第4話 内乱の経緯

 アマツキ皇国に来て驚いたことの一つ……それは貴族である武人と平民の距離が近いことだ。


 武人は気軽に町に立ちよって飯を食うし、大衆浴場で風呂にも入る。町の人たちも特にそれで構えたりはしない。帝国や他の国ではまず見られない光景だろう。


 まぁ武人の中には平民上がりもいるし、本当に気を使うような高位の武人はあまり表に出てこない。


 それにいつも第一線で働いているんだ。平民からしても一番馴染みがある貴族なのだろう。


 皇国の貴族の中には武人の他に、文官や一部上級文仕官もいる。そうした家系の者の方が、俺のイメージする貴族に近いと言えるな。


 そんなわけで、俺は師匠と一緒に大衆浴場で汗を流して料亭に来ていた。完全個室であり、中々高そうな店だ。


「そう言えば俺がまだあっちに居た頃におっしゃってましたね。皇国は魚と酒の美味い国だと」


「そうだったかな? 実際美味いだろ」


 そう言いながらニヤリと笑みを浮かべる。最初は生魚なんて……と思っていたのだが、今では俺も皇国の料理がとても舌に合うようになっていた。


「こうして2人で食事をとるのも随分と久しぶりですね」


「ああ。……ヴィルももう22か」


 そう言うと何かを思い出すように、師匠は両目を細める。


「昔わしが言ったこと……覚えているな?」


「ええ。20才を迎えたら、自分で生き方を選んでいい……と」


 母上が守った俺の命、20才までは守る……というのは、師匠なりのケジメだったらしい。それまで俺を厳しく鍛え、身を守れる強さをつけさせるというのも。


 一方で俺自身は帝国生まれの貴族になる。それにあの日……母上は俺と一緒に、生まれ故郷であるリンゼント領に行こうとしていた。皇宮にいては危険だと分かっていたからだろう。


 もし帝国が気になるなら。そして母の実家を訪ねたいのなら。何をするにせよ、20才を超えてからだと俺は言われていた。


「元々筋がいいというのもあったが、ヴィルは強くなった。今ならちょっとした賊の集団くらい、1人で片付けられるだろう。本気を出せば、皇国の高位武人とも互角の実力はある」


「そんな……」


 さすがにそれは買い被りがすぎる。俺とて長く武人として過ごしてきたんだ、上の者たちの実力はよく分かっている。


「その左目……うかつに外せないのが残念でならん」


「………………」


 確かに片目によるハンデはあるが……これは仕方がない。俺が皇国の武人として生きるためには絶対に外せないものだからな。


「2年前。お前はまだ自分がどうしたいのか分からない、それを判断できる情報もないと言っていたな。今はどうだ?」


「……判断できる情報がないのは相変わらずですが。どうしたいか……という部分については、見えてきたものもあります」


「ほう?」


 師匠は興味を持った視線を隠さず、酒の入った杯を飲み干す。俺はそれに新たな酒を注ぎながら口を開いた。


「皇国の武人として生きていけたら……と思っています」


「……ゼルトリーク帝国に対し、思うところはないと?」


「そりゃありますよ。今でも母上の命を奪ったことは許せないし、あの時何の力も持っていなかった自分も憎い。怒りや憎悪なんてものは常に心の中にくすぶっています。でも……俺がこの国でこうして生きていけるのは、師匠や武人として切磋琢磨してきた仲間たちのおかげでもあります。帝国は自分の生まれた国だという気持ちもありますが……こうして時間とともに憎悪を薄れさせていき、過ごしていく。誰からみてもそれが一番いいんでしょう」


 だからこれからも眼帯は外さず、俺はヴィルとして生きていくのだ。


 眼帯はこの先何があっても、そしてどんな強敵とぶつかっても……たとえ死のうとも外さない。死ねば刻印は消えるし、ヴィルガルドという皇族が存在していた事実は消えるのだ。


(俺の生存が明らかになって、この国と師匠を厄介ごとに巻き込むわけにはいかないもんな)


 今日まで過ごしてきた時間もあり、俺はアマツキ皇国が大切な場所だと思えるようになった。


 この国は帝国と事を構えていないし、忙しいけど武人としてずっとこうして生きていけるはずだ。


(………………)


 ふと心に暗い予感が走る。皇宮で過ごしていた時も、俺は毎日同じ1日が過ごせると思っていた。だが現実はそうはいかなかったのだ。


 しかしあの時とは事情も環境も違う。それにこうして武人として生きていくための力がある。


「皇都にいたら、あまり外の情報は入ってこないだろう。……何も知らずに自分の生き方を決めるのは酷なことだ。わしが皇都に戻るまで何を見て聞いてきたか。それを聞かせてやる」


 もしかしたら俺が「自分の生き方を決めるのに、判断できる情報がない」と言ったのを気にしたのかも知れない。


 師匠は今の大陸がどうなっているのかを話してくれた。


「ゼルトリーク帝国は今、大きく3つに割れておる。そこまでは聞いたことがあっても、内情までは知るまい?」


「ええ……。新皇帝とそれを認めない貴族たち、という印象です」


「うむ。それに加え、兵士崩れや他国の犯罪者が集った勢力が存在している」


 10年前、時の皇帝……父上は戦争中だったある国と和睦を結んだらしい。だがその実態は、負けそうだった帝国が賠償金を支払ったということだった。


「そうなのですか……!?」


「ああ。あの時の帝国は、いろいろ敵を作っておったからの」


 帝国が戦っていた国の名はフェルローグ王国。ローグ島という島に築かれた国だ。


 島国だけあり、フェルローグ王国は海軍戦力が非常に発達した国だった。造船技術も進んでおり、特に海戦では敵なしの強さを発揮していたらしい。


 その島に侵攻を開始した帝国だったが、上陸すらままならなかった。そして海戦で多くの兵力を失ったタイミングで、今度は逆にフェルローグ王国が大陸に乗り込んで来たらしい。


 その時に帝国は有力貴族から多くの死者を出した。しかもフェルローグ王国に、大陸における橋頭堡を築かれてしまったのだ。今後はその地を起点に、帝国領へ侵攻してくることは明らかである。


 これに焦った帝国政府は、フェルローグ王国に対し和睦を提案した。


 元々フェルローグ王国も島国だけあり、海軍戦力は強くとも陸戦戦力はそこまで抱えていない。大陸を蹂躙するにせよすぐには難しいという面もある。話し合いの余地はあった。


 だが帝国としては奪われた土地を返してもらいたいし、大陸に橋頭堡を築かれたままではフェルローグ王国の脅威は無くならない。フェルローグ王国もそれが分かっているので、手放すにせよ高く売りつけたい。


 その結果、帝国は多額の賠償金に一部の権利に加え、皇族の姫を嫁がせることになった。


「この時に嫁いでいった姫というのが、今の皇帝の妹なのだ」


「え……」


 この賠償金の影響で、帝国は他国と戦争をしている場合ではなくなった。それにフェルローグ王国に侵攻された領地の立て直しと補償もある。


 そうして元々ガタガタだった財政はさらに圧迫され、民には税が課されることになった。


 こうなると苦しいのは民たちだけではない。その地を治める領主もだ。


 しかし高位貴族……特に帝都住まいの中央貴族は、今の生活を維持したい。加えて財政という国としての体力が落ちている今、他領の領主に大きな力を持たれたくない。


 俺が皇宮に住んでいた時、すでに貴族の分断が進んでおり、権力争いの綱引きが行われていた。


「そしてとうとう、1人の皇子が動き出したのだ。彼は特定の領主……戦争の影響が少なく領地経営も比較的うまくいっている大領主たちに対し、共に国難に立ち向かうための増税を求めた。お前たちが儲けていられるのは、他の貴族が血と汗を流しているからだ。負担は平等でなくてはならない……と」


「それは……」


 難しい……な。帝国を維持するため……祖国の危機を共に乗り越えようと言うのは、確かに聞こえはいいが。領主たちも自領の民たちの生活を背負っている。


 国を優先するか、自領を優先するか。決してそれだけではないだろうが、全員が納得するとも思えない。


「領主たちにも言い分はあった。そもそもこれまでも十分税を払ってきたし、ここまで増税が必要になったのは中央貴族の落ち度ではないか、と」


 中央貴族と言ってはいるが、実体は皇族批判だろう。そして今の皇族は、果たして本当に帝国の皇帝位を戴くのに相応しいのか……という世論形成に動き始めた者がいたらしい。


 これに焦った……あるいは憤慨したのは、皇子をはじめとした中央貴族、そしてそれらと繋がりの深い領主たちだ。


 だが皇帝である父上は大領主たちの言い分ももっともだと認め、懐柔案を検討していたらしい。


「そしてその時。皇帝は病死した」


「………………」


 そのタイミングでの病死……か。


「次の皇帝だが、多くの貴族や騎士団などの支持を受け、先の皇子が皇帝位に就いた。大領主たちの力を削ごうと考えていた者が……だ。皇帝となった彼はさっそく一部の領主たちに増税を課す。そして……」


「ふざけるな……と、内乱に発展していったのですね」


 師匠はうなずきを返す。要するに地方貴族と中央貴族の対立だ。


 新皇帝は税を納めない反抗的なある領主に対し、反逆罪を課す検討を始めた。ここまでやれば皇帝は本気なのだと、周りの領主たちも理解するだろうと考えがあったらしい。


「ところが領主たちの何人かは同盟を結び、帝国に真っ向から立ち向かうことを決めた」


「……リンゼント領は、皇帝に対し叛旗を翻した領地の1つだったのですね。だからあの時……」


「そうだ。皇子たちの中には、その血筋から殺すわけにはいかない者が多い。新たな皇帝にとっても、使い道は多いからな。一方で明確に反逆を企てた者の血筋は、決して許すわけにはいかない」


 そしてあの日、俺と母上は襲撃されたのか。しかし気になる点もある。


「それだと帝国は二分してますよね? あとの一つは?」


「ある意味でそれこそが、この大陸から孤児や難民、また賊に身をやつす者たちがいなくならない原因と言える」

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