第二話 

「…………よし」


 教会の朝の清掃を済ませ、レイティは満足げに額の汗を拭う。

 こちらは見せかけ礼拝とセットで行なっている毎朝の日課だが、これが中々重労働だ。いくら規模が小さいとはいえ一つの教会をたった一人で清掃して回るのは楽なことではない。特に腰に来る。

 司祭職に就いたのは「あなたは咎人ですか?」と問う際非常に便利だからという理由であって、信仰心など欠片もなかっただけに以前の私にとってこれは厳しい作業で、最初は途中で匙を投げたりもしていた。

 だが経験を重ねる毎にどんどん効率的に作業が進められるようになり、ここ最近ようやっと完璧な清掃ができるようになった所だ。

 本腰を入れているのは司祭職ではなくそこから繋がる罪人処理の方だが、それでも何かを完遂できるようになったと言う達成感は大きい。埃一つない教会を見ていると、嬉しくなるものである。そしてこの埃一つない清潔な空間は直後。

「うぃ〜っす、お前食いもん持ってんだろ寄越せや」

 べちゃ、と音を立て、ずかずかと教会に侵入して来る青年にぶち壊される。

 もう毎度のことで慣れてはいるが、やはり反感を覚えずにはいられないものだ。

 そう思いながら、レイティはその胸部に半ば殴るように雑巾を押し付けた。

「とっととその靴拭いて綺麗にしなさい。綺麗になるまで、食べ物はお預けです」

 本来ならば床拭き立てほやほやのこの雑巾を顔面に押し付けてやりたかった所だが、身長が足りなかったのが口惜しい。

 そして苛立ちに任せて本気で殴った……もとい渡したのだが、レイティの全力は彼にとって蠅が止まった程度でしかなかったらしい。

 全くその身体は揺らがず、寧ろ跳ね返ってきた衝撃でレイティの方がダメージを受けていると言うのだからこれまた腹立たしいことだ。

しかし、彼の体幹と身長には全く勝てなくとも言葉の方は効果があったらしい。

 青年はうげぇ、と心から嫌そうな顔をするものの、どかっと近くの椅子に座って靴を大人しく雑巾で拭き始めた。

 人の職場を泥だらけの靴で堂々と闊歩するとは何たる精神力と鈍感力か。土足で入ることが許された場所とは言え、磨き上げられたこの床を汚すことに罪悪感は覚えないのか。

 そう罵りたい所ではあるが、レイティはその喉まで出かかった嫌味をぐっと飲み堪えた。悲しきかな、それに対する回答は容易に想像が付く。

 恐らくレイティの怒りは、「うん」で全て片付けられるだろう。

 おまけに「ねぇもんはねぇんだからしゃーねーだろ」と全く悪びれない顔で言われる未来も見えている。……それが分かっていて体力と精神をすり減らす程、馬鹿なことはない。そうレイティは深い溜息を吐いて、彼の隣にどかりと座った。

 ……快楽殺人。それが、彼の咎だ。

 私の教会にやって来る罪人は、基本的に全員が入ることはできても出ることはできない。だがしかし、足繁く通ってきては食事をせびりに来る彼だけは例外である。

 この、人を苛立たせることに対して異様な才を持つ青年の名はアレフ。

 罪人を狩り、殺すと言うレイティの目的を手伝ってくれる……というよりは、利害の一致により共に行動している協力者だ。

 彼は嗜好品の使用や女遊び、賭場などの一般的な娯楽でなく、人を殺めることに喜びを見出した人間であり常に殺人の悦楽を欲していた。

 だがしかし、彼にとっての娯楽は法律上何よりも重く禁じられており、一歩間違えれば彼は殺されてしまう。

 そして彼は快楽殺人鬼ではあるが、計画犯罪愛好家ではない。

 彼が求めるのは、あくまで刹那的な愉悦であって死体処分や獲物を誘う罠などは面倒な雑事。殺人に至るまで、そして至った後の行程を彼は楽しむことができないのだ。

 これは法律に追われる殺人者としては、致命的な欠陥と言えた。

 だがその一方、彼の殺人技術は素晴らしいものだ。

 思い切りの良い刃捌きで作り出された傷口は非常に滑らかで、無駄がない。

 レイティは初めて彼の殺人を目にした時、それは凄惨と言うより芸術に近しいと感じた。命を奪う致命の一撃が、何よりも鮮やかに色付いていた。

 そんなアレフの技術を持ってすれば、獲物に対しての二撃目は必要がない。

 つまり、彼の殺人は抵抗を許さない一撃必殺。そしてそれは殺人の痕跡を処分するにあたって、非常に都合が良い。

 人間は、命の危機に晒された際反射で行動をする。目の前の殺人鬼に対して、精一杯の抵抗をする訳だ。

 例えば殺人鬼を突き飛ばしたりなど、死から逃れようと行動を取る。するとその際に、爪の間に加害者の皮膚が入り込むなどで痕跡が残ってしまう可能性がある。

 つまり抵抗されれば抵抗される程、殺人の証拠が残りやすくなるのだ。だが、一撃で相手を葬るアレフの技術ならば「殺される」と相手が感じても抵抗するまでの時間を与えずに命を刈り取れる。

 ……レイティも、今更自らの手で人を殺めることを躊躇う程臆病ではない。だがしかし、躊躇わないからといって人を殺すことが簡単にできるかどうかはそれとは全く別問題だ。

 小柄で非力なレイティには重い武器が持てず、レイティには精々柄の短いナイフを持つのが限界地点。また身長の高い相手に対しては首などの急所にそもそも届かないなどの多くのデメリットがある。その中でも最たるものが、殺す際に獲物に対する接近を強いられてしまう、というところだ。それ故レイティの殺人は痕跡が非常に残りやすく、それに一撃で殺せる確証も持てない。レイティでは、殺人の効率が悪すぎる。

 だがレイティは、殺人以外の行程を面倒臭いと放り投げたりしない。やるならば徹底的に計画し尽くして獲物を誘い込み、その遺体の始末場所、果ては土の中で朽ち果てて分解されるまでの完璧な策略を立てる。

 そしてその計画力による実績は、今日に至るまで隷角族であるレイティが鎖に繋がれていない、その事実こそが雄弁に物語っている。

 殺人のみに特化したアレフと、計略に秀でたレイティ。まるで形の違うパズルだ。無差別に殺人のみを求めるアレフと、無条件に罪人の死だけを目的とするレイティ。

 二人は互いの苦手な点を補えて尚且つ、互いの望みを叶えられる性質を持っている。

 これ程に利害の一致した相手はいない。アレフは人を殺す機会を無尽蔵に与えてくれるレイティを少なくとも気に入っているし、レイティはアレフの殺しの手際だけは使えるものと信頼している。

 故に隷角族だと知っていてもアレフはレイティのことを告発しないし、レイティはアレフを殺人犯だと告発しない。信用ではなく、我々の間には互いに「裏切った際の不利益」が枷として着いている。裏切れば、道連れ。


 この非常に危うい均衡の中で、私は指名手配犯を飼っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

償いの山羊と折れた角 刻壁(遊) @asobu-rulu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る