帰りたくない
「ごめんなさい……俺、困らせることしか、言ってないですね。いいよ、ここからたたき出して。そしたら俺は――」
「どうした?」
「え……」
「迷惑じゃないし、気持ち悪くもないよ。どした? 話なら、聞くよ。一織。」
そう言って、彼は一織を抱きしめて背中を撫でた。
いいのだろうか、ここで覚さんの優しさに甘えてしまって。俺には、何も返すものがないというのに……。
「俺が……ずっと、好きだった人に、彼女ができた」
「本当なら、喜んでやらなきゃいけないよね。なのに、俺、何も言えなかったんだ。それどころか、なんで俺を選んでくれなかったんだ、なんて思ってしまって……」
祐のことをずっと好きだったこと、友人以上の関係になれなくてもずっとこの関係が続けばそれで良かったこと。気持ちの正体は分かりすぎるほど分かり切っているけれど、目の前に突き付けられて怖くなってしまったこと。
初対面なのに、まとう優しげな雰囲気のせいか心の中がすらすらと言葉になった。
「本当に、俺って最低だ。祐のこと好きなら、幸せを願ってやらなきゃいけないはずなのに」
覚さんの顔がぼやける。そうだよな、祐のこと好きなら、幸せを願ってやらなきゃ、だめじゃないか。ほんと、俺って最低だ…………。
「仕方ないよ、それは。」
覚さんは優しく言った。
「だってさ、それって一織がそれだけ祐君のことを、好きだからでしょ。仕方ないよ。一織は悪くない」
――俺は、悪くないのだろうか。そんなこと言ってくれるの、あんたしかいないよ……。黙っていると、覚さんは俺をぎゅっと抱きしめて言った。
「天気も悪いし、そろそろ日没だよ。家に帰ろう。途中まで送っていくから」
「嫌だ……帰らない。嫌だよ」
「親御さんも、心配してるでしょ。帰ろ?」
「心配なんてしてないよ!」
一織は思わず叫んでしまった。
「心配なんてしてない。せいぜい殴られて説教されるだけ。もう嫌だ、そんな目に遭うくらいなら覚さんがいい!」
覚さんは見も知らない他人。けれども、父さんたちよりはまともな人だろう。一織は、無意識のうちにそう思っていた。そう、信じたかった。
「………」
覚さんは困惑したようにしばらく何も言わずに考え込んでいた。それはそうだ、一織は見も知らない赤の他人なのだから。ああ、また困らせてしまっている。でも、家にだけは絶対に帰りたくない。
「……分かった。泊って行っていいよ。とりあえず今日は、もう寝ない? 俺のベッドで寝な。俺は床で寝るから。これからのことは、明日考えればいい」
天気は荒れに荒れ、雷が鳴っている。
嫌だ、一人は。
怖いよ。寂しい。だれか、助けて。
一織は、思わず覚さんのシャツの裾をつかんだ。
「――なら、一緒に、寝よっか……」
一織の助けを求めるような瞳を見て、覚さんが困ったように、けれども少しだけほほえんで言った気がした。
覚さんと一緒に布団に入ると、温かい体温が伝わってきた。
せっかく今日が満月だというのに、空には厚く黒雲がかかり外の世界を遮る幕のように、滝のような雨が降っている。時折稲妻が空を走り、ゴロゴロと不穏な音が常に轟いている。怖、い……。背後から忍び寄ってくるようなその音に思わず身を固くする。一織は目をぎゅっとつむり、覚さんの服の端を握った。
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