さが際立つダーストは、少し険しい顔をした。
「人道的、ねぇ……しかし、まさかアンタと一緒に"津波"の相手を押し付けられるとは皮肉なもんだ。
最早ここまで来て昇進のことなんか気にすんなよ、目前に迫ってる"貧乏くじ"の結果次第じゃあ、めでたく特進して大佐だよ、俺もアンタも。
お高い慰霊碑に英霊として名前刻まれて……そんで、すぐに粉々にされて歴史からも露と消えちまう。
それに、だ。お互い部隊の損耗率に大差はないだろ? 俺の部隊だって酷いもんだった。"
……如何に人間同士の戦争が良心的なモンだったかって思い知ったよ」
「ゴンサロのことは残念だ。お前には勿体ない副官だった」
「うるせえな。まぁ、その通りだよ……あいつの犠牲のお陰で、何とかまだ部隊として体裁が保ててる。これですぐに冥府で落ち合っちゃあ面目丸潰れだ」
「……だが、魔族共に殺されずに済んだとしても、その後にサシーアを狩りに来るのは結局、人類国家だ」
そう言い捨てて、携帯
「【種絶の呪詛】をわざわざ貰いに戦争仕掛けるか? ランベスもボグダン王朝もそんな動きは見せてねえはずだ……いや、この呪われた島の歴史を振り返りゃあ、言い切れねえか……クソ、結局、四面楚歌かよ」
珈琲を自棄気味に飲み干すダーストの隣で、ベニントンはパッ……パッ……と、
燻らせた紫煙に霞んだ空を旋回する死肉喰い――禿鷲の群れを冷たく睨み、「喰われてたまるか」と呟いた。
❖❖❖❖❖
――ガーラル・ザントマン混成大隊・兵士野営キャンプ地。
なにやら真剣な顔つきで駆け回っているクオモ中尉の姿を、セーザルは軍用の
(もう来やがったのか? 畜生、まさか"津波"に駆り出されるとはな。俺のツキもこれまでかね)
所属するのは変わらず第5分隊であった。<黒い煙作戦>で多くの分隊は再編成を余儀なくされた。理由は言わずもがな、大量の戦死者である。
魔族群との戦端が開かれてから、セーザル、そしてバルティゴとジョアンは同じ分隊のまま生き延びてきた。
「お……隊長、どうしたでアリマスカ?」
「うるせえよ……ったく。マヌエルの奴が死んだ所為で栄光の"
ほくそ笑みながらセーザルはくしゃくしゃの紙箱から煙草を一本取り出してヘイガンに「ほれ」と差し出した。
「出来る部下は好きだぞ」と、戯けた大仰な仕草でそれを貰って口に咥えたタイミングに合わせ、セーザルは軽く指を鳴らした。ボッ……とヘイガンの顔一面を炎が覆う。
まんまと身動ぎしてしまったヘイガンは「この野郎ッ!」とセーザルに体当たりを仕掛けるが本気ではない。
彼もまた、分隊の古顔であり、この戦争以来の戦友であった。
一般市民が街で行っていたら本気の喧嘩に見える取っ組み合いがしばらく続いた。軍属にとってはいつも通りの戯れあい、軍隊式コミュニケーションである。
ふたりの喧騒に気づき、一瞥したクアモ中尉は――やれやれ、気楽なもんだ――といった様子で頭を振った後、またせかせかと任務に戻っていった。
瓦礫が撤去された野営地の地面にお互い転がる。息が整ってから「今度ばかりは、俺らもヤバイかもな」と、ヘイガンが心情を吐いた。
「……はっ! 今更だろ。何が"
おもむろに軍服の懐からくすんだ真鍮の
「あいつはファルーク出身だったか。第2軍がなんとか踏ん張ってくれたらしいが……鳥獣騎兵の奴に聞いた話じゃあ空襲群に部隊半分持ってかれたとよ」
分隊のムードメーカーであるヘイガンも、彼にしては暗い口調だった。
「まじか。そんな有様じゃあ……夏までに部隊の立て直しは無理だろ、どう考えても。"津波"に対しても唯一の頼みがあの『黒煙』か……辛気臭すぎてやってらんねえよ、隊長」
「その呼び方やめろよ……なんでテメエも同じ階級なのに俺が務めなきゃなんないんだ――あ。そういえばお前、クアモにゲノン丘陵戦の夜、呼び出されてなかったか? まさか……」
「ん? そんなことあったっけか?」
素知らぬ顔でセーザルは煙草を吹かしている。
「とぼけんじゃあねえ! さてはテメエ、俺にババ引かせやがっただろッ!!」
「細えことでウジウジ言ってんなよ。俺より絶対適任だってお前の方が。な?」
ヘイガンの怒声とともに再び始まった取っ組み合いの頭上では、無機質な挙動で……禿鷲たちが次の"餌"をただただ、待ちわびていた。
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