真剣勝負
学問所とは言え、藩のこれからを担っていく若者たちは武術や、戦い方も習う。
特に見ものは、剣での紅白戦。
この日ばかりは誰でも学問所に入って良く、普段は生徒たちしかいない学問所の庭も、生徒の親や応援の者たちで賑やかだった。
紅は一番後ろの隅に座り、ひたすら小さくなっていた。
対戦相手の
大吾に良く見られようとして負けたのだ。
その隙をつかれたのだ。
陸との試合を思い出しては、一人反省していた。
そうして対抗試合は最高潮の盛り上がりの中、最後の試合が始まろうとしていた。
学問所きっての腕前の大吾と、伊三郎との勝負だった。
大吾も伊三郎も人目を惹く男前。
試合が始まるまではきゃーきゃーとはしゃいでいた女子達も、立ち上がった二人のただならぬ殺気に気が付いたのか、試合会場が静かになった。
審判役の講師がゴクリと唾を呑みこむほど、会場に緊張感が漂う。
見合う大吾と伊三郎。
大吾と伊三郎はもうお互いの気持ちに気が付いている。
そしてこの対抗試合が、本当は何を競っているのか。
対戦相手が決まってから、大吾は遅くまで学問所に残り栗林家へはほとんど行っていなかった。
一人で剣の練習をしていたのである。
伊三郎もまたお城に戻り、大瀬を相手にいつにも増して本気で木刀を握っていた。
二人の気迫が、試合会場に充満する。
「はじめ!」
講師の合図で、腰を落とした伊三郎と木刀を中段に構えた大吾。
相手の出方を窺うようにじりじりとにじり寄る。
「ほう」
その様子を見ていた家老の口から感嘆の声が漏れた。
剣の使い手は、構えただけで相手の技量が分かってしまうと言う。
栗林は嬉しそうに口元を弛めていた。
じゃりという音を立て、先にけしかけたのは伊三郎。
その攻撃を防いでさらに下から木刀を出した大吾を、伊三郎も素早く止めた。
しばらく木刀がぶつかり合う音だけが会場に響く。
力は互角に見えた。
だが試合が続くと伊三郎の息が乱れてきた。早めに決着をつけないとと焦った伊三郎。
「いやー」と声を出して突っ込み、渾身の力で木刀を振り下ろす。
木刀がぶつかる音がした次の瞬間、伊三郎の木刀がひゅっと飛ばされていた。
「それまで!」
講師が試合の終わりを告げる。
大吾の勝ちだ。
大吾をわっと取り囲む上級生たち、だが大吾は浮かない顔をしている。
今はまだ自分の力が強いから勝てたが、あと数年して伊三郎が大きくなった時は分からない。
そんな大吾の思惑など誰も気づかず、周りを囲む女子達も大吾に少しでも近寄りたくてワーワーと大騒ぎになっている。
負けた伊三郎は、悔しさに肩を落とし応援席へと戻ったが、その落ち込みぶりに誰も声を掛けることはできなかった。
そんな中、紅がピタリと伊三郎に寄り添うように隣に座った。
「伊三郎、見事だったぞ」
紅が隣で笑いかけてくる。
試合に負けたということは、紅はもう大吾のもの。
自分はそれくらいの覚悟で勝負していたんだ。
伊三郎は諦めるしかないと一度は目を伏せたが、
「そんなに落ち込むことはない。伊三郎は本当にすごかったから」
紅の声にまた紅を見てしまう伊三郎。
「さすが、私の先生じゃ」
にこりと八重歯を見せて笑う紅に、伊三郎は「ああ」と小さく答えた。
紅が伊三郎の手を握ってくる。
いつものように。
学問の外へ行く時や、川で遊んでいるときのように、小さな柔らかい手が伊三郎の手を握っている。
大吾には負けてしまったが、紅の友達であるということは変わらない。
「紅。俺は、もっと強くなりたい」
「うん。私もじゃ」
試合も終わり、握り飯や柿など振る舞われお祭り騒ぎのようになった会場の隅の方で、伊三郎と紅は小さくなって座っていた。
お互いを励ますように、そしてお互いに信頼を示すように、二人の手はしっかりと握られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます