二次会

明るい居酒屋の通りを通る時、後ろから声を掛けられた。深く余裕のある声、背筋が凍った。

「七瀬さん、だよね、ちょっとそこのバーで飲みなおさない?」

「う……はい」

 やらかした。断れなかった。また断れなかった。

 また持ち帰られる、過去の嫌な記憶が走馬灯のように映し出された。


「ありがとう」

高そうな鞄、高そうな革靴、スーツ、仕事帰りか、疲れたから慰めて系のやつか、そんな想像が安易に出来てしまう自分にさっき膨らんだ胸がしょぼんと潰れた。

 数分歩いて、やや高そうなバーに着いた。


 三次会まであるんだよなぁ、こうなると。

 二次会はここで、三次会があいつの家、辛すぎて涙がこぼれた。

 ワンピースで拭った。化粧が落ちないようにしないといけない。気が抜けない。


「いらっしゃいませ、ああ、慧さんですか。お連れ様も」

綺麗な年の取り方をしたバーテンダー、髪が上げられていて、顔にツヤがある。軽く会釈をしておいた。

年季の入った木のテーブルを指さされて、抵抗を覚えながら座った。

「俺はジンバック、彼女は……」

「アプリコットクーラーで」

鞄を取って荷物カゴに入れる。


「ごめんね、急に連れて来ちゃって」

「いいえ」

「さっきの会、全く楽しく無かったでしょ?」

「いえ、楽しかったです。昔の仲間と会えて。みんな変わって無かったり、全然違う雰囲気になっていたり、私そういうの観察するのが好きなんです」


 当たり障りの無い嘘。こんなにすらすらと言葉が出るようになったのは確か中学。どんな人生の使い方だよ、と小さくため息を吐いた。


「ええ? 意外だ。顔に憎悪が張り付いている思ったんだけど、やっぱり俺は人の気持ちが分かんないのかな。なんか済まないね」

 はは、と言って少し残念そうに背もたれに身体を任せる彼は、自立していて、輝いていた。

「あの、やっぱりさっきの嘘です。最高につまらなかったし、怖がってました。御明察、です」

「え? 嘘つかれたか、最近の女性はちゃんとしてるね、まあ、同い年だけど」

静かに笑いながら彼はため息を吐いた。


「なんか昔からそんな感じだよね、七瀬って、いつも断れないというか、それでいつも委員会の仕事押し付けられていたよね」

「それは、まあ」

 自分から行こうと思ったこと、今絶賛それについて困り中なこと、両方言えなかった。

 変に情を付けられても困るし、と自分に自分で言い訳をする。

 私の嫌な癖だ。


酒が来た。彼がロングのお酒を頼んだ事は、長く話したいということで、私も弱いロングにしたが、更に酔ってしまいそうだ。

 口が緩みそうだ。


「なんか可愛そうだな、どう? 今は」

「まあ、なんだかんだで? 生きてはいけてるけど……」

 昔少し仲が良かったよしみでタメ口になっているのも、ちょっと鼻につく言い方をしたのも、全部酒の所為だ。

「けど?」

もういいや、と思った。この人には隠しておいても何もいいことがないしと思ったし、もう辛かった。

 誰かに聞いて欲しかった、のかもしれない。

 その時の私は堰を切ったように語り始めた。


 彼は私の愚痴を噛み締める様に優しく笑っていた。

「笑っちゃいけないけど、不運だなぁ、七瀬は、ずっと」

「初めはいい人だと思ったんだよ」

「見る目ないなぁ、高校の時、陸上部の先輩に初めてを取られた時もあったっけ」

「言わないで! もう思い出したくないの」

「思い出したくないことだらけじゃん、人生楽しい?」

「いや、変わりたい、とは思ってる」


酒がほとんど入っていない透明なグラスが汗をかき、テーブルに円形の水溜まりを作っていた。

「今の彼、嫌いなんでしょ? 振れば変われるんじゃない?」

「そんな気はするけど勇気がないし」

「だから変われないんじゃない?」

「そんなこと分かってるんだよ」

「ああ、美味しかった。本来なら二杯目に行くところだけど、疲れてるよね。帰ろうか。ここは俺が払うから」


最後の一口を私よりワンテンポ遅く飲み終えた彼が言った。

 ありがとう、とバーテンダーに一言言って、カラン。

 重い木のドアを開けた。さっきよりも少し冷たい風、それでもまだまだ暑いが。

 

「ありがとう、話してくれて。変われるといいね、じゃあまた」

「ちょっと待って!」

「ん?」

 手首に光る時計は彼によく似合っていた。



 いつものように遠回りをして郵便受けを開けた。今日はハチミツのチラシのみ。

 そしていつものように錆びた手すりに触れながら六階へ上がる。カチャリ。安っぽい鍵の開く音、本当はガチャン、と高級そうな音を鳴らして鍵を開けてみたいものだ。私にそんな生活はまだまだ遠い。


 居酒屋の酒の匂いや、ニンニク、その他のにおいが混ざり合って、吐き気を催すような耐え難い匂いになっていた。

 臭いコート、臭いワンピース。早くシャワーを浴びたい。しかし体は疲労で動かない。


 すぐにソファーに体をだらんと預けて溜息を吐いた。ポケットから簡素なケースのスマホを取り出した。連絡先に新しい顔が増えている。

『新津 慧』

 綺麗な波の写真がアイコンになっていて、いかにも彼っぽい。


 そしてもう一つ嬉しいことがあった。飲み会に行ったのに誰にも抱かれなかったことだ。今日初めて、達成できた。

 少し踏み出せた、そんな気がした。


 膝を曲げながら、う~と言って伸びをした。少し自分を拘束していた鎖が解けたような気がした。

 そう考えると、少し嬉しくなって、今までうまく隠れていた眠気が襲ってきて、風呂にも入らずそのまま寝た。

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