婚礼ごっこ

「ごめんください」


大吾は、学問所が休みになると、栗林家を訪ねるようになっていた。


「大吾様。今日はお早いですね。勝之進様なら今は姫様のお部屋にいらっしゃいますよ。どうぞこちらです」


女中に案内されるまま、初めて居住の間へと足を踏み入れた大吾。

さすがご家老の家だけあって、広いし、床も梁も立派な造りだ。

羨ましいというよりも、もっとこの家の造りを見てみたいと思いながら進むと、


「紅。もうよいではないか」

勝之進の泣きそうな声が聞えてきた。

「にいさまは、約束を破るのですか?」


また紅に怒られているのだなと、口元から笑みがこぼれる。


目の前の女中が一つの部屋の前で正座した。

「大吾様がいらっしゃいました」

女中が声をかけると、一瞬シンと静まった室内。

おや?と思った途端、スパンと目の前の障子が勢いよく開かれた。


その先には、

「大吾ではないか」

「大吾~」


嬉々とした表情の紅と、眉尻を下げた勝之進が二人同時に障子を開けていた。


大吾が部屋に入る暇も与えず、婚礼ごっこを始めたい紅と、それに飽きて逃げ出そうとしている勝之進とが、それぞれ言い分を熱く語ってくる。


「そうだ。俺が菓子を頼んでこよう。その間、大吾が代わりをやってくれぬか?」


言うが早いか勝之進はもう部屋から飛び出て、大吾が「おい」と引きとめたけどさっさと逃げてしまった。

大吾が視線を感じて隣を見ると、今にも袖を引こうとしている紅が下から見上げている。


「紅。俺は本を読みたいんじゃが」

「一度だけじゃ。それ以上はワガママは言わん」

「ちょっとだけだぞ?」

「うん」


八重歯を見せて嬉しそうに笑う紅に、大吾もつられて笑顔になる。


「大吾はこっちじゃ」


紅の示すところには、白い小さな屏風の前に座布団が二つ並べられ、真ん中には盆に乗せられた酒器が置いてある。


良く見ると屏風には下手な鳥の絵が描いてある。どう見ても子供が描いた絵。


「これはおまえが描いたのか?」

「そうじゃ。ばあやに見つかって怒られたのだ。もう使えんと言うから、この部屋にもらったのだ」

「ふーん」


大吾が屏風を覗きこむと紅が嬉しそうに説明を始めた。


「本当は光り輝くような金色なのじゃ。今度、本物を大吾にも見せてやろう。その前で花嫁と花婿が酒を飲むのだ。これはヒヨクの鳥とレンリの枝が描かれているんじゃ」


大吾には紅の説明がよく分からなかったが、紅に引かれるまま座布団に座った。


「はい」


紅が大吾の前に座り、盃を渡してくるから素直に受け取ると、紅は持っていた銚子から本当に透明の液体を大吾の盃に注ぎ始めた。


「酒?」

大吾が匂いを嗅ぐと、


「水じゃ。酒はもらえなかった」

紅が残念そうに言う。


当然だろう。と思いながら大吾が盃に口をつけると、紅は隣の座布団の前に置いた盃にも水を注ぎ始めた。

その表情は真剣そのもので、大吾はフッと笑ってしまった。


「三回で注ぐのじゃ。大吾は知ってたか?」

「いや。知らん」

「やっとこぼさずに注げるようになったのだ」

「ふーん。近々、婚礼があるのか?」

「先日、姉さまが嫁いで行かれた」

「先日?じゃあ、なぜ今頃練習するのだ?」

「陸の方が上手かったのじゃ。わたしは緊張して手が震えてしまったから」


大吾は、そんな機会などそうそうないと思いながらも、真剣に練習している紅が可愛く思えてきた。


銚子を盆に置いた紅は大吾にニコリと微笑みかけると、すかさず隣の座布団に大吾と並ぶように座った。

そうして先ほど自分で注いだ盃を両手を揃えて持ち上げ、口を付けた。


開け放たれた庭の光が紅を優しく照らし、鳥の鳴き声も耳に心地よく、新緑の匂いを大吾は感じていた。


ゆっくりと盃を置いた紅が大吾を見る。

その頬がほんのりと赤い。


「どうした?」


大吾がからかい気味に聞くと、逃げるように視線を逸らした紅が、


「これで夫婦じゃな」


俯き恥ずかしそうにつぶやいた。


ドキリとした。が、イヤではなかった。

むしろこそばゆいような、落ち着かないような。


何か言わなければと紅を見た大吾だったが、


「……」

言葉にならなかった。


しばらくの沈黙の後、


「大吾。ありがとう。もう、あっちの部屋へ行くか?」

紅が立ち上がりかける。


「……っ」

大吾は咄嗟に左手でとめていた。


紅の視線を左頬に感じながら、大吾は口を開く。

「…も、もう少しなら、かまわん」

頬がじんわりと熱くなっていく。


「うん」

座り直した紅もまた何も言えなくなってしまった。


ただ二人でいることが嬉しかった。


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