もう二度と

 箱を開けて紙切れを取り出した画員の妻は微笑みながら眺める。

 夫がたった一回だけ寄越した恋文じみた手紙。もう二度と彼はこんなことは言わないだろうし、送ったことすら忘れているかも知れない。

 部屋の外に夫が来た気配がしたので妻は大急ぎで手紙を箱にしまって鍵を掛けた。そして素知らぬ顔で彼を迎えた。


秘め事

「うちのやつ、隠していることがあるみたいなんだ」

 いつものように市場の店で昼酒を飲みながら画員が困惑したように言うと

「誰にも秘め事の一つや二つあるでしょう」

と少年が応じる。

「そうだな、俺にも隠し事がいろいろあるからな」

「まぁ、そんなに私に隠していることがあるの!」

 ちょうど店に来た画員の妻が夫を問い詰めた。


いつか、小説

「生員どのの知り合い、小説じゃなくて大説を書くんだなんて言ってたけど、どうなったの」

 少年の店に来た生員に画員の妻は訊いた。

「全く書けないって、嘆いていたよ。小さいものすら書けないくせに大きなものなど書けるわけないよ」

 生員は苦笑しながら答えた。

「でも、いつか書くんじゃないの」


写真

「この絵はまさに真写真景だね」

 描き上げたばかりの画員の妻の絵を見ながら、生員はこう評価した。

「うん、この風景をそのまま写し取ろうと頑張ったのよ」

と妻は答えたが、

「けど、依頼主は絵の価値が分からない奴で‥」

と画員は付け加えた。

「多額の代金を貰ったけど渡すのが惜しくて」

「もう一枚手抜きを描いて渡したら」

 少年が提案すると

「それは出来ないわ」

と妻は拒絶した。


無意識 灯す

 部屋に入ると画員の妻は明かりを灯した。

“夫人! 明るいのは嫌だって言ったのに!”

 遊びに来ていた妖かしが怒って姿を消してしまった。

 いつもの習慣で無意識のうちに点灯してしまったのだ。

「せっかく久しぶりに来てくれたのに悪いことをしたわ」

 妖かしの好物まで用意していた妻は残念に思うのだった。


かたむく 窓

 窓を開けると、月が傾いているのが見えた。

 画員の妻のお気に入りの風景の一つだ。

 子供の頃、やたら早く目が覚めてしまい、窓を開けたところ目に入った風景に心を奪われてしまったのだ。

 以後、不愉快なことがあると早起きしてこの光景をみる。そして、気合を入れて一日を始めるのだった。


予感 嫉妬

「どうしたんですか、浮かない顔をして」

 店に来た画員の妻に少年は声を掛けた。

「嫌な予感が当たったのよ」

「例の上司かい」

 店にいた生員がきいた。

「うん、締め切り守ったら丁寧にやれって。始めはとにかく締め切りに間に合わせろっていったのに」

「夫人が有能だから嫉妬して嫌がらせしたんだよ」


回復 きらきら

「夫人の具合、如何ですか」

店に来た画員に少年は聞いた。

「お陰さんで回復したよ」

「よほど疲れていたんでしょうね」

先客の生員が言うと

「ああ、家に着いた途端、目の前がきらきらするって言ってぶっ倒れたくらいだからな」

「このところ、王宮は行事続きで図画署も忙しかったからね」


無音

 そこは無色無音無臭の空間だった。

 だが、まもなく誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。

 画員の妻が目を開けると

「おお、気が付いたか」

と嬉しそうに言った夫の顔が見えた。

 不思議そうな表情の妻に耳元にいた妖かしが

“夫人は帰宅後、倒れてずっと意識不明だったんですよ”

と教えてくれた。

妻は微笑んだ。


黄金

 黄金色に染まった庭木を見ながら画員の妻は側にいた夫に言った。

「扶桑国の王弟の邸に黄金の客間があるんだって?」

「らしいね、王宮より豪華な屋敷らしい」

「ふーん、そういえば、王妃さまの弟宮は相変わらず行方不明みたいね」

「ああ、巷間で地味に暮らしているって話だ」

「いいことね」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る