第15話 逃げる者 追う者
「……このまま進んでは、北に展開している帝国軍に補捉されます。少し迂回しましょう」
その日。俺は第二の故郷だと思っていた皇都に別れを告げた。
マヨ様と近衛であるシズクさん、そして幾人かの武人やその家族たちと共に、陽が昇りきる前に皇都を出る。
先頭はカーラーンさんが、最後尾には師匠がそれぞれついてくれた。
(100人はいないが……それでもこの人数だ。子供や民間人もいるし、どうしても足は遅い。用心せねば……)
皇都から離れたい者は他にもいただろうが、さすがに全員は連れていけない。それにあまり人数が増えても、旅の途中で脱落者も出るだろう。
俺は過去に師匠と進んできた道のりを思い出す。
(このまま山間を進めば川に行き当たる。そこの橋を渡れば、今度は山道を進む。端は崖になっている危険な道だ。それに夜は冷える)
あれはキツかったな……。しかも山を越えるのに、そこそこ日数が必要なのだ。
山を越えれば森に入るので、そこを川沿いに北上すればやがて草原に行きつく。そこまで行けばもう安全だろう。遊牧民たちも皇国人を快く受け入れてくれるはずだ。そして……。
(そして……どうする? そのまま草原の民として一生を平穏無事に過ごせるのか……? もしかしたら皇都では皆戦い続けているかも知れないのに? 草原にも帝国軍が押し寄せてくるかも知れないのに?)
……だめだ。ここ最近、俺は少し変だ。どうも心が落ち着かない。心にぽっかりと穴があいて、そこをよくない感情が埋めようとしている。
あまりに強かった帝国軍。個の力で対応できなかった重装歩兵。なくなった皇国。
そうした大きな喪失感と、この混乱を生み出している帝国の内乱に対する思い。いずれも俺ではどうしようもないことだ。
立場なのか、力なのか。力ある立場にいれば、もっと違う未来を選べていたのか。この世界は常にそうした者が時世をコントロールし、動かしているのか。
俺は……巻き込まれる側でしかないのだろうか。
「……えい」
「っ!?」
急に右頬に指が刺さる。結構痛い……!
はっと真横を向くと、そこには薄いヴェールで顔を覆ったマヨ様がおり、その指が俺の頬にまぁまぁの強さで突き刺さっていた。
「ままま、まよ様!?」
「はい、マヨです。ふふ……難しそうなお顔でしたので、つい崩してみたくなりました」
ど、どういう理由!?
マヨ様の予想外の行動に、心に巣くいはじめていた暗い感情が霧さんしていく。隣を歩く近衛、シズクさんも少し困った顔をしていた。
「マヨ様、はしたないですよ。不用意に殿方に触れてはなりません」
「あら……でももう皇国はなくなったのだし。私、すでに皇族の姫ではなくてよ?」
「それで急に態度を変えられるわけはないでしょう……」
近衛でマヨ様についてきたのはシズクさんだけだった。
元々近衛は武人の中の選りすぐりだけあり、人数がとても少ない。ほとんどは最後まで皇王の側にいようと皇都に残ったのだ。
近衛同士の話し合いもあり、マヨ様と同じ女性であるシズクさんがこの旅に同行することになったと聞いている。
「ヴィル。異国の生まれであるあなたが、皇国にそこまで心を砕いてくれたこと。大変嬉しく思います」
「え……」
「この事態に対して、責任を感じていたのでしょう? そんなお顔をしていましたもの」
「………………」
責任……責任、か。たしかにそうかもしれない。
武人としての責任。元は帝国皇族の生まれだという責任。いろんな責任……プレッシャーを感じていた。それだけ背負うものが増えたということだろうか。
「気持ちは分かります。わたしも皇族としての責任を感じておりますもの。本当なら兄と共に、最後まで皇都に残りたかったのです」
でも……と、マヨ様は言葉を続ける。
「皇族の……ツキミカドの血を絶やすわけにはいかぬ、と兄に説得されてしまいました。もう会えない兄との約束です。わたしには……生き続けなければならない理由と責任があるのです」
生き続けなければならない理由と責任……。
マヨ様の思いや考えは本人でなければ分からない。だがこの旅は、マヨ様なりに考えた末の結果なのだろう。
マヨ様とて皇都の残る兄君や民たちに何も思わず、こうして草原に向かっているわけではないのだ。
「みんなそれぞれ歩んできた人生がある様に、各々抱えているものがあるのですよ。ヴィル。だからそんな顔をしないで……と言っても難しいでしょうから。話を聞かせてください」
「話……ですか?」
マヨ様。もしかしたら責任を感じている俺を励ましにきてくれたのかな……。
「ええ。あなたは昔、キリムネ様と共にこの道を歩いてきたのでしょう? どんな旅だったのです? 草原とはどのようなところなのでしょう?」
「そうですね……」
昔を思い出しながらいろいろ話していく。途中から他の武人やシズクさんも気になったのか、ちょいちょい質問を挟んできてくれた。
少し話しただけなのに、先ほどまで感じていた鬱屈とした気分はなくなっている。不思議だ。やはり黙っているより、誰かと話した方が気が紛れるのかもしれない。
「……ではこの先に、大きな川と橋があるのですか?」
「はい。私もあとで知ったのですが、草原の民が馬を連れて通れるようにと、皇国がそこそこ大きな橋を整備しているのですよ。と言っても縄で吊っているためか、けっこう揺れるのですが」
こんなところを通るのは、草原と皇都を行き来する者だけだ。それにほとんど道なき道を進むので、ただ歩くだけでもかなり体力を使う。案内人がいなければ遭難する可能性もあるだろう。
橋の先はそういう場所だ。だがこのルート以外で地図にない道を進まず草原に行こうとすれば、帝国領内を大きく迂回せねばならない。危険を承知でこのまま進むしかない。
「山や森は野獣の類もいます。貴重な食料にもなりますが、注意は必要ですよ」
「ふふ。いざとなればわたしの刻印術で斬り刻みましょう」
「え……?」
そういやマヨ様の刻印術ってなんだろう。というか今、わりと不穏な発言が聞こえたような気がする。
そんなことを考えていた時だった。後方から師匠の怒声が響く。
「走れ! 帝国軍の追手だ!」
「え!?」
後ろを振り向くと、遠目に帝国の旗を掲げた騎馬隊が見えた。
そんな……! 気づかれた……!?
「く……!」
「走れ! 走れ!」
「きゃああぁ!」
「落ち着け! この先は橋がある! まずはそこを渡りきるぞ!」
くそ……! ここまで来て……! 今ここでマヨ様を、奴らに奪われるわけにはいかない……!
■
「いそげぇ! 皇国人を逃がすなぁ! 剣を持つ者は武人だ、全員殺せ! 武装していない者は殺すなよぉ、誰が皇族が分からんからな!」
「おおおお!」
ブリスから報告を聞いたマイバルは、馬に乗れる者から優先して準備を整えさせ、逃げ出した者たちを追って北上していた。
数は100騎にも満たないが、全員が武装しているのだ。民間人を抱えた集団の方が不利なのは変わらない。
それにあとで歩兵隊も追いついてくる。今は国外に逃げようとする者たちを捕えることが優先だ。
「ふん……! どこへ逃げようというのだ! いいか! 1人も逃すなよぉ!」
そう言うとマイバルは、右親指の付け根にある刻印を光らせる。そしてそのまま右腕を頭上に掲げた。
「むん……!」
すると彼の頭上に光の槍が現れる。マイバルが右手を振った瞬間、光の槍は正面に向かって飛んでいった。
これで皇族にあたったらたまらない。そのため、あくまで足を止めさせるための牽制だ。しかし。
「あぁ!?」
初老の男が刀を抜くと、光の槍をかき消してしまった。
「辺境人の分際で生意気な……! ええい、急げ! 奴らが橋を渡ってしまう!」
追手に気づいた皇国人たちは駆け足で橋を目指していた。このままでは橋を渡りきられてしまうだろう。
だが橋自体はそこそこの広さがあるし、馬も通れそうだ。
「ふん……! 追いつくのは橋を渡ってからになりそうだな……!」
どのくらいの馬が同時に渡って大丈夫なのか、本来であれば調べてから進むだろう。だが今は時間が惜しい。
マイバルは先に部下に橋を渡らせて、自身は少し離れたところで様子を見ようと考えていた。
「ぶひゃひゃ……! 鉄剛騎士団だけでなく、俺もしっかりと手柄をたてられそうだなぁ! 我らを皇都北に配置させたアドルドン騎士団長には感謝感謝ぁ!」
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