もう辞めてよ
「よお」
彼(慧くん)は私より早く店に来ていて、パソコンで何やら作業をしていた。
「遅れてごめん、ちょっと彼と話してて」
「大変だね、俺は自由でいいかも、やっぱり都会とも田舎とも言えないここに住んでいると自分が綺麗になった気がするわ」
「どっちかって言うと都会かな? ここは」
「でも東京とか横浜とかもっと人がいてもっと高いビルばっかなんだろうな」
彼は目を輝かせて言った。
今日は、少し高めのお店を彼が取ってくれていた。豪華なシャンデリア、清潔な空間、ドロドロで薄汚い私とは一つ違うレベルの店だった。
「今日はありがとう、ここのお店、一回来てみたかったんだよね」
「それは良かった、やっぱり人は褒められると自信が出るね、ありがとう」
「それ、私を褒めてるの?」
「さあ、どうかな」
彼は肩をすくめてパソコンを閉じた。
「さあ、何食べようか、今日も君の不幸噺いっぱい聞かせて貰おうかな」
メガネを外して、シャツの袖をまくる姿に、久しぶりに男の人と二人でご飯を食べに来ていることを実感させられた。
「じゃあ、私はBコースにしようかな」
「お、大きく出たね、季節のジェラートがつくのいいね」
「そこぉ? 普通メインディッシュの話するでしょ」
「俺は色んな所に目が行くから」
「それ言ってから私の目見るのやめて」
「じゃあ、俺はAコースにしよう」
「いいねえ、主食がパンなんて、とてもいいと思うよ」
「今の、パンとナンをパン繋がりで言う高度なギャグ?頭良いね」
我ながらいい出来だと思った皮肉をかわされた。
「そんな急に思いつく慧くんも頭良いじゃん」
「まあ? 大手企業勤めですから?」
「あー、そう言うの一番ムカつく」
「ゴメンゴメン、悪気はない」
「絶対あるでしょ」
「ないんだなぁ、これが」
ウエイターを呼んで注文した。自然と彼の前膊に目が行く。
「どう?彼は良い人になった?」
「いや、前言ってもらったあれ試したんだけど全然ダメだった」
「それはもうどうしようもないね、今はどうしてるの?」
「多分私か彼の家で映画鑑賞中、しかもあの人アクションしか見ないの、だから映画に行っても楽しくなくて」
「やっぱりオールジャンル観れる人との方が楽しいよね」
「うん、うん」
些細な会話でも楽しかった。
===
「分かるな、その気持ち」
「え? 分かるの?」
「分かるよ、俺もそうだもん」
「やっぱりか、絶対そうだよね、あっちの方がいいよね」
「うん、俺も何回もそれで迫害されて来た」
「そうそう、全然こっち派の人いないんだもん、やっぱりあっちの方がいいのかと思い始めてた」
そろそろワインが無くなる。まだ飲めと言われたら飲めるが、彼がメニューに伸びる私の手を制した。
「もうやめよう、酔い潰れるのは良くない」
「うん」
私も財布を出したが、「疲れてるし、ヒモにされてるんだろ?」と言って彼が全部払ってくれた。
最近彼といると安心するようになった。自分の道を示してくれているようで、なんだか掴まってみたいと思った。
私のこのだらしない人生に、折り目をつけてくれるような気がした。その日はじゃあ、だけで彼と別れた。
無闇に手を出してこない男性ってこんなに魅力的に感じるのか、と再確認。いい人と仲良くなれて幸せを感じていた。
家に帰って扉を開けると彼氏がいた。気持ちが落ち込んだ。
真顔でテレビの電源を切って、そこには静寂だけが残る。薄暗い部屋で私はただただバッグを強く握る事しかできなかった。
「お前さあ、なんか男と会ってない?」
「なんで?」
「通りでお前と仲良く話してるやつみた」
そんな所までいたのか、気持ち悪い。鳥肌が立つのと同時に苛立った。
私の部屋なのに私の物じゃない香水の匂いがするし、たまに私の物じゃないシュシュだって落ちていることがある。
他の女と会っているのをこっちが黙認してやってるのに、そっちは嫉妬かよ、と。
「あれは友達だよ、愚痴とか聞いて貰ってるの。そんなに心配ならもっと私をドキドキさせてみたら?」
馬鹿で、仕事が無くて、私からダラダラ毟り取る、そんな頭なのに何故嫉妬をする? 仕方ないだろ、原因はお前だろ?と思った。
いや、私か。私がみんなを巻き込んでいるのか。考えるのがつらくてベッドに逃げた。そこにも彼は追いかけて来た。
憂鬱な夜が始まる。寝たいのに。
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