死傷率50%の部隊 ~The Ên Sôph Saga外伝~

正気(しょうき)

第1話 黒い煙作戦――A.R. 999



『戦争は、その経験なき人々には甘美である』


――ピンダロス





**



 ~愛するミラへ


 手紙が遅くなってすまない。


 簡易野営地からこうして書いている手紙も君の手にいつ届くのか、軍の配達員は生還して役目を果たしてくれるのかさえもわからない。


 ただ、僕が君にできるのはこうして戦場から手紙とわずかばかりの給金を送ることだけだ。


 今も君へと届くことを信じて、筆を進めている。


 

 僕たちの故郷、ファルークが攻撃を受けたと聞いたよ。


 50キロも離れている前線でこの情報が入って、今の僕は正気を保つのに必死だ。

 ミラ、君の無事を心から祈っている。


 そして、僕とミラの家族も無事だろうか? もし手紙が送れる状況であれば教えて欲しい。とにかく、命を最優先に生き延びてくれ。


 デイル王朝の圧政から逃れ、この国に移住してきた僕らの家族がなぜ魔族に襲われなければいけないのか。

 戦場に来て、故郷が襲われて、僕の考えは確信に至ったよ。


 神はいないんだ、と。


 指揮官もベテランも次々と死んで、挙句、最前線にも関わらず著しい消費弾数の制限を受けながらも、僕は故郷のため必死に戦っている。


 今となっては死傷率50%、損耗率が20%を上回ってしまった部隊で3ヵ月以上も生き延びているのが奇跡だと感じている。

 でもそれは決して神の御業みわざなんていう幻想じゃない。

 ミラの元へ必ず帰るという、僕の生きる意志が齎したものだ。


 あとひと月もすれば休戦期に入るはずだ。

 それまで……僕も必死に生き延びるよ。


 ミラ、愛している。どうか、また君に会えるよう切に祈っている。


 それでは、また。


 クライブより~




**




 サシーア共和国・首都ムガウルから北西70キロの地点――辺境イングザム地方。



「失礼します! ベニントン准佐。戦死者の遺体、回収完了いたしました」


 浅黒の肌色をした兵士が、左手に何らかの書類を持ちながら入口で一度立ち止まって敬礼をしたあと、報告のため隊舎に入ってくる。

 この国では珍しいものではない。東部や北部の民族出身者には特に多い肌色である。


「ご苦労、クアモ中尉……それで、の数は今回、何名になる?」


 葉巻に火をつけながら、ベニントン准佐と呼ばれた男はギシギシと鳴るパイプ椅子から立ち上がり、クアモ中尉へといつもながらの質問を返す。葉巻を吸うその顔と指は白色人種のものだった。


 サシーア共和国における、黒色人種ラノワロイド白色人種フォーカソイドの比率は4:6ほどであり、混血種も含め多様な民族が融和した自治体であることが国民の肌色ひとつで見えてくる。


 だが、それはこの国が抱える<呪い>が所以でもあった。


 種類は違えど、<邪神島>に存在する国家には例外なく何かしらの【邪神の欠片の呪詛】が掛けられている。


 ――かつて古の時代に存在していた【6柱の邪神】が滅ぼされた際、その屍が四散し、島に降り注いだことから始まる呪いだそうだ。



 サシーアには【種絶の呪詛】――出生率0%。

 そう、この国では。建国以来、移民に頼ることでしか国民の増加は見込めなかったのだ。

 この国に奴隷制度を一度だけ取り入れた歴史はあるが、他国からの移民たちへ不信感を募らせる結果となり、人口は減少した。以来、奴隷制度は永久的に廃止された。


 だからこそ、他国よりも血眼で善政を敷いてきた。にも関わらず、いや、むしろそれが原因なのだろうか? 理由は依然として判明せぬまま今日までサシーア共和国は、前触れもなく侵攻してきた魔族群との絶望的な戦いに追われている。


 彼我の戦力差は不明瞭なまま、いつ終わるともわからない戦争に。



「13名です……読み上げますか?」



(直近の戦闘は2小隊規模での小競り合いだった。13名か……、思いのほか善戦したのだな。損耗率は1割強、か)


「頼む」と、これまたいつも通りのやり取りを交わした。


「はッ! では……。サシーア陸防軍第1軍第3歩兵大隊"ガーラル"、第11中隊のシス・カンディ遭遇戦による戦死者を告知します」


 いささか硬い表情で中尉が名前を順に告げる。


「クビジャス軍曹、クアリン軍曹、ドゥッダ伍長、マジェール伍長、マイコン伍長、イビツァ一等陸兵、一等陸兵、エウトン一等陸兵、フレン一等陸兵、ヨシュア・ボアーズニ等陸兵、スハール・ボアーズ二等陸兵、エスピリト二等陸兵、マテュー二等陸兵、――以上になります」


「わかった……この者たちの所持品、および部隊章と識別票ドッグ・タグを軍本部へ送れ」


「承知しました……早速取り掛かります。では、失礼します!」


 戦死者の回収だけでもできたのは幸運である。遺体すら残らない状況なんて日常茶飯事なのだから。隊舎から出ていくクアモ中尉を尻目に、ベニントンは無言でパイプ脚の執務机に置かれた作戦指令書を手に取る。


 その表情は、いつもより一層苦々しかった。



 指令書の表題には、<黒い煙作戦>と記されていた。



❖❖❖❖❖



 エーン・ソーフ 再生紀アフター・ルーイン:999年(ên sôph:A.R. 999)

 白夜神の月、5日――


 

「セーザルッ、モタついてんじゃねえ!! さっさと引き揚げるぞッ!!」


 防毒マスク越しに先を行くバルティゴが叫んでいる。わかってる、だが左大腿部に魔弾が掠ったんだ……足の肉抉られながら俺だって必死に走ってる。これでも全力なんだよ。


 状況を見るに俺たちが殿しんがりになっちまったな。畜生、まさかあれだけの"道化師ジェスター"が湧いて来やがるとは……。こんなオンボロ小銃でよく生き残れたもんだ。


 くそったれの"信奉者ディサイパル"の集団が血を身体中から吹き出しながらもまだ追ってくる――狂人どもが。自ら魔族の眷属に身を落とした人間達の成れの果てだ。


 身体能力の限界制御リミッターが脳から外れたこいつらは、瀕死であろうが命が尽きるまでお構いなしに戦闘を続ける。右腕の取れた血まみれのひとりがすぐそこまで近づいてきていた。


 ……人間も魔族も本質、何も変わらねえってえのに。よほど人間が嫌いだったんだろうな、こいつらは。


 わかるよ、気持ちは。


 だがな――仕方ねえけど、人間に生まれちまったんだ。人として生きるってのは……最期まで人類というクソの集団を無理やり肯定するしかねえんだよ。


 単発の鎖閂式操作ボルトアクション、そいつの取手を手前に引く。

 小銃上部の開いた薬室へ三層の紙筒で包まれた紙製薬莢ペーパーカートリッジをねじ込んだあと遊底取手ボルトハンドルを右に回して閉鎖位置に戻す。


『ハァァッ!! 贄となれ……』



 ――テメェがな。



 《ドォンッ!!》 針打式の撃鉄が雷管を叩く。弾頭の鉛が回転しながら哀れな元・人間の頭を破裂させた。


 針打式単発小銃ツュントナー、"ニードルガン"とも呼ばれる兵装だ。


 黒色火薬が放つ白煙のすぐ後ろから"死の黒煙"が迫ってくる。

 "馬鈴薯パーパ圧砕器マッシャー"の俗称を持つ、柄付手榴弾を後続の"信奉者ディサイパル"どもに投げつけ、急いでバルティゴへと追いつく。



 後方で骨肉と地面の爆ぜる音がけたたましく鳴り響いた。



❖❖❖❖❖


 

「馬は……無事みたいだな。おい、ジョアン! クソの群れは来てねえか?」


 灰褐色のくせ毛が特徴のバルティゴが、いつも通りの荒っぽい言葉を一足先に撤退していたジョアンに掛ける。


「ああ……意味があるかもわからん索敵はしておいたが……お前らを追ってきてた熱烈なファン以外にはいなさそうだ」


 肺を病んでいるジョアンの顔色は白色の肌と相まってさらに青白いが、皮肉ジョークを返せるほどには元気らしい。


「はッ! セーザルはわからねえが……俺は女にしか興味ねえんだ。もちろん魔族崇拝なんざよりも化粧の乗り具合に熱心な美女限定だがな」


「おいおい、ふざけんな……大体、あいつらはお前のことしか見てなかったぞ? モテる男ってのは大変だな、しょうがねえから俺が追い払ってやったけどよ。さぁ……とっととこんな狂った場所からズラかろうぜ」


 一応、魔力感知程度の魔術ならば俺は行使できる。周囲に気配はないことをあらためて二人に伝えて馬に跨った。


 ここから前線野営地までは約5キロ。俺たち第5分隊はとりあえず生き長らえたみたいだ。


 焼け焦げた樹木を器用にすり抜けながら、焦土の上を馬が駆け抜けていく。



 <黒い煙作戦>……今までで最悪の作戦内容オペレーション


 "貧者の報復"と呼ばれる猛毒の特殊神経剤の大量散布が今回の任務だった。『一匙で半径500メートルの生物が死に絶える』――それは魔族も例外ではない。物理障壁を展開してくる中級以上の魔族兵へと有効打を与えるために軍部が開発した化学生物兵器。


 擲弾筒による発射は魔術によって撃ち落される危険があった。

 その為、奴らの前哨基地を四方から2中隊規模の歩兵で強襲。

 西と南は陽動部隊として敵戦線を撹乱し注意を引きつけ、北・東方面から本命の『黒煙』――"N1ガス手榴弾"を、歩兵が投擲するという……狂気の沙汰も甚だしい作戦だった。


 俺たちは運よく西側の陽動部隊に配属されたが……北と東の実行部隊の被害は甚大だろう。どう考えても使い捨ての突貫……自ら肉塊ミンチになりに行かなきゃならねえなんてよ。


 だが、この決死の作戦によってもたらされた有効性は……俺たちがこの目ではっきりと確認済だ。


 黒煙を身体中から血液とともに噴出しながら、奴らは悍ましい叫び声をあげてのたうち回っていた。

 やたらめったら最期の足掻きと言わんばかりに、ありとあらゆる魔術やら魔弾を明後日の方向にばらまいてきやがったが。


 運悪く……いやこの部隊で生きてりゃあ"運が良い"になるか。とにかく俺は、それの流れ弾を足に喰らっちまったが、掠っただけだ。

 止血もしたし毒属性でもないようだから問題ないが、とりあえず……痛え。

 馬の振動が応えるが、命があるからこその痛みだとポジティブに捉えよう。



 夜間の奇襲は魔族やその眷属には意味がない。あらゆる探知能力と物理的な夜目の利きは、断然向こうが上だからな。

 だがその上で"心理の裏を突いた"……『人類は夜襲が無駄だとわかっているだろう』という敵方の慢心を期待した深夜の作戦決行。


 理屈はわかるが、現場の兵士はたまったもんじゃねえ。こんな作戦しか立てられないほどに追い詰められている証拠なんだろうが……結局、俺らも"実験動物モルモット"にされたようなもんだ。


 気休めの防毒マスクを取り外して道端に投げ捨てた。クセ毛の黒髪を掻き上げる。手綱を握りながら片手で紙巻き煙草を衣嚢ポケットから取り出して口に咥える。火術で先端に火を着け、深く肺へとゆっくり吸い込んだ。


 ふう……煙草の煙が身体に染みる。あんな『黒煙』なんかよりはよっぽど健康的な煙だ。



 夜明けの陽星ケートスがやけに眩しい。とりあえずは――また、生き延びちまったな。


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